2009年12月31日木曜日

大晦日

この原稿を書いている時点で、新しい年まであと90分です。
世間では、紅白歌合戦か格闘技か。外は大変寒く、深夜の初詣は大変そうです。

日付が変われば2010年。寅年です。私も人生5回目の寅年を迎えます。
今の職場では、次の寅年を迎えたときに定年を迎えます。つまりあと12年。

12年というと長いような短いような。来年4月には、入庁満25年を迎えますので、残りはその半分。
この25年も長かったのか短かったのかよく分かりません。25年という実感もありません。

残り12年は、その後の人生(何年あるかわかりませんが)を充実して生きるための大事な時期だと思っています。つまり、来年からの一年一年がとても大事なのです。

今ここへ来ても、あれもしたいこれもしたいという思いだけは際限がありません。
それを夢というか、単なる欲というかは知りませんが、とにかくどん欲に行きたいと思います。

今年も、馬鹿みたいにたくさんの本を読みました。
来年こそはペースを落として、読書以外の時間の使い方をしたいと思います。

例えば語学。例えばカメラ。例えば史跡巡り。例えば禅。などなど。
頭で考えるだけではなく、実行することに焦点を当てたいと思います。

思えばこれで2000年の一桁台も終わりです。来年からは二桁に突入します。
9・11から始まった混迷の10年におさらばして、次はどんな10年になるのやら。

一つだけ確かなことがあります。

それは、つぎの10年こそ素敵な楽しい10年になるに違いないということです。

きっと。

それでは皆さん、良いお年を。

2009年12月30日水曜日

ありがたい

今年も残すところ明日一日となりました。
大晦日は若干お天気が下り坂らしいのですが、そのほかは穏やかな年末のお天気です。

思い返してみると、今年もいろいろなことがありました。政治の世界ではついに選挙による政権交代が実現しましたが、ここは非常にプライベイトに私の一年を振り返ってみたいと思います。

まず、年明けから早々に父が施設に入居しました。
入居当初は父も寂しかったでしょうが、私自身も非常な罪の意識にさいなまれたものです。
今では、父も落ち着いた生活を送っているようで、まずは入居が吉と出たかなと思っています。

4月には、サプライズの人事異動。それも全くの畑違いの部署に。
なぜ?何故?ナゼ?としばらくは疑問符を頭にいくつも乗せながらの毎日でした。
これまでのやり方が通じないのはつらいですが、やるしかないかと開き直った今日この頃です。

5月には新型インフルエンザ旋風が吹き荒れました。
幸い個人的には難を逃れましたが、10月に入り私以外の家族が順繰りに感染するという騒ぎになりました。

もっとも危ない夏は大過なく過ごすことができました。
これで無事4年が過ぎました。

秋は、仕事の関係で忙しい日々が続きました。
久しぶりの深夜残業も経験しましたが、改めてもう若くないなと実感いたしました。

そして11月にはまさかの急性虫垂炎。
皆さんには大変ご迷惑をおかけいたしました。
いくら感謝してもたりません。

他にも、いろいろなことがありましたが、何とかみんな無事で年を越せそうです。
本当にありがたいことです。

2009年12月27日日曜日

今年の3冊

今朝の朝日新聞の読書欄は、書評氏23名による「今年の3冊」という特集でした。

今年もっとも売れた本は、村上春樹の「1Q84」だそうで、上下巻合わせて200万部以上を売り上げたそうである。
残念ながら、私はまだ手にしていないのだが、きっとおもしろいのでしょうね。

ところで、この「今年の3冊」という特集ですが、23名が3冊ずつ挙げるわけですから、計69冊あるわけです。それだけあったら、1冊くらいは「あ!俺も読んだ!!」という本があっても良いかなと思ったのですが、これがなんとすべて外れ!それらの本の中に私が読んだ本は1冊もありませんでした。

実は、今年これまでに私が読んだ本はおよそ380冊。普通の人に比べてもそれほど少ない方ではないと思うのですが、それでもかすらないという不思議さ。

だからといって、今年のベストセラーランキング20を見ても、私が読んだ本はたった一冊だけ。いかに読書の対象が偏っているかという証明でしょうか。

これだけ読んでいても、まだまだ届かない世界がある。そう考えるだけでわくわくしてきます。本当に奥が深い。

でもって、私が読んだ今年の3冊は、年が明けてからじっくり考えて発表いたします。

2009年12月24日木曜日

鳩山政権100日

今日は、民主党鳩山政権の100日目だそうで、いわゆるハネムーンの時期もこれで終わりです。

そしてその日に合わせたように、元公設秘書の在宅起訴。
どうやら、夕方のニュースでは鳩山総理の記者会見一色だったようで、野党は辞職のシュプレヒコールを挙げている。

ところで、昨日までのマスコミ各社の世論調査を見ると、発足直後の高支持率にも翳りが見え始めているそうですが、それでも以前の超低支持率内閣と比べたら雲泥の差です。
普天間問題、習近平事件などなど、鳩山総理大臣の指導力に疑問符をつけるような出来事が続いているにもかかわらず、一定の支持率を得ている不思議さです。

これには、過日の朝日新聞で、従来の派閥たらい回しで選ばれた首相ではなく、自らが選んだ首相だから、国民の中に長期的に評価しようという意識があるのではと分析されていましたが、まさにその通りなのだと思います。

ただ実際のところ、いろいろなところに目を配りすぎかなと思います。
国民との約束も大事、連立与党も大事、同盟国との関係も大事、財政再建も大事、、などなどすべてを同等に扱いすぎるのかなと言う気がします。
ここは一番、何が一番大事なのかを強く主張していただくことが大事なのではないでしょうか。

少なくとも、私としては、今日の記者会見は好感が持って見てました。
今なら、良識ある国民の皆さんは、その決断を尊重してくれると思うのですが。

2009年12月23日水曜日

ミシュラン

今日の新聞に「GOETHE」という雑誌の記事下広告が出ており、「総力特集ミシュラン徹底検証」という見出しに惹かれ文字を追っておりましたところ、「東京版、京都・大阪版における8つの矛盾と疑問」が上げられていた。
曰く
1 鮎もシンコも「それなんですか?」無知な調査員が味を評価
2 食事中に写真撮影!素人写真を勝手に掲載
3 星の見直しには味は関係なし
4 予約した店を平気でドタキャン。上から目線で店を翻弄
5 評価する立場のミシュランが店に京都版制作を依頼
6 ミシュランの陰には名門調理師専門学校もあり
7 断っても断っても勝手に掲載。なのに裁判には勝てない!?
8 客足には影響なし!ミシュランの威力は星の彼方へ

実は、ドイツに滞在していた頃、ミシュランのホテル・レストランガイドには本当にお世話になった。特にホテルを探すときには、とても小さな町であっても、簡単な市街地図にホテルがプロットされており、初めてのところでも迷うことなく逝くことができる代物であった。
特に事前にホテルを決めることなく車でふらりと出かけ、行った先から電話したり、あるいはフロントへ直接乗り込んで空室を尋ねたりするときに、なくてはならないものであった。
このリストに掲載されているホテル、レストランであれば、ほぼ満足できる水準で、まず裏切られることはないという感じであった。

レストランについては、味や雰囲気などを手がかりに4等級に分けられているのは誰もが知るとおりであるが、星が付いていないからといって、決して侮れるものではない。

さて今回、ミシュランの日本版が発行されて、いちばん驚いたのが、ひとつひとつのお店についてとても詳しく書かれていることである。
ヨーロッパなどで手にしていたガイドブックには、お店の紹介は連絡先、所在地、利用できるカード、価格帯などほんの2~3行。写真や絵なんか全くなく、せいぜいお勧めの料理があるところは、それが付け加わっているくらいでした。
だから、昨年初めて東京版を見たときには、こりゃ何じゃ??と思ったものでした。もし、あれから10年で本家のものもあんな風に変わっていたとしたらショックなのですが、、、

そんなこんなを考えると、ミシュランが日本版を出したのは、まさにミシュランが日本をお得意様(カモ)と思っているからに違いなく、あまりバカ騒ぎするのもいかがなものかなと思います。

前に上げた特集も、明らかにミシュランを絶対視、特別視した現れで、名前に便乗して雑誌を売り上げようというあざとい手法には、開いた口がふさがりません。
味覚なんて言うのは、人によって好みが違うのは当たり前、万人においしい食べ物なんて言うのがあるはずがない。
当時のベルリンには確か一つ星レストランが2軒ありましたが、その事実をしていたのは日本人ばかり、現地のドイツ人はほとんどそのことを知りませんでした。

星があろうと無かろうと、おいしいかどうかは自分で決める。好みなんてそんなものではないでしょうか。

2009年12月22日火曜日

冬至

今日は冬至です。久しぶりにドイツ時代を思い出して、書いてみたいと思います。

今日は冬至ですから、一年で昼の時間が最も短い一日でした(ちなみに京都の日の出は7:01、日の入りは16:50だったそうです)。亀岡では、うっすらと白いものが積もるとても寒い朝でした。

日本よりも緯度の高いドイツでは、これよりも当然お日様の出ている時間は短くなります。正確な時刻は分からないのですが、感覚的にはそれぞれ1時間くらいは短いかなという感じです。
当然のことながら寒さも厳しく、まだ太陽も出ていない、凍てつくような寒さの中の出勤はかなり厳しいものがありました。とはいえ基本的には自家用車での通勤でしたので、寒いのは家を出てから自動車にたどり着き、エンジンをかけて車内が暖まるまでの数分間でしたが、それでも氷点下は当たり前だったので、その数分間の移動であっても、しっかり寒さ対策をしていないと、いっぺんに喉と鼻をやられてしまうので、万全の備えが必要です。

この時期、毎朝出かけるときは、真っ暗な中を東に向かって車を走らせていましたので、徐々に正面の空が明るくなって様子は、なかなかに美しいものでいした。
また夜が明けたあと真っ青な空の下、空気が凛と張った雰囲気はとても荘厳で、私の大好きなベルリンの風景の一つで、空気中の水蒸気が凍って、朝日の中でキラキラ光りながら舞う姿は、とても美しいものでした。

また、実際、冬に向かって夜の時間がどんどん長くなっていく様は、精神的にも非常に負担がかかるものですが、冬至を過ぎると、それからは夏に向けてどんどん日が長くなっていく訳ですから、気持ちが少しずつ軽やかになっていくのもこの頃です。

残念ながら、ドイツでは手に入りませんでしたが、柚子湯で暖まるのも日本ならではの冬の楽しみ方ではないでしょうか。

2009年12月20日日曜日

公約その2

今年の年頭の誓いその2は、減量でした。
64kgの体重を60kg以下に落とそう!というものでしたが、今日現在で年頭より+2kg。減らすどころか、逆にアップしており、公約は全く果たせそうにありません。

その昔、病気をする前は80kgくらいありましたから、それから比べればずいぶんスリムになったのですが(当時の背広やズボンは全く役に立たなくなりました。)、年齢も年齢ですからできるだけ無駄な肉は落としておかなければいけません。
昨年の健康診断で、血糖値が若干高めと言われたのですが、それ以外は取り立てて不具合はないので、多少は安心していますが、それでもリスクはできるだけ減らしておきたいものです。

本当は、適度な運動が必要なのでしょうが、寒くなると体を動かすのも億劫になって、それもなかなかかないません。何とかしなければと思うんですが、こいつは来年においても継続課題となりそうです。

2009年12月19日土曜日

高速無料化

平成22年度政府予算の概要が固まりつつあります。
いくつかの目玉事業(あるいは迷走)があるようですが、以前から気になっている「高速道路無料化」について考えたいと思います。

この事業は、この夏の総選挙での民主党のマニフェストに挙げられていた項目で、前の自民党政権が実施していた「週末1000円」の上をいくものとして期待も高かったものです。
ところが、いざ実施してしまうと、
●週末に車両が集中して、大型連休を中心に各高速道路で大渋滞が起こっている。
●列車の利用者が激減し、あるいは瀬戸内航路を中心にフェリー業界が壊滅的な打撃を受けている。
●自動車の利用が増えたせいでCO2排出量も急増している(のではないか)。
などの問題点が噴出している。

では、一体何が間違っていたのでしょうか。

そこでもう一度、高速自動車道路網がなぜ整備されたのかを考えてみたいと思います。
日本で最初に作られた高速自動車専用道路は、1964年開通の名神高速道路だと言われています。
また世界的には、ナチスの時代のドイツのアウトバーンがその第一号とも言われています。
アウトバーンは軍需輸送が目的とも言われていますが、大戦後はいずれも産業用の高速輸送網の整備を目的に建設されました。日本に於いても同様で、より早くより低コスト物流網を整備することで国土の均衡ある発展を促すために整備されました。

もちろんレジャーの要素も無視できませんが、どちらかというと従たる目的と言わざるを得ません。道路の整備で物流コストが下がることで、一般国民も十分その利益を享受できるというのが、公式ではないでしょうか。

であるならば、昨年の経済不況対策での高速道路1000円化はどうすべきだったのか。そう、土日ではなく平日の利用料を下げるべきだったのです。
そのことによって、物流のコストを下げること、そして平日の休暇取得が進み、現在あるような土日の渋滞が平準化されることが期待できたのではないでしょうか。

来年度、実施される高速道路無料化の社会実験に実施に当たっても、少し考えていただければありがたいなと思う。

ところで、非常に単純な疑問なのですが、高速道路の1000円化あるいは無料化では、巨額の政府予算が計上されています。ところが、本来ならば有料を無料にする(減額する)だけなのに、なぜあれほどの経費が必要なのでしょうか。なんか変だと思いませんか。
この辺は、公表されている国土交通省の予算資料をどれほど一生懸命読んでも分かりません。

誰かご存じの方がいらっしゃればお教えいただきたいのですが。

2009年12月18日金曜日

伊藤仁斎古義堂跡

江戸時代、儒教=朱子学とした林一派に対抗し
京都で、儒教本来の思考に帰れ
と唱えた伊藤仁齋の旧宅、「古義堂」跡
府庁のすぐ西側の堀川通りに面している。



map

健康第一

今年の年頭にたてたいくつかの誓いを思い出していたのですが、そういえば今年の目標の第一は「健康」でありました。

5年前の大病については、4年前に一度再発したものの、その後は全く危なげなく、先生曰く「最も危険な時期」を越え、一つの目安であります5年目へ突入いたしましたが、どっこい思わぬ所に伏兵がいたもので、先月末に「急性虫垂炎」で緊急入院・手術をいうサプライズがありました。
昨年夏に一度発症したときに、抗生物質でごまかしたのが、結局は仇になったようで、今回は問答無用で手術と決まったのは致し方ないところでした。

どなたも「虫垂炎」の手術というと、簡単な手術という印象を持たれると思いますが、何事もなければまさにその通りで、部分麻酔で実質30~40分で終わってしまうような簡単な手術です。

ところがどっこい、私の場合は「簡単」とはいきませんでして、決して、腹膜炎を併発していたとか、癒着をしていたと言うことではないのに、結局2時間近くの時間がかかってしまいました。
というのは、私の体質が悪いのか何なのかは分かりませんが、麻酔がほとんど効かなくて、最初にメスを入れたときに、思わず「痛い!!」と叫んでしまい、その後は部分的に効いてきたところから少しずつ切開していくという羽目に陥ってしまったからなのです。
麻酔が、腹部へ回るよう手術台を傾けたり、部分的に皮膚の表面が麻痺するような薬を注射したりと、えらい騒ぎになりつつ手術は進んでいったのですが、最終的に腫れ上がった患部を体内から取り出すときは、まさに激痛を感じ、手術台で雄叫びを上げながらの仕儀となりました。
あまりの痛みに耐えかねていたところ、結局はガスを使って眠らされることになり、最後の瞬間は眠って(気を失って)いたので、痛みを感じることはありませんでしたが、まさに人生最大の痛みでありました。

幸い、その後の回復は順調で、手術後4日目には退院でき、10日後には職場復帰と、今は何ごともなかったかのように過ごしておりますが、一年の最後を飾るにふさわしい(?)とんでもないイベントでした。

ということで、年頭にたてた第一の誓いは、ものの見事に破られたという一幕でした。

2009年12月14日月曜日

天皇の政治利用

先日来、今日から訪日する習近平中華人民共和国副主席と天皇との会見を巡っての、鳩山内閣の「ルール破り」に関して、非難の声が上がり、挙げ句の果てに、宮内庁の長官がマスコミに対して不満をぶちまけるという考えられない事態となっている。
さらに、野党となった自民党からも鬼の首を取ったように鳩山内閣を攻撃する声が上がっているが、「政治利用するな」と言いながら政治責任を追及しようという姿勢には「?」をつけざるを得ない。

私自身は、次期国家主席への就任が確実といわれる習氏の初来日されるに関わらず、天皇との会見が行われないというほうが奇妙と言わざるを得ず、結果的に会見が設定されたことは高く評価したいと思う。
さらに、「1カ月ルール」については、「天皇の健康」という側面からすれば最大限尊重されるべきではあるが、たとえ直近の調整であってたとしても、体調や日程に問題がなければ構わないではないか、というのが自然な感覚ではなかろうか。
今回は、「1カ月ルール」というまさに「しゃくし定規」なルールのみを持ち出して、門前払いを食らわせた宮内庁は、それが仕事なのだろうけど、重ねて内閣からの要請があった時点で、考えを改めるべきであって、その結果についてぐずぐずと不満をぶちまけるというやり方はフェアではない。
もっと、違う議論があってしかるべきなのではないか。と思うのは私だけではないようで、週末の各紙には識者の皆さんのコメントが載っていた中で、唯一私が「なるほど」と思った、日本経済新聞(12月13日)の記事から「御厨貴;東京大学教授」の次のコメントを紹介したいと思います。

御厨貴;東京大学教授
友好親善のための天皇陛下の外国訪問や頻繁な外国要人との会見がすでに政治分野に入っているとも言え、「天皇の政治利用」とも考えられる。そうした状況がある以上、今回のケースの当事国が中国とはいえ「天皇の政治利用」を持ち出すのは論点がずれていると感じる。
「1カ月ルール」を前提とした主張が押し切られた段階で、宮内庁の羽毛田長官は何も言うべきではなかった。すべて政治が悪いとする手法には官僚の無責任を感じる。
「ルールはしゃくし定規」との理屈を前面に押し出し、会見を実現させた民主党政権側も、天皇陛下と外国要人との会見はどうあるべきかという本質から逃げたと言える。今回の議論を契機にいま一度、皇室のあり方を広く検討しようという気運が高まればいい。

犬も歩けば

京都の街中を歩いていると、あちらこちらに「○○○跡」といった碑を見かけますが、京都特有でおもしろいのは、それらがあらゆる時代に渡っていることです。

皆さんご承知のとおり、京都が歴史の中心舞台になったのは、平安遷都から鎌倉幕府開府まで、室町幕府開府から江戸幕府開府まで、そして江戸幕府の幕末からの数年間で、前後およそ1000年以上の長きにわたっています。

もちろん、それらすべての場所が確定されているわけではなく、いわゆる平安時代の建物(大内裏を含む)は応仁の乱(いわゆる「この前の戦争」ですね)までにほとんどが灰燼に帰し、その遺構が定かでないものも多くあります。

そういった、碑を手がかりに街を歩くのも結構おもしろいものです。

たとえば、来年の大河ドラマは坂本龍馬だそうで、再び幕末ブームが訪れるようですが、かの長州藩京都藩屋敷跡には現在大きなホテルが建っておりますし、新撰組で名高い「旅籠池田屋」跡は、長い間パチンコ屋でしたが、今は同名をいただく居酒屋になっております。
かくいう、京都府庁もその昔江戸幕府の「京都守護職」が置かれていたところで、時を越えて同じような機能を持った機関が置かれていることが分かります。

最近は、現在の地図に過去の歴史上の舞台をプロットした地図も販売されており、こういった街歩きの手助けをしてくれます。
しかしながら、こういった手助けがなくぶらぶら歩いている途中で思わぬ発見があることも楽しいものです。

討ち入り

今日は、赤穂浪士の討ち入りの日。2009年、平成21年も12月の半ばとなり、まもなく終わろうとしています。

例年になく、今年の冬は寒さもさほど厳しくなく、北国のスキー場では雪不足のためほとんど営業できない状態が続いているとも聞いています。
ただこういった、ニュースを聞くとすぐに「地球温暖化」に結びつけて話をされる嫌いがありますが、必ずしも科学的な根拠があるわけではないので、感情的にならないよう注意が必要だと思います。

ところで、この時期になると、はてさて今年は一体どういう年だったろうかと振り返ってみるものですが、アメリカで初の黒人大統領が就任したり、国内では選挙による政権交代が起きるなど、新たなスタートを切ったという気分が高まったせいか、恒例の今年の漢字には「新」の文字が選ばれました。一方、懸念されたとおり世界経済にはいっこうに回復の兆しが見られないなど、将来への不安は相変わらずです。

私自身で言いますと、年の最後に「虫垂炎」で入院するなど、波乱の納めとなりました(今後半月は何も起こらないことを想定しております)が、それ以外は可もなく不可もなくといったところであったように思います。

残りの半月で、今年の始めにたてた目標を思い出しつつ今年一年を振り返ってみたいと思います。

京都西町奉行所跡

京都、JR二条駅前の中京中学校の辺りにあったようです。
二条城のすぐ西側になります。



この付近(周辺地図)

2009年12月13日日曜日

書籍販売額

今日の新聞によると、年間の書籍販売額が年を追うごとに減少し、今年は2兆円を割り込むことが確実だそうである。
雑誌の休刊も相次いでいるようで、全く持って寂しい限りである。

活字離れが言われるようになって久しいが、今やそれ以上にインターネットによる情報が氾濫し、現在発行されている書籍でも、インターネットに掲載された文章をまとめたものが結構多い。あるいは、ケータイの画面から、というものさえ存在する。

出版という仕事は、国民に文化を伝えるとこを本旨としているのであるから、その媒体が紙であれバーチャルな画面上であれ、かまわないとは思うものの、やはりごろりと横になって、ページをめくる楽しみは何ものにも代え難いと思うのだが。

2009年12月10日木曜日

今日は何の日

今日、12月10日は何の日か。
今から41年前の1968年12月10日は、世に言う「3億円事件」があった日だそうです。当時、私も幼うございましたが、それでも世間を大いに騒がす大事件であったことを記憶しています。

誰も傷つけずに、あっという間に現金だけを奪っていった手際の鮮やかさに、ある種のヒーローとして取り上げられておりました。

それから7年後1975年には、刑事事件の時効が成立するというので、再び大ブームとなり、時効成立後、名乗り出て手記を書いてくれれば、高額の原稿料を支払いたいと申し出た出版社もあったように記憶しています。

40数年たつと、3億円の価値も大きく下がってしまい、その価値は10分の1以下とも言われています。

それにしても、あの3億円どこへ行ってしまったのでしょうか。

2009年12月9日水曜日

久しぶりの職場では

本日、久しぶりに職場へ行って参りました。
10日ぶりの職場は寒くて寒くてビックリです。

何年か前から省エネルギー対策で、職場の冷暖房の出力が押さえられている関係です。
比較的、夏の暑さは気にならないのですが(ただし湿気はだめ)、寒さにはことのほか弱くできております。
以前は、使い捨てカイロを必ず携行していたものですが、10日ほど留守にしていた間に今年もまたそんな季節になったようです。

2009年12月8日火曜日

長かった、、、ス

今日、ようやく手術後の抜糸をしてもらい、今夜からゆっくりと湯船につかってさっぱりいたしました。ようやく明日から仕事に行くことができます。なんと10日ぶりの出勤であります。この間職場の皆さんにはたいそうご迷惑をかけてしまい、大変心苦しく思っております。

この間は、終日、寝て、食って、読んで、寝てという生活を繰り返しておりましたが、明日から時間通りにすっきり目が覚めるかどうか大いに不安であります。

これから、年末に向けて仕事も忙しくなってくることでしょうが、できれば徐々に慣らしながらスタートさせたいと思っています。

それにしても、、長かったス

2009年12月3日木曜日

自宅安静中

先週末の緊急入院、手術と慌ただしい日が過ぎ、今週に入ると一転して退院、自宅療養と非常にのんびりした日を過ごしております。例によって、暇に任せて溜まりに溜まった本達をせっせと読みふけっておりますが、なかなかこれが減りません。我がごとながら呆れるばかりです。

今回の入院中は、先日知り合いから大量に頂いた『澤田ふじ子』女史の小説を読み漁っております。江戸時代の京都を舞台にした小説が多く、読みながら、「あぁあの辺り、、、」などと考えながら読んでおります。

特に、毎朝二条駅から職場へ通う道の周辺には、京都西町奉行所跡や二条城があり、通う先の京都府庁は京都守護職が置かれていたところです。いわばかつての官庁街を通り抜けているわけです。

まぁ、本を読みながらもそんなことを考えているのですが、それにしても何もしない毎日というのは、本当に長い。私はほとんどテレビと言う物を見ないので、本を読む以外に時間をつぶす方法がないので、結構大変でございます。

医者の見立てではあと5日。どうやって過ごしましょうか。。。

2009年11月30日月曜日

病室の窓から2

窓から見える中学校です。
体育館の屋根南側が太陽光発電パネルになってるんですね
ほんの1時間程前までは霧で真っ白だったのですが、
時間とともにドンドン晴れてきます。

2009年11月29日日曜日

病室の窓から

今入院している南丹病院は、病棟が2つに分かれています。
その上、その間にはJR嵯峨野線と国道9号線。
それらを跨ぐ長い長い渡り廊下で繋がっています。

2009年11月28日土曜日

今日はなんと

今、病院のベッドで点滴を受けながら書いています。
というのは、一昨日の夜に急にお腹が痛み出し、病院へ駆け込んだところ、虫垂炎との診断で、今度は手術ということになったのです。

昨年の夏にも一度痛んだのですが、そのときは点滴で散らしてごまかしました。今回はそうもいかず、切りましょうという宣告を受けてしまいました。

で、手術は昨日の午後イチという慌ただしさで、午前中いっぱいかかって、準備と検査に追いまくられました。

とりあえず手術は無事成功し、あとは傷口がしっかりとひっついてくれたら、すぐにでも退院できるでしょう。

それにしても、まいった!

2009年11月26日木曜日

濃霧

今朝も亀岡では濃い霧に見舞われました。
駅から保津川方向を見てもこのとおり。

2009年11月19日木曜日

雅楽

今日は、仕事で下京区にある市比賣神社へ行ってきました。
とあることがあって、こちらで活動されている「いちひめ雅楽会」の皆さんにお頼み事があって伺ったものです。たまたまその会に所属されている方と懇意にしているもので、そのつてをたどって伺ったものです。
少々虫の良いお願いをしてきたのですが、快く引き受けていただき一安心です。

とはいえ、私も雅楽に関しては全くの素人で、とてもまともにお話ができる立場ではございません。さっそくアマゾンで関係書籍を注文するなど、基礎知識の習得に取りかかりました。

雅楽と言えば、笙とか篳篥などの名前はすぐに思い浮かぶのですが、それ以外となるとなかなか分かりませんが、前の仕事の関係で、京都で雅楽器を作っておられる方を存じ上げておりまして、展覧会に出展してもらったその人の作品の評価額がン千万と言われて、目が点になったのを覚えています。

一は生きている間にいろんな新しいことに出会うもので、まさか自分の人生で雅楽の演奏者の方と接点が生まれるとは思いもしませんでした。いやぁ~、生きているってホントにおもしろいもんですね。

はがため地蔵

下京区、河原町五条を少し西南に入ったところにあります。
阿茶の局の墓所だそうです。



そして、その境内に、こんなものを見つけました。
はがため(歯固め)地蔵だそうです。
もちろんしっかり拝んできました。

2009年11月16日月曜日

インフルエンザ

最近はあまり話題にあがる機会も少なくなってきたのではないかと思う新型インフルエンザであるが、ついに我が家へもその魔の手が及んでまいりました。

まず最初に先週の月曜(11月9日)のこと、小学校4年生の次女が学校へ行くと、なんと半数の児童が休んでいて、即刻4日間の学級閉鎖となりました。最初の一日は暇そうに過ごしていたようであるが、その日の夕方から高熱を発し、翌日簡易検査を受けたところ、A型インフルエンザ(おそらく新型)と判定されました。

我が家には受験生もいることであり、移しては大変とできるだけ一緒にならないように対策を練っていたところが、次女が回復に向かうと相前後して今度は母親が発症しました。自分は絶対にかからないという変な自信を持っていたらしく、マスクをすることもなく過ごしていて、一発で罹患したようである。

その後も、マスクもすることなく他の家族と一緒にいたがるのを無理矢理別室に隔離するなど家族を挙げて大奮戦の週末であった。

今日になって何とか平熱に戻ったようで、ホッと一安心したところであるが、今日職場へ行ってみると、1名が新型インフルエンザ確定で今日からお休み、もう一人疑いありで休暇を取るなど、静かに蔓延してきているようである。

受験生である長女は、今のうちにかかっておく方が安心かも、、などと考えているようであるが、これはあまりおすすめできないというのが、専門家の意見のようである。

巷間言われるように、今回の新型インフルは強毒性でないぶんマシかもしれないが、万が一と言うこともあるので、何とか早く収まってほしいものである。

2009年11月5日木曜日

統合から20年

11月に入って一気に寒気がやってきて、ここ数日は冬のような寒さです。
まだ、雪が降ったり氷が張ったりという寒さではないのですが、その直前まで20度を越える日が続いていたこともあってか、とても寒く感じます。

ところで、同じくここ数日、新聞紙面などでは東西冷戦終結の象徴であったドイツの再統一に関する記事が溢れています。
ドイツのベルリンで、西ベルリンを囲むように設けられていた「壁」が実質的に崩壊したのが1989年11月9日、まもなくあれから20年を迎えようとしているのです。
私が、ベルリンに住んでいたのはちょうど今から10年前。街中では、あちらこちらで壁崩壊からの10年間を回顧しているという時期でした。

いまなお言われているように旧東ドイツと西ドイツの格差は、当時も非常に大きく、経済力はほぼ10対1とも言われておりました。果たして今は一体どうなっているのか、詳細な資料を持ち合わせていないので、何とも言えないのですが、昨今の報道を見る限り、その格差是正は進んでいないのではないでしょうか。

その結果、ドイツの選挙では、旧共産党の流れをくむ左翼党が、順調に議席を伸ばし、今年9月の総選挙でも大きく躍進しました。旧東側の諸州で、現状への不満を持つ層が急激に増加していることの現れかと思われます。

10年前、「『心の壁』は取り払われたか」ということが盛んに言われていました。翻って今のドイツでは、どのような光景が見られているのでしょうか。

東西ドイツ統合から来年10月で満20年。ドイツでは統合後に生まれた子供たちが成人(18歳)を迎えます。ナチスが生まれる少し前、1920年代、ドイツはかつてない繁栄の時代を謳歌しました。新生ドイツは、再びその輝きを取り戻せるのでしょうか。

2009年11月3日火曜日

図書室の思い出

今日の朝日新聞の社説は、学校図書館に関するもので、蔵書の整備と司書教諭の重要性を提起する内容であった。

今から40年近く前、私の小学生時代は学校の図書室が好きで、休み時間にもふらりと部屋へ行って、お気に入りの本を読みふけっていたものである。特に30冊ほどの海外SF小説のシリーズがあって、すべてを読破したときには、何かしらの達成感を感じたことを覚えている。

残念ながら、それ以外にも文学全集などがあったとは思うのだが、そういったものにはついぞ手が出ず、今考えるともったいないことをしたなと思ったりする。

しかしながら、それ以降本を読むことが苦にならなかったことはありがたいことで、SF小説や推理小説にどんどんはまり込んでいってしまったのは、以前にも書いたとおりである。小学校を卒業するとき、当時の小学校の司書教諭の先生に、これからも頑張って本を読んでね。と言われたこともはっきりと覚えている。

今の子供たちは、日常的に学校の図書室へ入るなんてことがあるんだろうか?

今の自分の読書ぶりは、我ながら常軌を逸しているという自覚があるのだが、少なくとも全くの本嫌いではないことをありがたく思っている。本を読むことは、著者の心に触れることであり、その知識を自分の中に移入する行為である。それらが自分の中で熟成されて、新しいものに生まれ変わったりもする。

また、世の中には自分の知らないことがまだまだたくさんある、ということに気づくのも本当に楽しいことである。本を読むことは、やめられない。

今日の新聞を読んで改めて思う、「読書の秋」「文化の日」であった。

2009年11月1日日曜日

名工さん

今日から11月です。
前回の更新からなんと20日ほど放ったらかしの状態となってしまいました。

それというのも、先月の末に京都府の有効提携先であるロシア・レニングラード州から友好提携15周年を記念して、知事一行が京都へ来られると言うことで、その準備などに忙殺され、久しぶりに深夜まで連日の残業となり、とてもブログを更新している暇がありませんでした。
とはいえ、一行は無事帰国され、15周年の諸事業も滞りなく終えることができました。

しかしながら、そのおかげで久しぶりに京都で開催された「伝統的工芸品月間」の全国大会、あるいは「京の名工展」に全く顔を出すことできなかったことが非常な心残りでありました。

特に、京の名工展は京都の伝工芸界の最高峰の技が集う展示会で、よそでは絶対に見られない逸品を一同に見ることができるもので、毎年楽しみにしていたものです。出展されている皆様もこの時にしか会えない方々ばかりで、年に一度、名人たちにあえることを楽しみにしていたのですが、これまた来年までお預けです。

来年こそは必ずまいりますので、京の名工の皆様、お元気で!!

2009年10月11日日曜日

久しぶりに

先週一週間は、結構盛りだくさんの行事があって、ブログを更新している時間がありませんでした。
3連休初日の昨日も仕事で終日外出していたのですが、仕事が終わった後、本当に久しぶりに大学時代の恩師と夕食をご一緒しました。

大学のゼミの指導教官で、現在は首都圏の大学で教鞭を執っておられますが、京都で開かれた学会に出席されており、その合間を縫って時間を作っていただきました。
宿泊されていたホテルから、木屋町や先斗町などを歩きながら、店を探しつつ夕食をとったのですが、まぁものすごい観光客、不況のせいで少なくなったとは言いながら、明らかにそれと分かる観光客、外国人などで、いずこも大盛況でした。ありがたいことです。

先生とは食事をとりながら、同級生のその後の話などをしていたのですが、卒業後25年、当時の先生の年齢をとっくに超えてしまい、来年には娘が大学受験です。大いなる時の流れに改めて思いを馳せました。
昔は、毎週のように先生の後にひっついて、飲み歩いたモノでしたが、昨夜は打って変わって、アルコールはほとんど抜きのあっさりした食事といたしました。

私自身、これまで生きてきた中で、明らかに自分の生き方、考え方に影響を与えたと自覚できる人物というのが数人あって、この先生はそのうちの一人です。あの当時の先生のスタイルに自分のスタイルを少しでも近づけたいと思ったものでしたが、長い空白の期間があって、今の私の頭の中には、今の自分より数段若い姿しか残っていないのが残念です。

今はいささか遠く離れておりますので、頻繁にお会いすることがかないませんが、また機会を見てお会いしたいものです。どうもありがとうございました。

2009年10月3日土曜日

ドイツ統一記念日

今日は10月3日、ドイツの統一記念日です。
1990年の今日、東西ドイツが統一され、現在のドイツ連邦共和国が誕生しました。

折しも、先週はドイツの総選挙で、メルケル首相率いるキリスト教民主同盟(CDU/CDS)が第一党となり、自由民主党との連立政権を組むことになりました。いわゆる下院第1党と第2党が組む大連立時代は、いったん幕を閉じました。

4年前の選挙で大躍進した左翼政党が、今回もさらに得票率をのばし、その分社会民主党(SPD)が議席を大幅に減らす、という結果になったモノです。
既成の大政党が飽きられて、小政党が徐々に大きくなっていく。
ドイツ社会の大きな動きが反映された選挙結果なのでしょう。

中秋の名月

今日は中秋の名月でした。

昼間に、月見団子を買い、保津川の河原でススキを失敬し、万全の体制で待ち受けておりました。
次女が理科の授業でちょうど月に付いて勉強しているということで、20時と21時に月の観察をし、その違いを調べるという宿題が出ていたこともあって、一緒に外へ見に出たのですが、20時は厚い雲に覆われて、損竿すら確認できませんでした。

そして21時、どうせだめだろうと思いつつ外へ出てみると、南東の空に浮かぶ雲の端辺りがほんのりと明るくなったかと思うと、強い風にあおられて、ほんの一瞬雲の隙間から月が顔を出しました。

今回は、2回の比較ができなかったので、宿題の完成は明日にお預けとなりましたが、一瞬だけ顔を見せたそれは、まごうことなきまん丸の美しいお月様でした。

2009年10月1日木曜日

妄想の季節

今日から10月でございます。
役所では、4月からの上半期が終了し下半期に突入というところです。

この時期、ようやく組織全体の仕事が軌道にのってきて、様々な事業が同時並行で進み始め、どことも忙しさが本格化する頃です。そしてさらに、そろそろ次年度の予算編成に向けた作業も始まります。
目の前の仕事をこなしながら、来年度の姿を同時に描くというのは結構至難の業でして、発想の転換が必要です。しかしながら、慣れてくるとそれはそれで結構楽しかったりします。

今も、来年度に向けて、あんなこともしたい、こんなことも事業化したいと、妄想をたくましくしている毎日なのです。

2009年9月24日木曜日

連休疲れ

ここ数日、やや忙しい日々が続いていたため、更新がすっかりお留守になっていて、久しぶりに自分のブログを開いてみると、2週間も放ったらかしの状態が続いていたようで、少々反省しております。

昨日までのいわゆる秋の5連休は、天候にも恵まれ、各地とも大変な賑わいであったようである。
京都市内もご多分に漏れず、大変な人と車だったようで、自宅でひっそりとしていた身としては、少なからず溜飲の下がる思いでありました。

我が家の連休中のお出かけは舞鶴への墓参りだけで、こちらは渋滞を避けつつ無事に往復することができました。
上の娘は受験生と言うことで、連休中も学校へ行ったり、部屋へこもったりと、参考書、問題集と悪戦苦闘を続けておりました。一方、下の娘は、連休初日の19日が小学校の運動会だったもので、代休となった今日までが5連休となり、ゲーム、テレビ、ゲームを際限なく繰り返していたようです。

この、イレギュラーな休暇も終わり、さぁ一仕事と思ったところが、2日を置いて、すぐ週末がやってくるなど、なかなか仕事モードに切り替わりません。
明日一日を何とか乗り切って、来週からはがんばるぞ!と決意を新たにする今日でした。

2009年9月11日金曜日

9.11

今年も9.11がやってきました。あの恐ろしいテロから8年になるんですね。

昔、私が初めて商工行政のセクションにきたときに、あの世界貿易センタービルの一角を使ったイベントの担当者となりました。当時はニューヨークに駐在員がおりましたので、彼の力によってできたイベントでした。
その後、機会があってあの場所を初めて訪れたときには、改めてその建物の巨大さに圧倒されたものでした。

しかしながら、今はその建物もないのですね。
私とニューヨークとの接点は、まさにその一点だけでしたので、あの大惨事の後も身に迫るほどのショックというのは感じませんでした。とはいえ、一瞬にしてあれだけ大多数の生命を奪ってしまう無差別テロに対する怒りを感じなかったわけではありません。

自らの主張を通すために、暴力を以て世の中に問うというのは、けして許されるべきではありません。お互いが対話によって、合意点を見いだしていくと言う手間を惜しんではならない。人としては当然のことだと思うのですが。

秋の空

2009年9月9日水曜日

健康診断

先日、職場の定期健康診断があって、ひととおりのチェックを受けて参りました。

今でも、半年ごとの精密検査を受けてはいるものの、CTとかMRI、PETなどが中心で、内科的な検査は受けていないので、この健康診断が唯一の機会となっています。

昨年は、血糖値が若干高めで再検査を受けましたが、今回はクリアをしたようです。ただ、血液中のヘモグロビンA1cの値はわからないで、まだまだ気になっているところです。

ところで、私が働く職場はお役所でございますので、この定期健康診断も実施する事業者は競争入札で選ばれます。従って、年によって実施する事業者が違うのです。
これが実はくせ者でして、事業者が違うと検査する項目も少し違うのが困りものです。

尿検査や心電図、X線検査など基本的な検査は同じなのですが、たとえば同じ血液検査でも検査項目に違いがあったりします。従って、去年はあった数値が今年はありませんということがあって、簡単に数値の変化を追っかけていくことができないのです。

また、検査時に渡される検査シートには過去の受検時のデータが記載されているのですが、当然のことながら、他の事業者が実施した年のデータはそこには載っておらず、今回は一昨年のデータがそこに記載されておりました。

その上、どうも再検査が必要かどうかの基準というのが、事業者によって違うようで、我々の間でも、「今年は厳しいところや」という会話が交わされたりします。

まあ。こういうものは少し厳しい方が我々にはありがたいのですが、結構気分も上下したりしますので、厳しい基準であって、なおかつそれをクリアしているというのが望ましいところです。

2009年9月8日火曜日

“怒り”について

9月の第一週は比較的さわやかな日が続きましたが、第二週に入り、若干蒸し暑さがぶり返し、過ごしにくい日が続いています。

こういう日は、体調だけでなく心理的にも変調を来してくるようで、日によって気分が高まったり落ち込んだりと、ジェットコースターのように激しく変化しております。

今朝も職場へ向かうべく歩道を歩いておりましたら、後ろからチン!という音がしたので、驚いて飛び退いたところ、ものすごいスピードの自転車がすぐ脇を走り抜けていきました。後ろ姿から想うに若い通勤途上の女性のようで、前を歩く人たちの間をすいすいとすり抜けて、あっという間に見えなくなってしまいました。

あっけにとられてみていた後に、改めて心の底から怒りがこみ上げてきて、思わず罵りの言葉を吐いてしまいそうになりました。何とかここは踏みとどまったのですが、改めて自分の心がささくれ立ってきているのに気がつきました。

最近いろいろと手にしている先哲による書物を読んでいると、いかに怒りをコントロールするか、いかに冷静さを保ち続けるか、と言ったことに触れる文章に巡り会うことがあります。プラトンの対話集などを読んでも、ソクラテスはなぜいつもこんなに冷静に話ができるのか、と言ったところについつい気持ちがいってしまいます。

実際のところ、相手に対して関心を抱かなければ、怒りを押さえることは比較的簡単です。しかしながら、そうすると共感し、理解しようという気持ちが削がれてしまいます。

周りのヒト、モノ、コトに共感、理解しつつ、なおかつ"怒り"という感情をコントロールする。人生というのは、一生修行ですね。

2009年9月6日日曜日

引き際には

9月に入って、早1週間がたってしまった。
今年の夏は、雨がちであまり気温が上がらなかったが、その分残暑が厳しいという予報が出ている。

長女の高校は来週末が文化祭、再来週の末は次女の小学校の運動会で、どちらも毎日練習練習でくたくたになっている。特に長女は、最後と言うこともあって、かなり気合いも入っているようである。

ところで、政権交代に浮かされた総選挙から1週間が経ったが、国会が始まるまでは、もう1週間待たなくてはいけない。その間は、現在の麻生総理大臣他の皆さんがその仕事を続けているわけだが、どうにも気合いに入ってないことである。

次の国会が始まれば、否応なく総辞職し、その後引き続き与党として采配を振ることができないわけであるから、仕方がないと言えばそれまでなのだが、せめて引き際は美しくやってもらいたいモノである。

巷間言われるように、今回の総選挙は国民が、この4年間あまりに無茶をやり過ぎた自民党にすえたお灸という性格が強い。一回くらい民主党にやらせてみようか、と国民の大多数が考えたために起こった状況であろう。

従って、民主党はかなりプレッシャーを感じながら政権を運営していかなければならないだろう。とはいえ、波乱が生じることは、かえって期待するところで、これまでの自民党政権時代のように、ずるずると知らぬ間にすべてが進んでしまっているということはないようにしてもらいたい。

そのためにも、自民党には野党としてのしっかりとした役割を果たしてもらいたいモノである。ただ、今度の選挙結果によると、自民党は人材がいなくなってしまった。害にしかならないような長老が残って、中堅どころがいなくなってしまった。この先の4年間を支える人材が見あたらない。まずは最初の総裁選挙に注目である。

2009年8月30日日曜日

大風

今日は総選挙の投票日でした。
この文章を書いている時点では、まだ開票が始まったばかりですが、例によってマスコミ各社の出口調査によると、民主党圧勝、300議席を越える勢い、だそうである。

前回選挙で当選した、○○チルドレンたちは軒並み議席を失っている。
自民党の重鎮たちも続々と落選を決めている。

私たちの仕事は、時の政権の影響を直接に受ける仕事をしている関係から、週明けからの流れが、どのような方向に向かうのか、興味津々というところである。

それにしても、今回の風は、前回の小泉旋風以上にすざましかった。

2009年8月24日月曜日

世界陸上

昨日の女子マラソンは、盛り上がりましたねぇ。
尾崎選手の銀メダルは立派!!本当におめでとうございます。

とはいえ、私がテレビにかじりついて一生懸命見ていたのは、レースよりもベルリンの町並みでした。

今回のコースは、いつものベルリンマラソンのコースとは違って、ベルリンの中心部の10kmを周回する、非常に珍しいコースでした。ブランデンブルク門やポツダム広場、ウンターデンリンデンと懐かしいスポットを見ることができて、その意味でも非常に楽しめた中継でした。

10年前に私がいた頃は、まだまだ都市建設の途上にあって、連邦政府の施設もほとんどが建設中でした。今見ると全く違う町のようにすら見えます。それでも、石畳の道路やトラムの路線、旧東ベルリンの無機質なビルなど当時と全く変わらない風景も目にしました。

またいつかあの空の下に立ちたいものです。

2009年8月22日土曜日

総選挙

総選挙の投票日まであと1週間となりました。
世間的にはほぼ終盤戦で、マスコミ各社の当落予想も出そろっている。

どこの調査を見ても、民主党の圧倒的勝利を予想しており、単独で300議席。ひょっとすると票をたくさん取りすぎて、比例区の候補者が足りなくなるのではとか、立候補者全員当選などという予想を立てているところすらある。

どこの調査においても、3割から4割は投票先を決めていないらしいので、結果は流動的とはまとめているが、この時期に投票先を決めていない人が、最終的に投票に行く可能性は低いのではないかと、私は考えているので、それほど結果に影響を与えるとは思えない。

それよりも、今後影響を与えるのではないかと思っているのが、民主党への勝ちすぎ警戒感というか、このまま独走し3分の2以上の議席をとらせてはいけないという「集団理性」というものが働くのではないかと考えている。

前回の郵政選挙で我々が経験したことは何か。与党に3分の2以上の議席を与えることが、どれほど我々の生活を破壊することにつながるか。そのことを身をもって知ってしまった知ってしまった我々の理性が、与党独裁を認める方向には働かないのではなかろうか。

そんなことを考えています。

2009年8月20日木曜日

8月20日

今日は私にとって特別な日です。

今から5年前の8月20日、初めての手術を経験しました。
ひょっとすると、下顎が無くなるかもしれません。といわれて臨んだ手術でしたが、最小限の切除で済ますことができ、何とか今もあごが付いています。
しかしながら、神経をかなりの部分切除したため、口唇の左下部分は今も今後も自力で動かすことができません。しかしながら、ひょっとしたら、味覚もなくなるかもと言われていたところが、その部分は温存してくれたので、今もおいしいモノをいただくことができています。

それから1年後8月19日に2度目の手術を受けました。
今度は首の周りの肉をほとんどとってしまったので、首回りが驚くほど細くなりました。

今日8月20日はそれから満4年、5年目に突入です。

主治医によると、この病気は最初の1年がもっともリスクが高く、年を追うごとにそのリスクは低下していくそうで、4年間無事に来られたのだから、まず今後も心配なかろうと言われています。

この5年間で、自分の生活は大きく変わりました。

何よりも、外圧を受け流し、ストレスを溜めなくてもすむようになってきたことが、大きいと思っています。むしろ、ストレスを栄養にして生きてるような感じすらしています。あとどれくらいこの調子でいけるか分かりませんが、今後も「ケセラセラ」で生きていきたいと考えています。

2009年8月18日火曜日

スタート

今日、ようやく総選挙の公示がありました。
先月の解散からおおよそ1ヶ月。気持ちの上ではほとんど終盤戦という感じであるが、正式には本日から一斉にスタートである。

現在のところ、民主党の圧勝、自民党の惨敗というというのが、世論調査の動向のようであるが、こればっかりは最後の結果が出てみないと分からない。
意外と、民主圧勝にはならないように、最後のところで「神の見えざる手」が介入してきそうな予感がある。実際のところ、現在の与野党の舌戦を見ていると、こうなったら失うモノは何もないと開き直ったためか、絶対与党の自民党が攻め手で、本来攻め手であるはずの民主党が守勢に回るという一風変わった選挙戦となっている。

選挙後にどのような世界が見えるのか楽しみである。

ところで、今回の自民、民主のスローガンであるが、自民党が「責任力」、民主党が「政権交代」としているが、これはどうなんだろうか。誰が考えたか知らないが、毎年の政権放り出しで、責任力のなさを露呈した党がそれを言っちゃぁいかんよな、と思うのだがどうだろうか。また民主党も「政権交代」が唯一の主張とは情けない。鳩山さんの好きな友愛でも好いから、政権交代後に私たちに提供してくれる社会の姿を提示してほしいモノである。

こうやってみると、本当に将来を任せられる政党が見あたらないというのが、本音のところである。困ったもんだ。でも、8月30日には、投票へ行きますよ。必ず。

2009年8月13日木曜日

盆帰り

世間はすっかりお盆のシーズンで、行き帰りの電車もかなりゆったりとしております。

しかしながら、今年のお盆は、明けたか明けなかったかよくわからないような長梅雨、時ならぬ台風、だめ押しは大地震と日本列島が北から南まで自然に翻弄された末にやって参りました。

今年は特に、高速道路の一律千円バーゲンで、大渋滞が予想される上、日本の大動脈東名高速道路の通行止めという予期せぬ事態となりました。道路管理会社は、突貫工事で復旧作業に当たっているようですが、何よりも安全を第一に作業に当たってもらいたいものです。

さて、私も明日父を連れて実家の墓参りに言って参りたいと思っています。今年は墓掃除に行く時間が無かったので、それこそ突貫作業で掃除して墓参り、と考えていたのですが、父の弟(私から見ると叔父ですが)が、先だって掃除をしておいてくれたそうです。

明日は、その叔父達も一緒に墓参りの予定です。父も楽しみ致しております。夕方から雨が降り出してきましたが、明日はお天気でありますように。

ところで、この時期になると思いだす歌があります。昔好きだった、小椋桂の唄ですが、中村雅俊さんが歌ってヒットしました。


「盆帰り」 作詞・作曲 小椋 佳

君が着た花がすり 君が舞う花まつり ひとときを故郷の ふところに遊ぶ
明日には村はなれ 汽車に乗り村わすれ 一年を忙しく過ごすのは何故
汽車に乗れば 故郷の 手土産の一輪の 花の色 あせることを知りながら


暮れ方の盆がえり 火を落とす花まつり 今宵また故郷の 駅を発つ人影
いくつかの年月を くり返すこの旅を 窓に寄りいわれなく思うのは何故
汽車の窓に 移りゆく 景色に似て何もかもが めまぐるしいだけの場所へと知りながら

ひとときの盆がえり すぐにまた振りかえり 気ぜわしく上りの汽車 乗り込むのは何故

せせらぎに素足で水をはねた
夕暮れの丘で星を数えた
突然の雨を木陰に逃げた

故郷の君の姿 ぬぐいきれないと知りながら

ララララ・・・・

2009年8月12日水曜日

危ない!!

こんなことがあるんですね。

恐ろしいことです。私も気を付けねばと思います。
幸い、私が読んでいる本の半分以上は図書館からの借り出しですし、購入も文庫本が中心です。

それにしても、ちりも積もれば、、、、

2009年8月11日火曜日

西洞院高辻西入ル

道元禅師示寂の地だそうです。

逆説の10カ条

皆さんは「逆説の10カ条」というのをご存じですか。
国内国外を問わず、インターネットの世界などで広まった言葉で、マザーテレサが大変愛した言葉であったそうです。

元々は、今から数十年前にとある大学生が、高校生向けに作られたパンフレットのために書いた文章だったそうですが、作者の知らない間に世界に広まり、マザーテレサを通して改めて作者の目に触れ、本人が一番驚いたという曰く付きの文章です。

この作者が、その後当時を思い出しながら書いた本が「それでも人を愛しなさい」という本です。今正にその本を読んでいるのですが、それぞれの言葉に至った出来事が語られている小冊子で、非常に読みやすい本です。

この本を手に取ったのは、確か誰かの本で紹介されていたのだと思うのですが、今となっては全く思い出せません。非常に残念なことです。私が読む本は、ほとんどがこういった芋蔓式に読み続けていくという方式です。

なお、面倒なことに、同時に複数の本(通常四、五冊程度)を同時並行で読んでいますから、この芋蔓はとてつもない早さをもって広がっていきます。
我ながら、何とか集束させていかねばと思うのですが、なかなか収まりません。

ということで、この10カ条にもどるのですが、以下に全文を引用させていただきます。
なかなか味わい深いと思いませんか。なかなか実践はできませんがね。

逆説の10カ条 ケント・M・キース  訳;大内博

1 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
  それでもなお、人を愛しなさい。

2 なにか良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。

3 成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになる。
  それでもなお、成功しなさい。

4 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。

5 正直で率直なあり方は、あなたを無防備にするだろう。
  それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。

6 最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。
  それでもなお、大きな考えを持ちなさい。

7 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後ろにしかついていかない
  それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8 何年もかけて築いたものが、一夜にして崩れさるかもしれない。
  それでもなお、築きあげなさい。

9 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
  それでもなお、人を助けなさい。

10 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
 それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

2009年8月7日金曜日

夏休み

もうすぐお盆ですね。
民間企業では、来週辺りは、ほぼ1週間お盆休みと言うところも多いと聞きます。
これも、時の経済状況に左右されますので、必ずしも諸手をあげて大歓迎とはいかないようです。

残念ながら(?)役所では、完全閉庁とはいかず、職員同士で調整しながら交替で有給休暇を取っていきます。
実は私も昨日一日お休みを頂きまして、かねて念願の「永平寺」へお参りしてきました。

越前の山中とはいえ、蒸し暑く、少し動くだけでも体中から汗が噴き出すような気候でした。
顛末については、いずれまた御報告をしたいと思いますが、当山を一言で言うなら、我々が物見遊山で行くところではなく、まさに「修行道場」という感じでした。

帰りには、「一筆啓上」で有名になりました「丸岡城」へ寄って帰って参りました。

知らず知らず結構歩いたせいか、ふくらはぎが痛くなってますが、なかなかに有意義な夏休みを送らせていただきました。

2009年8月4日火曜日

脱走!!

昨日、びっくりするような新聞記事を目にしました。
国によって法律・制度は違うと判っていても、実例を目にすると改めて驚くことがたくさんあります。

脱走と言うことで思い出すのは、ビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」です。
その昔、ロングランのミュージカルにもなり日本では劇団四季が上演して、大ヒットしましたが、実は大学生の頃と社会人になってから2度全巻(岩波文庫で7巻までありました)を通読しました。

その昔、小学生の頃、担任がお休みで替わりに授業をしてもらっていた教頭先生が、本を読むことのおもしろさについて話をしてくれて、特に推奨の本として「あぁ無情=レ・ミゼラブル」を挙げて紹介してくれました。

おそらく、図書室に行けば児童向けの本があったのでしょうか、その時はさしたる興味も覚えませんでした。

ところが、大学生の頃、歴史小説にこり始めた頃から、海外の名作文学にも興味を覚え始めまして、少しずつそれらにも手を出し始めました。

その中で、この「レ・ミゼラブル」には大変な感銘を覚えました。大変長い話ではありますが、途中には何度かヤマ場が訪れ、全く飽きさせない展開が続き、何よりも最後の数頁は何度読んでもナミダが止まらない名場面です。まさにこの感動の瞬間のためだけに、この長い長い物語が書かれているのだ、と深く感じ入った次第です。

皆さまもぜひお試しあれ。

2009年8月3日月曜日

伝統産業の復興のためには

先日、とある機会がありまして、私の知り合いの蒔絵師さんに1時間程度の講演をしていただきました。内容は、氏が携わられた代表的な作品の制作秘話や常日頃のお仕事、仕事に使う材料や道具など幅広い内容について、非常に判りやすいお話しでした。

講演会の聴衆は、府内で活躍する伝統工芸の若手職人さんとこれまた府内の大学で学ぶ海外からの留学生さん(日本語の達者な方ばかりです)という異色の組み合わせでございました。

結構専門的な単語や言い回しもあって、留学生の方々には難しかったかなと思ったのですが、途中で数種類の作品を実際に手に取らせてくれたり、制作風景を撮影されたDVDを上映してくれたりと、興味の尽きない内容で、眠ることなく最後まで静かに聞いてくれました。

お話しいただいた内容は、何度か断片的に氏からお話しいただいたことの総集編の様な中味でしたが、しばらくこの世界からは離れていたので、改めて新鮮な思いで聞かせていただきました。

講演の後、昼食をご一緒しながら引き続きお話を伺う中で、今の業界を嘆く次のような言葉がありました。

曰く、今の伝統工芸業界の人々(特に職人さんと呼ばれる人たち)は、総じて自分や自分の仕事をPRする事を怠りすぎており、このままでは一般の消費者の方たちから見向きもされないようになってしまうのではないか。

中には、そう言ったことに長けている方(特に若い人たち)もいるが、実は仕事がないといって嘆いている方たちこそ自分たちをPRする努力をしなければいけないのではないか。

全くそのとおり。我々行政の仕事でできることは高が知れています。やはり実際にその仕事に携わっている方々が、それこそ「ヒッシのパッチ」で頑張っていただかないと、失礼ながらその方々の事業の将来はおぼつかないものと思います。

日本の特に京都の伝統産業、頑張って!!

梅雨明け

8月に入り、今日ようやく長かった梅雨が明けました。
梅雨に入ったのが6月9日ですから、まる8週間の長梅雨となりました。

そして、いよいよ総選挙に月間突入し、こちらは、予定されている8月30日の投票日まで4週間です。

巷間言われているように、解散したのが7月21日、憲法で許されている40日間を最大限利用した日程となっています。
真夏の選挙戦ですから、これから候補者の皆さんは灼熱の炎天下で国民に政策を訴えることになります。人ごとながら大丈夫かしらと、非常に心配します。
候補者の皆さんは、水分補給をしっかりと、最終日まで健康を損なうことなく、頑張って欲しいものです。

それにしても、今回の40日間という選挙戦は長いと思いませんか?上述した暑さ対策だけではなく、経費のかかり具合も半端ではないと拝察いたします。正に体力勝負の様相です。

先日、成人年齢の見直しの話を書かせてもらいましたが、その後長女に選挙についての話をしてみたところ、本人は非常に興味を持っているようで、早く選挙に行ってみたい、というのが彼女の第一声でした。
具体的な投票行動の中味については聞きませんでしたが、同級生の間でも話題になっていたようで、残念ながら自分たちはその恩恵には浴さないだろうと皆残念がっていたそうです。

選挙権を持っていない世代が、このように考えています。選挙権を持っている我々はちゃんとそれを行使しなければいけませんね。肝に銘じておきたいと思っています。

2009年7月31日金曜日

Happy Birthday

今日は長女の18歳の誕生日です。
いつまでも子どもだと思っていたのですが、気が付けばこんな年齢になっていました。

はからずも、つい先日法制審議会が成人年齢の引き下げについての最終報告をまとめたという記事が各新聞紙上を賑わせました。

朝日新聞より

もう充分と思うか未だ早いと思うかは意見の分かれるところだと思いますが、最近では我が娘も、ニュースなども気にして見ているようで(もちろん紙媒体ではなくネットですが)、十分に判断が下せる年齢になってきたのかなと思わせます。
一方で、すべての法律行為について大丈夫かというと、決してそうでもありません。未成年に限らない消費者保護政策の必要性は、新聞諸氏の説かれるとおりかと思います。

としたところで、我と我が身の18歳当時を思い返してみたのですが、私が実家を離れたのが実はこの歳でした。

高校を卒業した後、入れる大学が無く京都市内で1年間浪人生活を送ったあげく、香川県の大学へ進学しましたが、一人暮らしを始めた当座は、いっぱしの大人になったつもりで、不安よりも将来への希望で胸一杯という状況でした。そして、その後は京都市内を中心とした職場に勤めた関係上、一度も郷里へ帰って住むことはありませんでした。

そんなことを考えていると、長女と一緒に暮らせる期間もそれほど長くはないと言うことにも気づかされました。本人は何も深くは考えていないかもしれないけれど、それなりに覚悟を決めておかなければいけないな、と思い知った今日でした。

2009年7月30日木曜日

魔の8月

今年も「魔の8月」がやってきます。

別に、何があるというわけではないのですが、5年前生まれて初めての「ガン告知」を受けたのが8月のお盆前のことでした。
7月下旬から歯肉に腫れと痛みがあったので、歯科医に通っていたのですが、全く好転の兆しが見えなかったので、大学病院で検査をしてもらったところ、判明したものです。
その場で直ちに手術日が決まり、それに合わせて入院日も決められました。

手術までは一週間ほどあったでしょうか。最悪下顎を切除するかもしれないと言われていたのですが、最小限の切除で済み、三ヶ月ほどの入院を経て社会復帰をすることができました。(おかげで20kg近い減量をすることができました!)

それからは、平穏に暮らしていたのですが、翌年の8月、思いも寄らぬ再発という事態に見舞われました。さすがに驚きましたが、こちらも何とか手術をクリアし、念のための放射線治療を経て、およそ三ヶ月でこの世に帰って参りました。

それ以来、8月が来るとなかなか心穏やかとはいかず、何ごともなく秋を迎えるたびに、心の中でガッツポーズを取っております。

今年もその8月がやって参ります。今年は職場と仕事の内容が大きく変わったことで、例年になくストレスが溜まる8月になってしまいそうですが、何とか無事乗り切れますように、心底祈る毎日です。

2009年7月24日金曜日

日曜日はお買い物?

この度フランスで商店の日曜営業を認める規制改革法案が議会を通過したそうである。
労働団体は、労働強化につながるとして、憲法裁判所に持ち込む考えだとか。

実はお隣のドイツでも同様の法律があり、日曜日の商店の営業は原則禁止されている。
最近は営業時間を規定する法律の制定権限が、連邦政府から各州政府に移譲されていて、州によってその扱いは様々であるらしい。(※詳しくは

ところで、ここからは10年前の思い出話である。
私が彼の地にいたのは1997年から2000年にかけての3年間で、ちょうど永日の営業時間が20時まで、土曜日が16時まで延長された直後であった。

当時、日本では24時間営業のコンビニエンスストアがあちこちにできていた頃で、うって変わった不便さに戸惑ったものである。
土曜日は、どこかでランチを食べてその後買い出しに行くというのが、決まった行動パターンで、16時に間に合うように、ダッシュしたものである。
日本であれば、閉店間際に駆け込んでも、買い物が終わるまでは待ってくれるものであるが、あちらでは情け容赦なく、どんどん閉鎖されていくので、全く油断はなりません。

何とか買い物を済ませても、今度は日曜日の過ごし方というのが結構難しくなってきます。例えばどこかへ出かけたとしても、ドイツ国内であれば、町の中心部の商店街はすべて店を閉めていて、おそらく普段であれば人通りが多かろうと思える通りでも、ほとんどゴーストタウンの様である。

そういうときに、急にモノが必要になったらどうするか、以前ならどうにもならなかったようであるが、私がいた頃は徐々に規制が緩和されてきた頃で、ガソリンスタンドの24時間営業(日曜を含む)は認められていて、その併設ショップと言うのが結構重宝したものである。元々はドライブに必要な物を販売するためのショップであったはずが、いろんな物を販売するようになり、規模はちいさいものの、あたかも日本のコンビニの様であった。

とはいえ、慣れというのは恐ろしいもので、3年も暮らしているとその不便さにもすっかりと慣れてしまい、帰国した後の街のにぎやかさ(特に日曜日の!!)には、逆に大いに戸惑ったものである。
もちろん、それに慣れるのも早かった!!

電車内の風景

自宅のある亀岡から京都市内まで毎日JRで通勤しているのですが、以前にもお話ししたとおり、その時間のほとんどを読書時間に当てており、車内を見回すことはほとんどありませんでした。

ところが、先日たまたま車内が混雑していたので、本を読むこともなく、車内の吊り広告を何とはなしに見ておりました。すると、かつてはよく見かけた週刊誌の見出しやイベントの案内などが姿を消しており、ほとんどがJRのキャンペーン広告となっておりました。

これは乗客の少ない嵯峨野線だけの現象かと思っていたのですが、昨日たまたま乗り合わせた東海道線の新快速でも状況は全く同じでした。

知らない間に世間はこんな風になってしまっていたのですか。
それとも、たまたま巡り合わせが悪かったのでしょうか。
ちょっと気になる現象でした。

2009年7月22日水曜日

読書狂い

今日は、今年に入って203日目(のはず)です。
今日、読み切った本が、今年に入って丁度203冊目。
ついに日数に追いついてしまいました。

以前にも明言したとおり、今年は量より質。年間200冊程度を目標にじっくりと本を楽しもうと思い、1月、2月はそのつもりで、セーブしながら読んでいたのですが、いつの間にか固い決意もどこへやら、ここ数ヶ月は貪るように読んでいます。

いけないなとは思うのですが、どうにも止まらない状況です。

ところで過日今年上半期に読んだ本(小説)、というサイトを見かけました。

それによると、2009年上半期で最も読まれた小説は「夜は短し歩けよ乙女」森見登見彦だったそうです。たまたま先日彼の別の著書を読んで、京都を舞台にした奇妙な世界にう〜んとうなっていたところだったので、これも読んでみようかなと思っています。

昨年来、手に取る本は、フィクションであったりビジネス書であったり、はたまた古典、宗教、哲学書が中心で、小説はほとんど読んでいなかったので、その反動かここへ来て無性に小説が読みたくなってきています。

これも、最近の小説も好いけど、古典(ではないけど)夏目漱石、宮沢賢治、などにも曳かれています。だれか面白い小説を教えてください。

7月23日と言えば

先週関東方面で梅雨が明けたと発表されたようであるが、こちらではなかなか梅雨が明けません。
17日の祇園祭山鉾巡行は、梅雨空の下何とか実施できたようであるが、その後はずっと雨模様です。
この間、何度も大雨警報が出されるなど、梅雨末期の集中豪雨が心配され、現に各地で土砂災害も発生しているようです。

特に山口県では、特殊養護老人ホームが被災し、亡くなられた方々もいらっしゃいます。実は、私の父が住んでいるホームも亀岡市内の山間にあって、地形的には土砂災害の心配があるところであり、人ごとならぬ不安を覚えています。

1982年(昭和57年)の長崎豪雨(あの眼鏡橋が破壊されました)。翌1983年(昭和58年)の山陰豪雨。いずれも多数の死者を出した記録的な大水害でした。
実は、この2つはいずれも7月23日に発生しているのです。

当時、私は大学生でしたが、この2年続きの奇妙な符合に背筋を冷たくしたものです。
私の実家も背後に小高い山を背負っており、土石流の危険があるところでしたし、すぐ近くを流れる由良川は、毎年のように氾濫を繰り返す恐ろしい川でした。
他人ごとではない事件であったと記憶しています。

その後、私は今の仕事に就き、ほんのしばらくの間でしたが、土石流災害対策の仕事をする機会がありました。そのときには、過去の様々な災害の様子を見ることになりましたし、その恐ろしさについても、科学的に学ぶ機会を得ることができました。

「天災は忘れた頃にやってくる」と言いますが、昨今のゲリラ豪雨を見ていますと、私たちの今の生活が一瞬で破壊されてしまう危険は、いつも私たちと隣り合わせにあると考えなければいけません。
更に先人は「備えあれば憂いなし」とも言っています。

何時、何が起こっても、自分と自分の家族の生命が守れるように、備えておかなければいけないと思いを新たにする今日です。

2009年7月21日火曜日

解散!総選挙

今日、予定どおり(?)、衆議院が解散された。

おおかたの予想では、現与党特に自由民主党に非常に厳しい結果が出るだろうと言われている。
昨年来の様々な出来事を見ている限り、この予想が大きく外れることはないだろう。

自らの政権担当能力が欠如を露呈しながら、対立野党の政権担当能力に疑問符を付けたり、四年前の勝因は何であったのかを忘れたかのような豹変振りを見せるなど、国民を愚弄するかのような行いは、厳しく裁断されて然るべきでる。

とはいえ、他方の最大野党にもこれと言った決め手が無いのも事実である。

この際、与党の皆さんは、謙虚にこの4年間を反省していただいて、改めるべきは改め、次の4年間で実施すべき事。さらには10年後の日本の姿を我々の前に提示して欲しい。

同じく、野党の皆さんにも、政権をとらんがための甘言を弄するような政策ではなく、10年後20年後の姿を私たちに提示して欲しい。

今回の総選挙が、互いの欠点をののしり合う選挙になってしまってはいけない。真の政策論争を戦わせて欲しい。

私たちは、高齢化問題、エネルギー問題、食糧問題などなど莫然とした不安の中に生きている。
10年後20年後の夢が全く描けない状況を生きている。
さらに最大の不幸は、この莫然とした不安が国政を預かっている皆さんには全く届いていないだろうと言うことである。

今回の総選挙では、どちらが多数を握るにしても、すべての立候補者の方々には、過去最高の投票率を目指して、強く自らの政策を訴えかけて欲しい。

そのことだけを切に願いたい。

皆既日食

明日7月22日には、国内では46年振りとなる皆既日食が観測されるということで、その中心地である奄美地方の島嶼に世界各地から多数の人が訪れ、世紀の天体ショウの幕開けを待っている。

原理的には、日食は、毎年2回は必ず起きているそうであるが、地上から観測できるとなると、そのチャンスは限られている。次ぎに日本で見られる皆既日食は2035年だそうなので、次回見ることができる人は、かなり限られているであろう。

とはいえ、実は私は今から10年前の1999年8月にあった皆既日食を見るチャンスに恵まれている。

当時、私はドイツにいた頃で、ドイツの南部からオランダにかけて、非常に広い地域で観測することができた。
丁度夏休みと言うこともあって、家族を連れてAuto-Zugという自家用車を載せることができる夜行列車でミュンヘンまで出かけた。皆既日食はミュンヘンでも見られるのだが、到着時は曇天でもあったので、そこから更に車を走らせて、皆既日食帯の中心地であるアウグスブルクまで足を伸ばした。

市役所前には、すでに広場を埋め尽くすほどの群衆が集まり、地元の楽団が様々な音楽を演奏する中、日食眼鏡を片手に時間が来るのを今か今かと待っていた。

話には聞いていたものの、初めて体験した皆既日食は、非常に神秘的でした。

太陽が徐々に欠け始め、もうすべてが隠れると思った瞬間、一瞬世界の音が止まり(そんな気がしました)、鳥たちが急に大声を上げだしたかと思うと、ゴゥという地鳴りのような音とともに強い風が吹き荒れました。

完全な暗闇が続いたのは数十秒だったでしょうか。次の瞬間、私たちの目に飛び込んできたのは、とても美しいダイヤモンドリング。一瞬の輝き。本当に一瞬でした。

時間の経過と共に、辺りは何ごともなかったように普段の日常の風景に戻っていました。

何の予備知識もない古代の人々にとっては、まさに神がお隠れになったと思ってしまうのも宜なるかなと思われます。

おそらく、二度と見ることはないだろうと思いながら体験した、神秘的な思い出です。

2009年7月13日月曜日

夏の便り

いよいよ彼らが活躍する季節です。

新しい顔

昨日実施された東京都議会議員選挙は、一地方議会の選挙とは思えないほどの注目を浴び、結果的に知事与党、政府与党側が大きく後退し野党側に主導権を引き渡す形となった。

選挙の結果を受けて、自民党では、即時解散総選挙か或いは麻生総裁の退陣かで右往左往の大騒ぎの様相である。

いずれにせよ、8月末に実施される総選挙は政権選択選挙とならざるを得ないが、政府与党側の顔が見えないのが残念である。
誰を据えれば選挙に勝てるか、と言うことで与党側は決め手を欠いているように見えるのであるが、私の予感では、きっとあっと驚くような新しい顔を立てれば、自民党の圧勝もあるのではないかと思います。

というのは、国民の大多数が持っているのは、選挙を経ないで3人の総理大臣が次々と政権に就いていったこと、清新さを感じられないこと(特にアメリカの大統領選のあとだけに、、)に対する不満が溜まっているだけではないかと思うからです。
私も含めて多くの国民は「変化」を求めてはいるけれど、余り急激な変化を求めているわけではないと感じています。

現状よりも少しずつ(自分にとって良い方に)変わっていって欲しい、というのが偽らざるところではないでしょうか。
多くの国民は、自民党的なところって決して嫌いではない、でもちょいと増長しすぎ、と言う感覚を持っているのではないか。

今回もし、あっと驚くような新しい顔で選挙に臨めば、意外と大勝するような気がします。

2009年7月8日水曜日

楽観主義

6月の終わりには瞬間で日経の平均株価が1万円を超えるなど、この不景気もようやく底を打ったかなと思っていたところ、今週に入り立て続けに大幅下落が続いており、今日は9500円を割り込むというところまでやってきた。
先日来のニューヨーク株式の下落が、景気となっているようであるが、相変わらず米国経済の状況によって国内経済も左右されるらしい。
また、今日は5月期の機械受注統計が発表になったが、これまたおおかたの予想を裏切って、対前月比マイナス3%となっている。

巷間、3月〜4月に景気の底を打ち、5月以降は立ち直りを見せていたと思われていただけに、失望感が大きいのではないか。
今のところ国内産業には、景気回復を牽引して行くであろうと期待できるセクターが見あたらない。政府の景気刺激策も手づまりを見せている。

人間には、強く思ったことを実現化させる『引き寄せの法則』が働いていると言われる。であるなら皆が悲観的になることは更なる不景気スパイラルに落ち込んでいく危険性を秘めている。
ここは万人がこぞって、楽観的に景気回復を信じ込むことが重要なのではないか。

「なんとかなるさ」と

2009年7月6日月曜日

梅雨空に思うこと

天気が悪いと気持ちも沈みがちになるものです。

7月になり月が変われば、気持ちも切り替わるかなと期待していたのですが、鬱々とした天気に気持ちも湿りがちです。

人生には、いろいろな段階があるようですが、今の私は一体どのステージ立っているのか、ハッキリと見えていなくて少々焦りの気持ちが芽生えています。こんな時こそ、何か状況を打破するための出来事が起きて欲しいものですが、思うには任せません。

自分の中に、しっかりとやりたいことがイメージできていないというのが原因だろうと思うので、少し足掻いてみたいと思います。
何もしないより、少しでもどちらかの方向に進んだ方が状況を打開する術が見えてくるような気がします。

サラダ記念日

今日は、朝から鬱陶しい天気になりました。
いろいろなところで目にしたのですが、今日はサラダ記念日だそうです。

と言っても、ご存じない方がたくさんいらっしゃるかもしれません。
今からおよそ20年前にベストセラーになった短歌集のタイトルです。

「この味がいいね と君が言ったから 今日はサラダ記念日」

という歌が由来だったと思います。

それ以外にも、作者の非常に身近な出来事が綴られた本でした。
作者俵万智さんは、当時高校の国語の先生だったと記憶していますが、
もちろん今も現役で御活躍です。

2009年7月1日水曜日

今日からタバコが吸えません。

今日7月1日からJR西日本管内のすべての駅が禁煙になりました。
昨日は各駅頭でPRのためティッシュを配ったり、今朝は駅のホームで数分おきに案内のアナウンスをしたりと、PRに余念がありません。

こういった嫌煙、禁煙の広がりに対して、自分の体のことを他人、特に権力にとやかく言われたくない。あるいは、マナーの問題に公権力が介入するのはいかがなものか。というような論調の意見が多く見られます。
私自身は、逆にこういった見方、意見に異を唱える立場で一言口を挟みたい。

まずは伏流煙の問題についてである。
良く言われるように、タバコを吸う人の隣にいると、タバコを吸っていない人でも無理矢理タバコの煙を吸わされる羽目になり、有害物質を体一杯吸い込まされることになる。
学生時代からタバコを吸わなかった私は、呑み会でタバコを吸う友人達に「おまえらは殺人犯や!!」と絡んだものです。

次ぎに医療費の問題である。
国民健康保険、健康保険組合などの経営が非常に厳しくなっているというのは、良く知られているとおりである。
国民が長生きするようになって総額として医療費の支出が多くなったこと。医学の進歩と共に高度な医療を施す局面が増えたこと。などが言われている。
しかしながら、私としては「タバコを吸ってるヤツは絶対医療費をたくさん使うことになる」と確信している。いわば吸わない人は「割り勘負け」するという不満があるのだがどうだろうか。

さらにはマナーの問題がある。
概して、タバコを吸う人のマナーは良くない。特に吸わない人が増えてくると、吸っている人のマナーの悪さが際立って見える。
禁煙場所での喫煙、歩きタバコ、吸い殻のポイ捨て。特に自動車の窓から道ばたへ火がついたままのタバコを投げ捨てるなどは危険極まりない。我が家の前のバス停などはあたかも吸い殻捨て場の様相を呈している。
注意をすれば逆切れするか知らん顔。とにかく正しいマナーの喫煙者にはお目にかかったことがない。

私は生まれてこの方、タバコというモノを吸ったことがないので、喫煙者の気持ちは全く分かりません。
喫煙者の皆さんの言い訳で、自分たちは高額納税者だという弁を聞くことがありますが、私から言わせると、あれは税金ではなく罰金である。

2009年6月30日火曜日

夏越しの大祓い

今日は6月30日、2009年の折り返し点を迎えました。
京都市内の各神社には茅輪が懸かり、半年の反省をしようとする善男善女がくぐっておられます。
また、この時期には「水無月」というお菓子を食べる習慣などもあって、京都という街は本当に面白い街である。

さて、この半年間を私なりに振り返ってみたいと思います。
先ず最大の変化は、父が自宅を出て軽費ホームに入所したことです。今年の初め、私にとっても父にとっても断腸の思い出はありましたが、今となっては、あのときに思い切って良かったと思っています。おかげで父もたくさんの人の中で生活することで、それなりに張りも出てきているようで、血色も良く、少々ふっくらしてきたと自分でも反省しきりです。(足腰が弱っているので、重くなるのはかなわんようです)。

二つ目の大きな変化は、4月の人事異動です。
それまで、10数年にわたり、産業振興に係る仕事をしていたところ、正に晴天の霹靂とも言うべきか、府の国際交流部門への異動を命じられました。地方公務員では珍しい海外勤務を経験しているとはいえ、10年前の話であり、とてもそんなことを声高に言える状況ではない。今なお戸惑いながら仕事を進める毎日である。

今年は昨年とは違い、「量より質」の読書と誓いを立てたはずが、全くの企画倒れ。只ひたすら何かに追われるように貪り読む毎日が続いています。どこかで方向修正をしなければいけないと思うのであるが、既に170冊を越えてしまいました。

2009年6月24日水曜日

ベルリンへの空の架橋(Berliner Luftbrücke)

1948年6月24日、今から61年前東西冷戦の最先端であった西ベルリンへの検問が強化される「ベルリン封鎖」が始まりました。

1945年にヒトラーの自殺によって終結した第2次世界大戦後、ドイツの戦後処理を巡って、戦勝国の、とりわけソビエトとアメリカの間で抗争が激化し、最終的に陸の孤島であった西ベルリンを封じ込め、兵糧攻めにすることで譲歩を勝ち取ろうとしたものである。

陸上の交通路が遮断された後は、英米を中心とする西側諸国は、大空輸作戦を開始し、あらゆる生活物資を飛行機を使って、西ベルリンに送り届けました。

根比べとなったこの大空輸劇は、およそ1年続いたところで、ソビエト根負けとなりました。

その後、西ベルリンは資本主義を謳歌し、一方ソビエトに根こそぎ財産を略奪された東ベルリンは苦しい年月を送ることになりました。東ベルリンから西ベルリンへの流出を止めるため、160kmにも及ぶ壁が作られたのは、1961年のことでした。

2009年6月22日月曜日

感謝!!!

今日は2ヶ月に一度の定期検診日。
午後からお休みをいただいて、病院へ行って参りました。

ここのところ、病院へ行っても、口の中と首の周辺を軽く触診してもらうだけで、およそ2~3分。もっとも重大な作業は次回の検診日を決めることくらい、という状態が続いています。

今日は、次回の検診日8月下旬の日を決めてきましたが、その日がくると再発後丸4年を経過することになります。先生とも、ちょうどその話になり、先生曰くこの病気は、手術後1~2年がもっとも再発の可能性が高く(実際、私の場合ちょうど1年後に再発しました)、年を追うごとにその危険性は低くなるとのことでした。特にこの4年間は全く不穏なことがなかったので、リスクはかなり低くなっている、とのことでした。

巷間よく言われるように、この病気はうまくつきあっていくことが重要で、決して力でねじ伏せようと思ってはいけません。そういう意味では、この4年間は上手につきあえたのかな、と思っています。

今あることに、感謝!!!

別名 プラタナス

知らんかった!
別名ナノね。

2009年6月21日日曜日

夏至

今日6月21日は、一年でもっとも昼が長い一日、夏至であります。午前中は残念ながら雨模様でしたが午後には青空が見えてきました。

ところが、ものすごい湿気で、少し動いただけで汗がじっとりとにじむ、非常に不快指数の高い日となりました。どうも明日からは、連日の雨模様となりそうで、梅雨入り以降ずっと好天が続いていましたが、どうやら鬱陶しい季節になりそうです。

2009年6月20日土曜日

南天

庭の南天が花をつけました。
あまりお目にかかることはありませんが、
こんな花です。

これが、ウサギの目になるのですね。

2009年6月18日木曜日

ETC特需?

今年の春から、休日の高速道路通行料が千円均一になり、全国の販売店でETCが品薄になっているそうである。製造事業者はさぞかし、ウハウハで増産体制かと思いきや、そうでもないという報道を見かけました。

キーは「総選挙」です。
今年の9月には任期が来てしまう衆議院では、近日中に総選挙が実施されます。その総選挙に当たって、民主党はマニフェストに「高速道路の無料化」を挙げています。
これが実はくせ者のようで、今の自民・公明連立政権が引き続き政権を担当すれば好いのですが、民主党中心の政権になると、ETCそのものへの需用が無くなってしまいます。業界もさすがに、そのリスクを冒してまで増産体制へ移行するという決断はつかないようである。
それほど、次回の総選挙では与党の旗色が悪いと言うことであろうか。

知ってるつもり

最近、毎朝職場へ向かう電車の中で読んでいる本について、少々お話ししたいと思います。

今年の年頭に、今年の方針として宗教、哲学についての読書量を増やしていきたい、と言う誓いを立てておりましたが、なかなかしっかりとした本には手が出ず、周辺部分を少しずつ触っていると言う状態が続いています。

その中で、先日から道元禅師の話を弟子がまとめた「正法眼蔵随聞記」という文庫本を読んでいます。
道元禅師というと曹洞宗を日本に広め、本邦初の哲学書としても名高い「正法眼蔵」を著したことで知られています。
そのうちいつかこの正法眼蔵も読みたいと思っているのですが、誰言うことなく世紀の難読書と言われていますので、なかなか手が出ず、ある人に勧められた随聞記を先に読むことに致しました。

前置きが長くなりましたが、これがまた面白い。一つ一つの話がコンパクトで、適当な長さであり、わかりやすい言葉で書いてあるので、原文でも結構意味が取れますし、我が身に振り返って更に納得することも多くあります。

今朝読んだ一節は、次のようでした。少し長いが引用します。

示云、当世学道する人、多分法を聞時、先好く領解する由を知られんと思うて、答えの言の好からん様を思うほどに、聞くことは耳を過ごす也。
詮ずる処、道心なく、吾我を存ずる故也。只須先づ我を忘れ、人の言わん事を聞て、後に静に案じて、難もあり不審もあらば、逐も難じ、心得たらば、逐て帰すべし。
当座に領する由を呈せんとする、法を好も聞ざる也。

大意は、
最近の学僧は、自分が賢いところを知ってもらおうと思い、上手い応答の法ばかりを考えているので、話が耳をすり抜けてしまっている。
要するに、道心がなく自分を捨て切れていないからだ。
まずは、相手の言うことを好く聞いて、その後難点や疑問を問いただすべきである。
その場で、わかったような顔をするのは、法を聞いていない証拠である。

「知ってるつもり。」
反省します。

2009年6月17日水曜日

ウォームハートとクールヘッド

本を読んでいると、時々ふっと「これは!」と思う言葉に出会います。
先日、読んでいた本の中に「社会人として必ず備えなければならないもの、それはウォームハートとクールヘッドである。」という一節が出てまいりました。

さっそく、その語源を調べてみると、20世紀初頭の経済学者、アルフレッド・マーシャルの言葉だそうで、大学での関係者に向けた演説の中で、経済学者に不可欠なものとしてあげたものだそうです。
社会人ではなく、経済学者に必要なものとしたところが、なかなか秀逸で、かの竹中平蔵氏もお好みの言葉であったと聞くのですが、どうも眉唾臭く思えるのは何故でしょうか?

ところで、ウォームハート・クールヘッドを我々になじみのある言葉に直すと「仁・智」であります。
これは、孔子が言うところの五常に挙げられたものに他ならず、まさに「君子」たる者には不可欠の要素とされているわけである。

翻って、我と我が身を省みるにどうであったか。
常にそうありたいとは願っているものの、ウォームハート(仁)については、周囲の人に如何に伝わるかが大きなポイントかと思っている。
いくら自分で、仁の心の発露と思っていても、相手にその心が的確に伝わらないと、それは独りよがりに他ならないのではないかと思います。
コミュニケーションの基本は、相手の真意をくみ取り、こちらの思いを伝えることにあるが、本来的には伝える側に伝える責任があると考えている。
ということは、こちらの熱い思いが相手方に伝わるよう、我々が努力をしなければ行けないことになります。

などというようなことを、つらつらと考えているのですが、少なくとも「クールハートとウォームヘッド」とだけはならないように、精進する毎日である。

2009年6月12日金曜日

清潔と安全と

毎朝の通勤電車では、同じ車両の同じ場所、というのが皆さんのお好みかと思います。私もこの3月までは、亀岡が始発駅となる電車に乗っていたので、毎日同じ辺りに乗ることを旨としておりましたが、4月以降は少し早めの電車になったこともあって、毎朝ホームの込み具合を見て、乗車口を変えています。

先日は、たまたま空席を見つけて座ったところがトイレの前。おかげで降車までの20数分間は、えもいわれぬ悪臭に見舞われました。

列車に限らず、駅、公園などの公共空間のトイレというのは、使われ方が尋常ではなく、普通では考えられない汚れ方をしているものです。

昔、ドイツに住んでいた頃は、公衆トイレ等というものがほとんど存在せず、小さな子ども連れの身にとっては、非常に厳しいものがありましたが、一方で、デパートやレストランなどのトイレには、必ず「番人(我が家ではこう呼んでいました)」がいて、使用後すぐにトイレの掃除をしてくれます。そのかわり、その人に当時のお金で30円くらい(1/2マルク)のチップをあげるというのが、通常でした。

最初の頃は、トイレに行って金を取られるなんて!!と思っていたものですが、慣れてくると常に清潔というのは気持ちの良いものと思えるようになってきました。

国内でも、特に観光地などで有料のトイレが設置されるようになってきました。なかにはハイテクのトイレもあるようで、清潔と安全はに対する価値が評価されてきたと言うことでしょうか。(それだけ社会の相対的なモラルが下がってきているとも言えるのかな?)

2009年6月10日水曜日

悪のり

世の中には、自分のことだけを考えているヤツがいるものである。
今日の新聞に、先の新型インフルで売上が減少し、経営危機に陥った会社の話題があり、その中でかなり悪質な便乗派遣切りの事例が紹介されている。
好況時には、労働行政分野での規制緩和はプラスに働くものの、一旦不況時に陥ると貧富格差の拡大に拍車をかけるという端的な例ではなかろうか。

表題は「悪のり」としたが、単にそんな言葉ですますことができない暴挙であると考えている。悪用されるような制度は、作ったヤツが悪いのか、悪用するヤツが悪いのか。

我々は何を以て我が身を護ればよいのか。

梅雨入り

関西を含む西日本では、昨日一斉に梅雨入りしたようで、今日も一日うっとうしい天気になった。
湿気を多く含んだ空気が蔓延するこの季節、体だけでなく気分も湿りがちになるのが、さらにうっとうしいことである。

よく言われるとおり、いわゆる先進諸国でこの種の雨期を持つのは日本くらいであるが、逆に言うとそれが日本文化の豊かさ、多様性をもたらしているとも言えなくはない。
とはいえ、うっとうしいことには違いがなく、何とかこの季節を快適に乗り切れないものかと考えている。

思えば、10年前にドイツに住んでいた頃に、一番感激したのが、このうっとうしい梅雨がなかったことで、運が良ければからっとした好天気が続くことも稀ではなかった。
一方で、驚くくらい天候は不安定で、5月頃に30度近い真夏がやってきたかと思うと、8月になっても連日の雨と20度前後の寒い日が続くといったことも経験した。

人類の歴史を振り返ってみると、こういった過酷な環境に生きていた者が、それに適応するために知恵を働かせ、今の文明社会を成立させてきたとも言われる。

などと、うっとうしさを紛らすためにいろいろと考えてみても、うっとうしいことには変わりはない。
何とか、この憂さを晴らす術はないものだろうか。

2009年6月9日火曜日

イソップ寓話集

先日から、岩波文庫の「イソップ寓話集」を読んでいる。
ウサギとカメ、アリとキリギリス、北風と太陽などなど、子どもの頃からなじみのあるお話しが満載である。

この本で語られている寓話は非常に短いものから長いものまで様々で、「寓話」の名のとおり寓意に満ちている。
本来「寓意」とは、裏に隠された意味なので表には現れないもの、と思うのですが、本書の場合には物語の前後に「このことは○○○○と言うことを説き明かしている」と書かれているものが多い。
これらの寓話が成立した時期については、明らかになっていないが、これらの話から読みとれる寓意も、その時代を写し出しているものと推察される。

例えば、次のような話についてはどうだろうか。

ザクロとリンゴと茨
ザクロとリンゴが実の立派さを競い合った。
言い争いがいよいよ熾烈になるのを
近くの垣根から茨が聞きつけ口出しするには、
「仲間よ争うのは止めようではないか。」


ここから導き出される寓意とは何か。
この物語は次のように続きます。

このように、数にもあらぬ者までが、
優れた人たちの揉め事に
しゃしゃり出ようとするのである。


この寓意は、現代に通じるのであろうか。

堀川



一条戻り橋から御池通まで
きれいに整備が終わりました。
なかなかの散歩道です。

2009年6月7日日曜日

選挙間近?

6月に入り、そろそろ総選挙がみんなの視野に入ってきたようだ。

現在の衆議院議員の任期は9月10日までなので、少なくともそれを過ぎると選挙をやらなければならず、昨年来、今か今かと待たれていた時がついにやってくるというところである。

なぜこれほど待たれていたか、ということについては巷間いろんな人が言われているのであえて繰り返すつもりはないが、選挙の洗礼を受けない内閣が3代続いたのだから、ここはやはりちゃんと選挙を、と思うのが通常の考えではなかろうか。

ところで、ここ数日亀岡駅から電車に乗るとき、現職、元職の国会議員さんご本人が、日替わりで駅頭に立ち、出勤途上の人たちに挨拶をされている。これも、選挙までいよいよ秒読みとなったためであろう。

実は私、ご本人が立っておられるときには、必ず「がんばってください」と声をかけています。
別にみんなにいい顔をしようと考えているわけではなく、当選したら私たちのためにがんばってくださいね、という思いを込めて声をかけています。

日本の政治制度は間接民主主義をとっているので、私たち個人が直接政治に参加することはできません。従って、選挙という形で、自分と意見を同じくする人に対して、国の舵取りを委ねなければなりません。当選した皆さんには、数万人に人たちからこの力を委ねられているということを忘れないでほしいのです。
本当に皆さんにはがんばってほしいのです。

2009年6月1日月曜日

セブンイレブンへ排除命令?!

先日の新聞に「弁当値引き制限、セブンイレブンに排除命令へ」という見出しが踊っていた。
コンビニ業界では以前から問題視されていたそうで、各個店が一旦仕入れた弁当・おにぎりなどは、「期限内、定価販売」が原則で、いわゆる期限切れ目前の値引き販売は認められていなかった。
賞味期限が切れた商品は、すべて廃棄処分されることになっており、そのことが資源の無駄遣い、あるいは個店の負担が過大であるなどと指摘されていた。
今回の措置は、資源の云々ではなく独占禁止法上の不当な制限に当たるとしたようである。

実は、この件について私は若干違った意見を持っている。
コンビニ業界は大手の全国チェーンがしのぎを削る非常に厳しい業界であるが、その中でセブンイレブンは独自の地位を築いている。
セブンイレブンは、今では当たり前のPOSシステムをいち早く導入したこと、店内にATMを設置した(そのために銀行まで作った!)ことなどで知られている。

そして、各店舗周辺の住民構成やその日の天候・近隣の学校のイベントなどの、きめ細かい売場構成を行うことで知られている。
その発注権限は、店舗のオーナーだけではなく、そこで働くアルバイト店員に任されているというケースが多く、セブンイレブンで働くアルバイトは1週間で経営を語り出すと言われる。

今回問題になったような値引き制限があると、各店舗側も廃棄ロスを如何に最小限にするかということに頭を使わざるを得ず、様々なデータの収集・解析が必要になってくる。
おそらく、こういった各個店の工夫が現在のセブンイレブンチェーンの強さを形成したものと考えられる。

今回の排除命令措置が、こういった強さの根源を冒してしまわないだろうかと危惧している。

クールビズ

今日は6月1日、一昔前なら衣更えの季節で、行き帰りの電車の中も黒・紺系統から、白一色に塗り変わる時でもありました。
昨今では、これもクールビズという訳の分からぬ言葉で統一されるようになり、服装も白一色からカラフルな色に変わって参りました。

いわゆる先進国と言われる諸国の中では、日本という国は際立って高温多湿で、西欧社会の服装をそのまま持ちこむことには、かなりの無理があります。
例えば、私が住んでいたドイツでは、比較的湿度が低く、夏でも朝晩びっくりするくらい涼しくなることもあります。
当然のことながら、自宅にエアコンが付いているなんてことは、非常に稀で、普通は窓を少し開けてやれば、充分快適に過ごせる程度の暑さにしかなりません。

どこの国にも、その土地の気候にあった服装というのがあるわけで、日本でも例外ではありません。
少なくとも、西欧社会のコピーをしていたのでは、この高温多湿の季節を乗り切ることができないのは自明の理であります。

クールビズとか、省エネとか難しいことを考える前に、自分の国について充分に理解することが重要なのではないでしょうか。
そして、それこそが真の国際化につながるものと思うのですが、如何でしょうか。

こんなところにも

京都の街は油断もすぎもない
今話題の人ですね〜!

2009年5月25日月曜日

夏の準備着々と

5月も下旬になると、既に夏の準備
まだまだ朝晩は涼しいですが、
床の季節も間もなくです。

2009年5月23日土曜日

新型インフル2

ここ数日は、新型インフルエンザ関係のニュースが連日更新され、あたかも関西圏一円が危険地帯になったかのような感がある。

当然のことながら、市中は至って平穏で、季節の風物詩でもある修学旅行生が少なくなったのが、唯一変化らしい変化である。
京都府庁の中では、国内発生するかなり前から専用電話を開設するなど、対策本部を設置してきていた。おかげで、ことが起こった場合に備えた準備はかなりしっかりできていたので、日々の状況の変化に合わせた情報発信も、かなりうまくいっているのではないかと考えている。

もちろん、これ以上病気が広がらないことが何よりであり、そのために我々自身が気をつけるべきことはたくさんある。うがいと手洗いは決して欠かさず、というのが今の我が家の大命題である。

2009年5月20日水曜日

新型インフル

昨日(5月19日)は、府庁の新型インフルエンザ対策本部で終日お手伝いをいたしておりました。
当然、素人ですから具体的に戦力になるわけではありませんが、まずは正確な情報提供が第一の仕事で、そのための資料送付などに従事しておりました。

幸いにして今のところ府内発生はしておりませんが、これだけ交通機関の発達した現代ですから、これも時間の問題かと思います。
今のところ、発症しても毒性は低いようですから、大きな心配はしなくて良いようですが、この時期関西方面への旅行を取りやめたと言う方が多く出てきており、こちらの被害の方が大きいようです。

特に、年間100万人の修学旅行客が来られる京都において、5月から6月にかけてはその半分が集中する正にハイシーズンなので、その影響ははかりしれません。
願わくは、できるだけ早く終息することを祈るのみです。

2009年5月16日土曜日

わたぼうし

今日、「おかあさん ぼくが生まれてごめんなさい」という、とても刺激的なタイトルの本を読みました。
元々は、今から30年ほど前に出版された本ですが、さらに20数年の時を超え再出版されたものです。

内容は、奈良件の養護学校に勤める先生が、当時15歳で亡くなった少年について書かれたものです。
生まれたときから脳性麻痺でほとんど自由が利かない体でありながら、最後まで明るさと優しさを失わなかった様子が、ありありと伝わってくる名著です。

本のタイトルは、主人公の少年が亡くなる数ヶ月前に残した詩の一節ですが、その背景をかみしめながら読むと、胸がいっぱいになってくる素晴らしい詩です。

少年が亡くなった後、その当時の関係者や保護者の方々が中心となって、養護学校を修了した後の方々が、ともに集い励まし合う施設として構想された、たんぽぽの家は、今や大きな運動に広がっています。

「共生社会」「バリアフリー」ということが、ようやく普通の考えとして定着してきましたが、ほんの数年前までは、とてもそんな世の中ではなかった、ということを改めて思い返しました。

最後に、その詩の全文を掲載します。

「ごめんなさいね おかあさん」

ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って 歩く悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つねたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり



そして、その息子さんの詩に対する、お母さんの返歌がこれです。
これもまた素晴らしい。

私の息子よ ゆるしてね
わたしのむすこよ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が 脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
“重くはない”と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり

2009年5月13日水曜日

京都御苑

今日たまたま通りました。
明後日の葵祭の準備です。
お天気になれば良いですね!

2009年5月5日火曜日

こどもの日

今日はこどもの日。今朝の朝日新聞に「大人になったらなりたいもの」という記事がありました。
男の子の第1位は、今も昔も変わらず「野球選手」。
いっときサッカー選手に抜かされましたが、ここ数年は根強い人気を持っています。

そして、7位に初登場が「水泳選手」!
これは、なんと言っても北京オリンピックでの北島選手の連続2冠に負うところが大きいのでしょう。

ところで、私が小学生の頃になりたかったものは、、、
小学校の卒業文集では、「世界を飛び回る」仕事に就きたい、と書いておりました。

2009年5月4日月曜日

高速道路

今春から、休日の高速道路が一日千円で乗り放題という景気刺激策(?)が実施されています。おかげでこの連休はあちこちで大渋滞を巻き起こしているようで、これは環境負荷も大きいわなぁと思いをはせております。

ところで、高速道路というと10年前にドイツにいた頃に利用したアウトバーンのことを思い出します。よく知られているように、ドイツのアウトバーンは全線無料で、一部には制限速度もありません!という区間もありました。

私が住んでいたベルリンは、周囲が旧東ドイツということもあって、道路事情もあまりよい状態ではなくて、高速で飛ばせる区間も本当に限定されておりました。よく利用した、ハンブルクやドレスデンまでの区間などは、工事が私がドイツを離れる頃まで続いていたように記憶しています。

その頃、アウトバーンを利用していて印象に残ったことと言えば、、、
まずは、車の性能の良さ。
概してドイツ車は優秀と言われていますが、どの車も130〜140km/hくらいで走るのが、最も安定して走れるということに感心いたしました。
特に驚きは世界の名車ポルシェ。ルームミラーの奥の方に影が見えたかと思うと、次の瞬間にはミラーいっぱいにその姿が見えるということを何度も経験しました。

二つ目は、一般道路との違い。
日本の高速道路は、主要幹線道路のバイパスという性格が強いですが、ドイツの場合アウトバーンは都市と都市を結び、一般道路はその都市と周辺都市を結ぶものという感じで、役割がはっきりと分かれておりました。
逆に言うと、主要幹線道路と平行していないため、いったん渋滞すると、逃げ道がないということにもなりかねません。

三つ目が、無料であることのメリット
これは、なんといってもインターチェンジを造るのがとても簡単、ということが挙げられます。とにかく日本のように、料金所などを作る必要がありませんので、非常にコンパクトに入り口を作ることができます。また、料金収受のために無駄な(失礼)人間を雇っておく必要もないのです。

他にも、充実したサービスエリアやとてもお世話になった併設ホテル、全欧州に張り巡らされたネットワークなど思い出すことはたくさんありますが、さすが車大国、車の旅は快適でした。

2009年5月3日日曜日

憲法記念日

今日は5月3日、憲法記念日である。
また、22年前に、朝日新聞社の阪神支局が襲撃された日でもあり、改めて「憲法」というものについて、思いを新たにする日である。

現在の日本国憲法が施行されて62年目になるわけであるが、この間現行憲法に対する世の中の考え方もかなり変化してきたのではないか。

今日の新聞で発表された調査結果によると、半分以上の人が憲法改正に賛成と答えている。
おそらく、具体的にどの部分か、という点になると大きく意見が分かれることと思うが、徐々に改憲に関する議論をタブー視しない機運が満ちてきたという感じであろうか。

私自身で言うと、法律を学び始めた頃は「憲法は守るもの」というイメージがあって、憲法改正なんてもってのほかと考えていた。

しかしながら、最近現行憲法制定時の状況をいろんな本で読んだり、あるいはまた「憲法というのは、その国の形」をあらわすのもであって、状況によってどんどん変化していくことを厭わないものだと考えるようになり、今一度国民すべてが納得する形の憲法を作るべきではと思うようになってきました。

国民の投票率が悲惨なくらい低くなり、政治への無関心層の割合が驚くくらい高くなっている今こそ、真剣にこの国の形を議論すべきときなのではないでしょうか。

2009年4月29日水曜日

豚インフルエンザ

先日来、メキシコで発生した豚インフルエンザは、すでに100名を大きく上回る死者を数え、数千名の感染者はますます増える一方である。病気はすでにアメリカ、ヨーロッパに広がっており、アジア圏へ飛び火するのは時間の問題と言われている。

今から90年前に発生したスペイン風邪では、世界中で4000万人が亡くなったそうである。
交通機関が発達した現代では、その拡大のスピードはとても当時の比ではなく、一気に世界中に拡散してしまう可能性を秘めている。

今のところ、日本国内での感染者は発見されいないが、すでにメキシコ一国に収まっていない状況から、水際で食い止めることは至難の業と言わざるを得ない。

京都府庁では、昨日府庁内に対策会議が設置され、いつ何が起こっても大丈夫なように臨戦態勢が敷かれている。
今のところは、いわゆる注意喚起と冷静な行動を呼びかけることが仕事の中心であるが、大量に人が移動する大型連休が始まっただけに、余談を許さない状況である。

私の所属する課では、主に府内に居住する外国籍の方々への情報伝達というのが、現在の急務となっている。先の阪神淡路大震災の例を引くまでもなく、日本語の不自由な方にとっては、まさに情報途絶の状態に置かれているわけで、周りが騒がしくなれば、不安が増すばかりではないかと憂慮している。

今のところ、ホームページやラジオ放送で注意を喚起しているが、個別の相談体制を整備することが次の大きな課題となっている。今回の場合、英語や中国語などの主要な言語での情報はかなり足りているかと思われるが、その他の希少言語の情報量が不足していると言われいる。これも大きな課題である。

今回のケースでは、それら情報弱者に対してどのように情報提供していくかという課題が試されている。とにかく、ここ数日は衆人の英知を集めて、取り得るかぎりの手段を講じることとしている。

2009年4月26日日曜日

JR福知山線の事故から、、

昨日で、JR西日本福知山線での脱線事故から丸4年が経ちました。

事故当初は、一体全体、こんなことが起きるなんて、小説の中にも出てこないような、非現実感を味わったことを覚えています。

当時の関西圏の鉄道事情は、大阪を中心にJRと私鉄がスピードと料金でしのぎを削り合ってり、いつからかJRがスピードの上では他を凌駕しているような状況でした。その分、ダイヤも過密化し、一つの路線での少しの遅れが、他の路線に影響を与え、関西圏全体に波及する、といったような状況でした。

もともとJRの線路は、他の私鉄とは違い構造的に高速化が難しいのですが、今考えるとかなり無理をさせていたのではないかと思えます。

一方でその恩恵を受けていたのも我々であって、世の中が便利になればなるほど、もっと早く、もっと大きく、もっと強く、もっと、もっと、とどんどん欲望をエスカレートさせていたことの結果が引き起こした事故はないかとも反省させられます。

「量の時代」から「質の時代」へと言いながらも、本質のところでは、際限なく量の拡大を求めていたのではないかと思います。そのことによるきしみが、あちこちで出始めた端緒となった事故ではないでしょうか。

事故の記憶は時間の経過とともに風化していきます。
また、この事故を起こしたJR西日本だけでなく、
我々人類自身こそが、もう一度「生きる上で一番大切なこと」を
考え直さなければいけないのではないでしょうか。

2009年4月20日月曜日

一安心

今日、先日の検査の結果を聞いてまいりました。
とりあえず、異常なし、ということでホッと一安心。

いつもながら、精密検査の後の診察日は緊張するもので、
どきどきしながら、診察を受けております。

今日は、あまりにうれしかったので、近くのお店で、
生八つ橋を、大人買いしてしまいました。

いまや、生八つ橋でも、チョコレート入り、
塩生八つ橋、と10種類もあるのです。

職場の皆さんに、幸せのお裾分けをし、
おいしくいただきました。

2009年4月19日日曜日

雑感

ここ数日は、暑い位の日が続いています。
おかげで、桜はすっかり無くなりましたが、
いろいろな花々が次々と咲き競っています。

以前勤務していた京都リサーチパークには、
中庭があって、其処に咲く花を見て、
季節の訪れを感じていました。

今の職場は残念ながらそういった環境に
無いので、あまり季節の移り変わりを
目で感じることができません。

其処のところが少々残念です。

先週14日には、久しぶりにCT検査を受け、
明日は、その結果を聞きに行ってきます。
いつもながら、どきどきする瞬間です。

2009年4月14日火曜日

ハチはなぜ大量死したのか

今朝の新聞の中に気になる記事を見かけました。
たまたまつい先日ハチはなぜ大量死したのかというとてもおもしろい本を読んだところだったので、まさにタイムリーというところである。

この本の中では、いまから2年前、アメリカで大規模なハチの“失踪”事件が頻発し、日本以上にミツバチに花粉媒介を依存しているアメリカの農業が、パニックに陥っているということがレポートされている。

原因は様々に考えられるが決め手が無く、対策どこところか原因さえはっきりしない。
地球上に生物が誕生して30数億年。そのほとんどの期間は、それぞれの生物が盛衰を重ねながら、絶妙なバランスを保ってきました。
ところが、このわずか数百年の間に、人類は取り返しのつかないような愚行を重ねているような気がします。
限りある資源を浪費し、生物界の秩序を乱し、挙げ句の果てに神の領域にまで手を出そうとする。

恐ろしいしっぺ返しがくるのではないだろうか。

2009年4月13日月曜日

緑が萌える

ほんの数日前、山の頂がうっすらと白くなっていたかと思うと、ここ数日は25度を超える夏日が続き、春を飛び越して一気に夏が来たようです。
厳しい寒さが続いた後のこの暖かさで、桜の花も一気咲きで、ほとんどの所は葉桜になってしまっているようです。
実は、私自身はこの花びらが散った後の桜がお気に入りで、初夏の日差しに美しく映える新緑は、生命の息吹を感じさせてくれるような気がします。

明日はお休みをいただいて、半年ぶりの精密検査をして参ります。
検査の前はいつもドキドキなのですが、新緑の空気を胸一杯に蓄えて、行って参ります。

シロクマが、、、

ドイツのベルリン動物園で、シロクマとお友達になろうとした女性が、シロクマのプールに転落し、重傷を負ったというニュースが報道されました。
一体全体何をすんにゃ!?という感じですが、世の中には変わった方が多いようですね。

ところで、このベルリン動物園ですが、私がベルリンに住んでいた頃にも何度もお世話になりました。
当時娘が小学校の1,2年生だったので、休日で行くところがないと動物園へ遊びに行ったものです。
ここの動物園には、パンダもいて日本のような混雑はなく、じっくりと何時間でも見ていられたのですが、何故か娘のお気に入りは、夜行性動物のコーナー!
薄暗い室内にコウモリとか夜行性のネズミなどが目を光らせているのを、キャーキャー言いながら見ておりました。
入園ゲートが何故か中国風で、子どもの娯楽の少ないドイツでは、数少ないお楽しみ施設でした。

ところで、ベルリンにはこの動物園の他にもう一つ動物園がありました。
これは、旧東ベルリン側にあったもので、そこでは動物が檻ではなく、堀を挟んだ向こう側に見られると言う特徴がありました。
その分開放感があって、広く感じられ、こちらも娘のお気に入りのスポットでした。

先日のニュースで、よみがえったベルリンの休日の思い出です。

2009年4月11日土曜日

まずは一服

人事異動後の怒濤のような10日間がようやく過ぎました。

これまで人事異動というのは何度か経験したのですが、異動後の数日間をこれほど全力疾走で駆け抜けた経験は無く、一服ついて気がついてみれば、10日間が過ぎ去っていたという感じです。

先日投稿したごとく、今月から国際交流の担当として仕事をさせていただいているわけですが、その中でも海外から京都へ賓客が見えられたときの、歓迎行事などのお世話をさせていただいております。

こういった賓客の方が来られると、場合によってはその国の報道関係の方が来られることも多く、お国の一般の方々への波及効果といいますか、良い印象も悪い印象もいっぺんに広がってしまいます。
従来私が携わっていた仕事とは打って変わった、きめ細かな心遣いが求められます。もちろん行政サービスを提供する際の神経の使い方に違いがあるわけではないのですが、その使い神経の種類が違うといった感じでしょうか。

とはいえ、始まって数日でこれほどくたびれていたのでは、先が思いやられます。早く慣れて、肩の力を抜いて仕事に取り組めたら、、、と思っています。

まずは、この週末で一服です。

2009年4月2日木曜日

戻り冬

ここ数日、急に寒い日々が続きました。
ほころびかけた桜のつぼみも、慌てて体をすぼめています。
今朝はなんと山の頂が雪景色に。。。

道理で寒いはずだ。。

ところで昨日から着任した新しい職場ですが、なかなか大変なところで、これまで携わった仕事とはあらゆる面で違いがあり、2日目にしてすでに半分パニクっています。
正直言って自分に務まるかかどうか、大きな不安があります。

はてさて、一体全体どうなることやら。

まさに今日の天気のように、晴れているのだけれど、風は冷たくなかなか心底暖まることができません。

2009年3月29日日曜日

春の訪れ

皆さんは、何をもって春の訪れを感じますか?
暖かさ、桜の花あるいは杉花粉。

私の働く組織では、例年4月1日に定期人事異動があり、
その数日前にいわゆる本人内示があり、あちこちで
悲喜こもごもの風景が見られます。
これを見ると、今年も春が来たなと思います。

担当者が猫の目のように変わるという昨今の指摘を反映してか、
一つの職場での在任期間が長くなる傾向があるようです。

ところで私ですが、今回の異動で長年携わった産業振興分野を離れ、
国際交流という全く未知の世界へ異動することになりました。
思い起こせば、この部に配属されたのが平成8年4月。
それから13年間に渡り、同じ部で仕事をしてきました。

4月からは、全く経験のない分野での仕事が待っています。
またいずれ新しい仕事についてはご報告はいたします。
突然のことで戸惑うばかりの数日間でした。

2009年3月23日月曜日

道元への思い

今年は昨年より読書のスピードをゆっくりにして、一冊の本をじっくり読もうと思っており、1月、2月はその予定で進んだのですが、3月にはいって再びヒートアップし、取り憑かれたように数々の書籍に手を伸ばしています。

今年初めに計を立てたように、宗教や哲学あるいは倫理に関する本が高い割合を占めているのですが、最近のお気に入りは「道元禅師」です。
ご存じのとおり道元は鎌倉時代に宗へ留学し、帰国後は「曹洞宗」を国内で開きました。鎌倉五山・京都五山に代表されるように、武家政権と密接な関わりを持ちながら広まった臨済宗とは違い、同じ禅宗でも民衆の間に広く広まっていったようです。
実は、我が家の宗派も曹洞宗で、府内でも北部の方には曹洞宗のお寺が数多くあります。

ところで、道元が精魂を傾けて著したのが「正法限蔵」という書物ですが、是がとてつもなく難解な書物とされています。いろんな方に伺ったり、様々な本で断片的に紹介されているモノを読むのですが、とても手に負える代物とは思えません。
先日読んだひろさちや氏の解説によると、この書物は宗教書であり哲学書である。哲学というのは論理学であり、最も論理的ではない日本語を使って著された最初の哲学書であり、著者自身が非常な苦労をして認めている。ある意味難解であるのはやむを得ない。と紹介されています。
しかしながら一方では、ヘンな解説に頼らずに書かれてあることを書かれたままに素直に読むことで、分かってくるとも書かれています。

なかなか、手が出ないこの書物ですが、近いうちに是非、という思いをますます強くしています。

2009年3月22日日曜日

老人施設火災に思う

去る19日に関東地方にある老人施設で火災があり、10人の高齢者が亡くなった。
報道によると、いわゆる許認可等の手続きを経ていない施設であったようで、東京都内から身寄りのない高齢者が数多く入居していたそうである。

また、今日の新聞ではその続報として、亡くなった方々の身元確認が遅々として進まない状況が報道されている。(詳しくはこちら)

どうも、全く身寄りが無かった方々と肉親はいたものの、その関係が壊れてしまっていた方々がいたようで、読むだけでやり場のない怒りがこみ上げてくる。

私も、他人事ならず父を一人で施設に送り込んでいるわけで、偉そうに言える口ではないが、あまりにも不合理である。施設側の管理の手落ち、不完全さは強く責められるべきであるが、それ以上に、このようなところへ入居せざるを得ないような状況を作ったものに大きな憤りを覚える。

やむにやまれぬ状況であったのだろう、その家族を一方的に責めるわけにもいかないとは思うが、今や亡くなってしまったのだから、少し心を開いてくれれば良いと思うのだけれど、それほどまでに壊れてしまったのだろうか。

国の老人福祉施策は、施設介護から在宅介護へと大きく舵を切っているそうであるが、私の父を含め非常の多くの高齢者が施設に入居している。これらの入居高齢者たちは、今回のこの事故のニュースをどんな思いで見ているのだろうか。それを考えるとさらに心が痛む。

2009年3月21日土曜日

農業の未来は

今朝の新聞で、現在の農政特に減反政策に関する朝日新聞社と東北大学のアンケート調査の結果が、大きく報道されていた。詳しくはこちら

経年的な変化が押さえられていないのが残念であるが、傾向的には従来の農政への懐疑、不信のなせるわざではなかろうか。どうやら国のいうことを鵜呑みにしていてはいけないのではないか、ということに気づき始めたということである。

我が家も実家は米を中心とした農家であったので、何となく分かるのであるが、従来農家、農業というのは徹底的に保護され、非常に手厚い保護をされていた(それこそトキ並に、、、)。農家は米さえ作っていれば、それを国家が適正以上の価格で買い上げてくれ、何とか生きていけたのである。

ところが、それがために農家は自分たちで考えることをやめてしまい、国やその手先となった農協に頼り切り、本来国の根幹を支える産業であるはずの農業を、社会の変化に全くついて行けない斜陽産業に仕立て上げてしまった。

かといって、食べ物に対する好みや安全性にことのほか敏感な日本の消費者に対し、アメリカ型の集約化、大型化は日本の農業には合わないというのも、アンケートの結果が示すとおりである思う。今ようやく、そのことに気づいた担い手たちが全国で様々な取り組みに着手していると聞いている。

天然資源の少ないこの国においては、歴史・伝統・文化と一体化した日本独自の付加価値をつけたサービスを国外の消費者に提供することで経済を回していく必要がある。文化というにはすなわち食文化である。日本のおもてなしの文化は、すべてお客を食でもてなす作法に由来している。その食文化を支えるのが、日本の農業である。

日本の文化、食文化を支えるのは、日本の農業でなければならない。明治維新や第二次世界大戦後の愚を決して繰り返してはならない。

2009年3月20日金曜日

春の気配

今日は彼岸の中日ということで、
いつものごとく父と一緒に
お墓参りに行ってきました。

お墓のある舞鶴地方も
ここ数日の暖かさで、
一気に春がきたようです。







実はこれ、実家の裏山に自生している山葵です
必要なときは、ここから根っこを引き抜いて、
すり下ろして使ったものでした。

旨かったなぁ~!

2009年3月17日火曜日

キネマの都

京都は、日本映画発祥の町といわれています。
町を歩いていると、其処ここにその痕跡が発見されます。

JR二条駅から千本通を北へ少し行くと出世稲荷神社という神社があります。
その神社の裏口(?)にも鳥居があり、その鳥居にはかつての映画人の名が、、、
 



map

また、京福電鉄(嵐電)の帷子ノ辻駅近くには大映通という通りがあり、
その中程にある神社には、こんな碑が、、、


map

これら以外にも、あちこちに探せばあるものです。。

2009年3月15日日曜日

春の空気

このブログを始めてようやく1年がたちました。

始めたときは、何とか1年続いていたら、胸を張って「ブログやってます」と言えると思いながらのスタートでしたので、ようやくこれで大丈夫かなとほっとしています。

今日は3月15日。役所では4月から3月までが会計年度なので、あと半月でいわゆる平成20年度が終わります。
各学校も、あと1週間ぐらいで今年度が終わるようで、我が家の娘たちも後何日と春休みまでのカウントダウンをやっております。
特に下の娘は4月になって進級するのが楽しみなようで、見ているこちらも楽しくなります。

史上空前の大不況も、ひょっとしたら今が底かもしれないという空気が徐々に流れてきました。悪くても4月までで、5月には在庫調整も終わり、いろいろなものが動き出すのでは、ささやかれています。

こういった「空気」というのは非常に大事なもので、この空気がどのように流れるかによって、実体経済の動きも大きく左右されます。
4月になって春になって、みんなの心が少しずつ上向き加減になっていけば、きっと良いことが起きるでしょう。

2009年3月11日水曜日

呪いは解けるか

今朝の新聞で、1985年に阪神タイガースが初の日本一になったときに、道頓堀川に投げ込まれた人形が引き上げられた、という記事を読みました。
なんと大阪版の朝日新聞では、1面の準トップ記事扱いでした。

かねて、それ以後日本一どころか優勝からも遠ざかってしまったことから、「カーネル・サンダースの呪い」とも呼ばれており、真弓新監督を迎えた今年こそは、、、といやが上にも盛り上がりを見せているようです。

思い起こせば、1985年というと私が大学を卒業して府庁に入庁した年で、関西の街中が浮かれまくっていたのを記憶しております。
何を隠そう、実はそれまでは私も熱烈な阪神ファンだったのですが、周囲のあまりな熱狂ぶりに、帰って冷めてしまい、それ以後はプロ野球もあまり見る事がなくなってしまいました。

何はともあれ、地盤沈下の激しい関西件において、盛り上がりがあるというのは良いことです。関西の経済復興には、阪神の活躍が一番の特効薬ともいわれています。
ぜひとも牽引役をお願いしたいものです

2009年3月8日日曜日

若い命

昨日から娘の高校で学年末試験が始まりました。

初日の試験が終わった夕方、ひどく気落ちして帰ってきたので声をかけたところ、当日の朝、同級生が交通事故に遭い、若い命が露と消えてしまったとのことであった。
報道によると、試験のため早朝に自転車で学校へ向かう途上で、左折してくる大型トレーラーに巻き込まれたようである。

運転手はその場で現行犯逮捕されたようであるが、この加害者も私と同年代。ひょっとすると同い年くらいの子供もいたかもしれない。

人間はいずれ死ぬものとは分かっているが、これほど早くにその一生を終える必要は無い。若い人が亡くなるのは本当に悲しい。ご冥福をお祈りしたい。

2009年3月3日火曜日

暴走大臣

ここのところ、麻生内閣の何名かの大臣の暴走が続いている。

今は、東京中央郵便局の建て替えに関して総務大臣がいちゃもんを付けている。どう考えても言いがかりとしか思えないのだが、どうだろうか。

今回の場合は、これまで自分が好き勝手使っていた建物を、多額の負債と共に無理矢理押しつけた上で、従前と同等以上のサービス提供を義務づけ、さらに今後はその建物は文化財だから使用せず、新たに自力で別の施設を設けるよう強要している。

日本郵政とすれば、「こいつは何を言ってるんだ??」という感じではないだろうか。
「文化財だから」といえば大多数の国民が味方になってくれると思い込んでいると思うが、今回の場合、この物件は文化財でも何でもない。特に、日本郵政もこの建物の雰囲気を精一杯配慮した上での再開発計画を立てていると聞く。

古い建物を全てそのままの状態で文化財として保存しなければならないというのは、さすがに難しいのではないか。所有者の意思もあるであろうし、安全上の問題もある。
前の表参道ヒルズのように、古い外観とモダンな内装をうまく組み合わせれば、東京の表玄関にふさわしいランドマークが完成するとおもうのだがどうだろうか。

この愚かな大臣は、「かんぽの宿」騒ぎで一部国民の声に増長して、調子に乗っているとしか思えない。

今度の郵便局騒ぎでは、どう裁断が下されるであろうか。

2009年3月2日月曜日

これぞ職人芸

しばらく投稿をサボっておりましたが、決して息絶えたわけではありません。しっかり生きています。

実は先日来、時計のベルトが壊れかけて気になっていたので、思い切って新しい時計を買おうかと、いろいろ物色していたのですが、今日の帰り道、いつも前を通る時計屋さんに替えベルトがたくさん出ていたので、思い切って入ってみました。

出てこられたおじさんに、ベルトを替えたいと相談すると、特殊形状の時計であっても簡単に直せることを教えてくれ、すぐにいくつか見せてくれてました。

そのうちの一本を選んで待つこと5分。きれいに補正して時計にセットしてくれました。お値段はベルト代金のみの2400円。すばらしい職人の技!すっかりうれしくなり、帰ってきました。

2009年2月23日月曜日

朝日の反撃

今朝の朝日新聞に、先日来4週間にわたって週刊新潮で連載された「朝日新聞阪神支局襲撃犯人手記」に対する反論が載せられた。

結論から言うと、この手記はどうやら全くのでたらめのようで、微に入り細に入り、手記の中で触れられている事柄に対して事実でもって反論している。私も初号は買って読んだものの、どうも胡散臭い感じがして、2号目からは全く読む気にならなかった。

この際、新潮社もともにだまされたのか、でっち上げに一枚かんだのかはよく分からないが、所詮週刊誌という気持ちがあったのではないか、裏付けがあまりずさんとしかいいようがない。

もともと、新潮社と朝日新聞社といえば、天敵同士で、社風的に相容れないものがあるのかもしれないが、ちょいと今回のはひどかったのではないか。

どうも最近の週刊新潮は、部数の伸び悩みのせいか、扇情的な見出しが目につくのだが、気のせいだろうか。

2009年2月21日土曜日

城南宮



城南宮です。
この日は8分咲きだとか、
すばらしい梅花の雨でした。

2009年2月20日金曜日

大好評終幕

二日間にわたるビジネス交流フェアが無事閉幕しました。
合計入場者は過去最高であった昨年を大きく上回り、8000人を越える方々にご参加いただきました。

この不況下でのこの参加者数というのは、正直いって、主催した我々も大きな驚きです。当夜の打ち上げが盛り上がったのは言うまでもありません。

ところで、この二日間で多数の方々にアンケートにご協力いただきましたが、とてつもなく膨大な数になりましたので、とても一日二日で集計できるものではありませんので、来場者の分析は全くできていないのですが、この不況が来場を後押ししたという側面があったものと思われます。

一つには、今取り立てて急ぎの仕事が無いので、業界や技術、他社の動向を見るために参加された方が多かったということがあったと考えています。これは、好景気な状況下では考えられないものです。

二つ目には、なんと言っても今この状況を乗り越えるため、新しい取引先、パートナーを探し、何とかして浮上のきっかけをつかみたいという意欲あふれる方が、多くおられたということだと思います。先日来何回も述べたとおり、こういった方々により多くの出会いがあったのではないか、と想像しています。

100年に一度の未曾有の不況ですが、それを吹き飛ばすパワーが京都の中小企業には満ちあふれている。
この不況から真っ先に立ち上がるのは、京都の中小企業であるという思いをさらに強くいたしました。

2009年2月19日木曜日

ビジネス交流フェア開幕

いよいよ、ビジネス交流フェアが始まりました。
初日の今日は、天候もまずまずで、多数のお客様がお見えでした。

きっと、多くの出会いが生まれたことでしょう。
明日は天気が心配ですが、また行って参ります。




2009年2月18日水曜日

ビジネス交流フェア

明日から二日間、京都市伏見区にある京都府総合見本市会館~パルスプラザ~で、私の働く財団法人が主催する最大の行事である、京都ビジネス交流フェア2009が開催される。
今日は、見本市会館へ行き、その準備をしてきたところである。

このフェアは、府内最大規模の中小企業の展示会で、毎年この時期に開催している。今年も、不況の中多数の企業様に出展をしていただくことができて、大変うれしく思っている。

出展される企業の多くは、いわゆるメーカーの下請けをしている企業さんたちで、この不況の中、非常に苦労されているところばかりである。
我々としてできることは本当に限られており、何とかこの展示会で、少しでも新しい出会いが生まれることを祈るばかりである。

そして、祈るばかりでなく、そうなるように精一杯お手伝いをさせていただくつもりである。
せめて、天候に恵まれますように。

2009年2月17日火曜日

避難訓練

今日も朝から、小雪が舞い降りる寒い一日であった。
そんな中、娘の小学校では避難訓練があったそうである。

何の訓練かというと「不審者」への訓練だそうである。

校内放送があると、先生が教室の入り口を施錠し、子供達は反対側の隅にひとかたまりになって待避し、次の指示を待つ。その後不審者が確保されたら、体育館へ避難するそうである。

年間に、この不審者と地震、火災の三回の避難訓練があるそうで、今日初めて聞かされました。

小学校への不審者というと、数年前の池田小学校の事件を思い出します。あの頃は、あちこちの学校で不審者による騒ぎが頻発していたような記憶があるが、最近はとんとそういう騒ぎを聞くこともなくなった。

備えあれば憂いなしと言うが、できればこういったことに備えなくても良い世の中になってほしいものである。

2009年2月16日月曜日

酩酊大臣

昨日までの暖かさが嘘のように、今日はめっきり寒い一日となり、夕方には雪が降り出してきた。

毎朝出がけに新聞をざっと斜め読みしてでてくるのだが、今朝の社会目の片隅に、先日のイタリアであった中川大臣記者会見の様子について、小さな記事が載っていた。
このとき、どうやら大臣はすっかり酩酊の様子で、テレビのニュースの映像を見ると、ろれつが回らないだけでなく、目元も怪しく、途中からは半分眠ったような表情になってしまっていた。
公式には、風邪薬の飲み過ぎとのことであるが、その言葉を信じている人はおそらく一人としていないであろう。

彼は、以前にもすっかり酩酊して記者会見に臨んだことがある、いわば常習犯で、これが国内でとどまっているうちは、あるいは笑い話ですんだかもしれないが、今回は世界中にすっかり知れ渡ってしまったようである。

かつてのロシアの大統領も大酒飲みで、赤い顔をして現れるのがトレードマークでさえあったが、その彼でさえ、まともな受け答えができないほど酩酊しながら、現れるというようなことはなかったと思う。

何のために自分があの場所に望んでいるかということを考えるなら、あのような醜態をさらすことはあり得ないのではないかと思う。ここまで能力も覚悟も自覚もないような大臣の首を切ることもできない、総理大臣というのは一体何なんだろう。

支持率はついに10%を切ったそうである。

2009年2月15日日曜日

暖冬


 

今日は季節外れの暖かい一日となりました。
田んぼにも花が咲き乱れ、ミツバチが忙しそうです。

2009年2月14日土曜日

チョコレートの日?

今日は聖バレンタインディ、日本では何故かチョコレートの日である。
私も娘達からお裾分けをもらいましたが、今年は逆チョコなるものが出てきたそうである。

調査会社によると、バレンタインディの市場は500億円、一方のホワイトディは倍の1000億円と言われているので、見栄っ張りの男性をターゲットにした方が儲かる!と踏んだお菓子会社のキャンペーンですが、果たしてどの程度定着するでしょうか。

お菓子会社の陰謀と言えば、このバレンタインディをチョコレートに日に変えてしまったのが、メリーチョコレートという東京の会社だそうである。そこの元社長である原邦生という方が書かれた「感動の経営」という本を読んだことがあるが、すばらしい理念に基づいた経営を実践されている会社で、こういう会社が永続していくのだろうな、と思っていたところ、昨年末にロッテの傘下に入るという新聞記事を読んでびっくりした。

あれほどすばらしい経営をされている会社でもこんなことがあるんだと、改めて厳しい状況であることに思い至りました。

何はともあれ、今年のバレンタインディ、少しは需要の拡大にはなったのでしょうか?

2009年2月12日木曜日

TOMORROW

♪涙の数だけ強くなれるよ
アスファルトに咲く花のように
見るものすべてに おびえないで
明日は来るよ 君のために♪

岡本真夜さんの「tomorrow」という曲の出だしの部分です。

最近、JR丹波口で降りてから、事務所に着くまでの間に
聞きながら歩いています。

みんなが元気をなくしている今だからこそ、
明日に向かって、しっかり顔を上げて
歩いていきたいものです。


涙の数だけ強くなれるよ
アスファルトに咲く花のように
見るものすべてに おびえないで
明日は来るよ 君のために

突然会いたいなんて
夜更けに何があったの
あわててジョークにしても
その笑顔が悲しい

ビルの上には ほら月明り
抱きしめてる 思い出とか
プライドとか 捨てたらまた
いい事あるから

涙の数だけ強くなれるよ
アスファルトに咲く花のように
見るものすべてに おびえないで
明日は来るよ 君のために

季節を忘れるくらい
いろんな事があるけど
二人でただ歩いてる
この感じがいとしい

頼りにしてる だけど時には
夢の荷物 放り投げて
泣いてもいいよ つきあうから
カッコつけないで

涙の数だけ強くなろうよ
風に揺れている花のように
自分をそのまま 信じていてね
明日は来るよ どんな時も

涙の数だけ強くなれるよ
アスファルトに咲く花のように
見るものすべてに おびえないで
明日は来るよ 君のために

涙の数だけ強くなろうよ
風に揺れている花のように
自分をそのまま 信じていてね
明日は来るよ どんな時も

明日は来るよ 君のために

2009年2月8日日曜日

Supercapitalism

昨年発売され、大きな反響を呼んだ「暴走する資本主義」という本を読みました。今週に入って夜眠る前に少しずつ読んでいたのですが、その内容はとても興味深いものであった。

原題は「Supercapitalism」、「超 資本主義」あるいは「行き過ぎた資本主義」という感じであろうか。

資本主義の対極にある共産主義が破綻し、資本主義=資本による統治が極端にまで進んだ現在の社会を、Supercapitalismとよんでいる。従来は民主主義という政治原理があって、現代の社会は民主主義に基づき運営されていると信じ込んでいた。
しかしながら本書では、資本力を有する者がその資本の力により、いともたやすく政治の世界を動かしていく様を的確にあぶり出していく。

例えばアメリカの政治社会で伝統的に力を持っているロビイストの存在である。日本にはこういった制度がないのであまりピンとはこないかもしれないが、いわゆる財界からの圧力などがこれに該当するのであろうか。
経団連などの財界の代表が国の諮問会議などで大きな発言力を持つようになり、小泉内閣ではその力を背景に行き過ぎた規制緩和が進み、現在の雇用不安を招いたことは記憶に新しい。

政治体制や社会習慣が日本とは大きく違うアメリカでの例であり、直接に日本に当てはまるとは思えないが、きっと近い将来目の当たりにする姿ではないだろうかと危惧される。

本書では、そのための処方箋も挙げているが、その中で一つ頷ける指摘として、「企業」を擬人化することをやめようという提案があった。

よく我々は企業があたかも一つの意志を持った存在であるかのように扱うことがある(例えば、企業による犯罪、品のない会社、などなど)が、これは明らかに間違いである。企業をそのように扱うと、あたかも企業自体がある種の義務や権利を持った存在であるかのように誤認してしまう。
企業が社会に対して何らかの権利を持っているなどと考えることは誤りである。その考え方を推し進めていくと、民主主義が資本主義に乗っ取られてしまうことになる。

そしてこのことから、法人税の廃止などへと論は進んでいくのであるが、この法人が権利主体とはなり得ないという考え方は非常に興味深い。確かに、そこの押さえを間違うと、とんでもない未来が待ち受けているような気がする。

昨年出版された経済書の中で、どこの書評をみてもトップ3に挙げられてるこの本は、その評判に違わず読み応えのあるおもしろい本でした。

2009年2月7日土曜日

47

恥ずかしながら、今日2月7日は私の誕生日であります。
なんと47歳になってしまいました。

かの織田信長は47歳で亡くなっています。
また栄西禅師が二度目の入宋をしたのが46歳だそうです。

まだまだ何事かを成し遂げる時間はあると言うことでしょうか。
一体この先どれほどのことができるでしょうか。

惑いっぱなしの40代を送っています。

2009年2月3日火曜日

大阪へ

今日は節分でした。
全国のお寺や神社では節分行事が多数行われたことと思いますが、残念ながらあいにくの雨でした。

その雨の中今日は大阪のリッツカールトンホテルで行われた、遠藤功さんの講演会を聞きに行って参りました。さすがに人気の講演とあって、会場は超満員。相変わらずためになる話で、90分という時間もあっという間に過ぎてしまいました。

ただ、後ろの席に座っていた男性が、封筒から資料を出したり入れたり、鞄から何かを出したりしまったりと、とにかくごそごそとうるさくて困ってしまいました。聞く気がないのなら、出て行けばよいのにと思っていたら、休憩時間には資料もすべておいたままで帰ってしまいました。
会場を間違えたのでしょうかね。せっかく良い機会だから、しっかり聞いて帰れば良かったのに。惜しいことです。

2009年2月1日日曜日

比叡山



先日、宝ヶ池へ行ったとき、会館の前から一枚。
ここまでくると、間近に見えて迫力があります。

散髪に行ってきました

今日下の娘と一緒に髪の毛を切りに行ってきました。
最近は価格破壊が進むこの業界、我が家の近所にも理容と美容が一体になった新しいお店ができたので、最近はここを利用している。小学生の娘ならカット、ブローで1200円くらいなので、大助かりである。

今日は先に娘のカットをしてもらい、その後隣で私の整髪をしてもらったのであるが、おそらくは同じ資本系列なのだと思うが、店の雰囲気は大違い!

娘の行った美容コーナーでは、ずっと娘に話しかけてくれていたようで、最初から最後まで笑い通しで、帰りもご機嫌で帰って行った。ご多分に漏れず、このお店でも顧客カードを作っていて、何回か通うと無料で何かのサービスが受けられるようである。このお店では、そのカードにスタンプの代わりに担当者の名前を書いてくれて、どんな処理をしたかも欄外にメモがしてある。

一方、私の行った理容コーナーでは、終始ぶすっとした顔立ちで、店員同士の会話にも笑顔がほとんどない。どうも雰囲気が明るくないのである。こちらの店の顧客カードは、レジのところでまさにスタンプを押してもらうだけである。

同じ店のはずなのにこの違いは何だ。

いくら安くても、安かろう悪かろうではお客は決して支持してくれないのではないか。せめて数分間は、お客にいやな思いをさせないでいてほしいものである。うそでも自分は大事にされているなと思わせるような扱いをしたほうが、お互いのためだと思うのであるが。

2009年1月31日土曜日

宝ヶ池


昨日は一日「知的財産」のシンポジウムで、宝ヶ池の国際会館へ行っておりました。
国際会館へ行くのは一年半ぶりくらいで、都会の雑踏を離れた本当に静かなところです。

シンポジウムそのものは、かなり専門的なもので、素人の私にはかなり難解でしたが、何か今後の産業振興にに生かせればと思っております。
経済状況が冷え込んでいる今こそ、技術で生きている企業にとって、知的財産というのはまさに生命線です。その戦略的な活用は今後の生き残りに欠かせません。

それにしても難しかった。。。

2009年1月29日木曜日

朝日新聞阪神支局襲撃事件の真相は

今朝の新聞各紙の広告欄で、今日発売になった週刊新潮のど派手な広告が目を引いた。

今を去ること20数年前の朝日新聞阪神支局の襲撃犯人による実名入り手記掲載という内容である。実は早速出勤時の駅売店で買い求めて、行きの電車の中でそこの記事だけを読んでみた。

正直な感想を言うと、本当かなと思う気持ちが1割ぐらいと本当かもという気持ちが2割ぐらい。そしてあまりな勝手な言い分に怒りが7割という感じであった。

この手記に書かれていることが本当かどうかを確かめるすべはほとんどないし、この卑劣非道な犯罪を裁くすべも残されていない。

願わくは、来週に発売される続編で明かされる予定(と書かれている)の、犯行を命じた黒幕の暴露を待ち、その人物に何とか社会的な制裁を加えられることを望むばかりである。

2009年1月28日水曜日

40万人ショック

昨日の報道で、今年3月末までに40万人に及ぶ派遣請負労働者が、職を失う見込であるということが明らかにされた。
もちろん推測の域を出ないものであるが、それほど大はずれの数字ではないと思われる。国内で働く全労働者数がおよそ6300万人であるから、それだけで失業率を1%近く押し上げる要因になる。

この上に、国内で働く外国人労働者(合法・不法を含む)が100万人といわれており、その多くが、雇用の調整弁として解雇されるであろう事は眼に見えている。

図らずも、今日から京都府庁の正門前で150名の建設労働者のみなさんが、仕事を求めて座り込みを始められたそうである。かつては、公共事業による雇用創出事業なども行われたが、昨今の事業抑制政策路線も相俟って、非常に厳しい状況におかれていることであろう。

ただ単にお金をばらまくだけでなく、ただ単に当座の雇用を作り出すだけではなく、何か他に行政の力でできることはないのだろうか。

悶悶とした日々が続きます。

2009年1月27日火曜日

人生ってやつは、、、

怒濤のような週末が終わって2日が過ぎ、少しばかり落ち着いて参りました。

日曜日に父の引っ越し(結局一日で3往復しました)が終わり、今日も先ほど様子を見に行ってきました。当然のことながら、まだまだなれるところまではいかないようで、生活の形を作るのが精一杯という感じでしょうか。

しかしながら、寂しさは隠せないようで、顔を見に行くと本当にうれしそうな表情を見せてくれました。
先日までは、とりあえず家族みんなを囲んでの夕食であったものが、昨日からは知らない人の中に混じって、食べるわけで、それは心細いことであろう。聞いているこちらの胸も痛むばかりである。

父がいなくなって、これからの父と私のつきあい方をどうすればよいのか、父の孤独感をいかにかんっじさせないようにしていけばよいのか、親子関係のあり方を考えているとき、もう一つの親子関係について、痛切に感じる出来事がありました。

もう一つの親子関係、私と娘達の関係です。上の娘は高校生なので、親父なんて鬱陶しいだけでしょうが、下の娘はまだ小学生で、父がいなくなってからというもの、べったりとまとわりつくように甘えてきます。

どうも父がいた間は、私が父にかかりきりになってしまうのがおもしろくなかったらしく、今ではその分をそり戻そうとするように甘えてきます。
こちらは、全くそんなつもりはなかったのですが、彼女としては寂しく感じていたのでしょう。

当然のことながら、私にとってどちらがより大事ということはありませんが、考えさせられる出来事でした。

なんだこれは?

先日、下の娘に「お父さん!タンポポ畑にスゴいモンが落ちてる!!」
と言われ、近所の広場(我が家の通称「タンポポ畑」)へ行ってきました。

これがその「スゴいモン!!」です。



直径およそ1メートル。10日間以上雨ざらしです。

2009年1月24日土曜日

寒さひとしお

今日は、亀岡市内でも小雪がちらつくなど、大変寒い一日となりました。

そんな中、先日来の懸案となっていた父の施設入居の準備に走り回っておりました。
紆余曲折はあったものの、明日には入居できることになって、いろいろと買いそろえなければいけない物があったです。

入居する先は、ケアハウスと呼ばれる施設で、基本的には入居者が自立して生活できることが要件で、食事付きの高齢者マンションといった感じの施設です。

建物はまだまだ新しく、室内もきれいなものです。各室とも冷房完備で、トイレも中についています。食堂・大浴場が一階にしかないので、そこまでは移動しなければならず、郵便ポストも玄関に一カ所なので、いやでも毎日一階のホールまで、最低3回は歩いていかなければなりません。

一緒に住んでいると、どうしても歩くことが億劫になるようで、冬場は自室からトイレ・食堂までの往復10mくらいしか移動することがありません。

それを考えると、今回の入居は、父にとっても良かったのではないか、と自分に言い聞かせています。
明日には、父を連れて施設へ向かうわけですが、せめて頻繁に顔を見に行きたいと思っています。

2009年1月21日水曜日

太宰と清張

今年は、太宰治と松本清張の生誕100年だそうである。
この二人が同い年というのは驚きであるが、作風も全く違い、松本清張のデビューが太宰治の死亡後ということであるから、両者につながりが見いだせないというのも宜なるかなというところである。

太宰治の作品は昨年表紙がリニューアルされて書店に山積みになっていたが、昔に何冊か読んだ記憶があるだけで、実はあまりじっくりと読んだことがない。

一方、松本清張は高校生時代に狂ったように読んだ時期があって、「ゼロの焦点」「点と線」「砂の器」などが特にお気に入りで、この三冊は何度も読み返した記憶がある。
ストーリー的には、「偶然」とか「たまたま」という言葉が随所に見られ、「どやねん!」と突っ込みを入れたくなるようなご都合主義的な展開もあったが、社会派と言われるとおり、政治や社会の暗闇を描く筆致は小気味よいものがあった。
また、彼が書く歴史小説もなかなか面白く、ほとんどが短編であるがこれもまた何度も読み返した記憶がある。
先日、清張の全集から短編集を図書館で借りてきたので、また久しぶりに清張ワールドに浸ってみたいと考えている。

2009年1月20日火曜日

常用漢字

先日、新しい「新常用漢字表」の試案が公表され、今春から意見聴取をした後、来年には正式決定されるそうである。

今回話題になったのは、「熊」「阪」「茨」などのように府県名として広く一般に使われているものが、やっと常用漢字として採用されることになったというニュースでした。これまで常用漢字ではなかったということの方が不思議なほどで、他にもまだまだあるのではないかと思わせる。

などと、他人事のように考えながら一覧表を眺めていたら、今の私の住まいである「亀」岡と同じく私の生まれた舞「鶴」も今回採用されることになったようで、改めてこの制度の不合理さを認識してしまった。

ところで、ここまで読んで頂くとお気づきのとおり、これで「鶴」「亀」が揃ったわけですね。私も始めてこの偶然に気づきまして、不合理さを感じながらも新年早々(でもないですが)非常に良い気分になりました。

今年はきっと良いことがあるという、吉兆に思えたのは私だけでしょうか。

2009年1月19日月曜日

2009年1月17日土曜日

阪神・淡路大震災

今日は1月17日、1995年にあった阪神・淡路大震災からちょうど14年を迎える。
毎年のように大きな地震に見舞われる地震国日本であるが、「震災」と呼ばれるのは、関東大震災とこの阪神・淡路大震災のみである。
それほど我々には大きな恐怖の記憶として刷り込まれている。

今、この日のことを思い出してみると、当時は府南部の宇治市に住んでいた頃で、地震の発生した5時47分というと普段なら目覚める直前の時間帯である。その前後はずっと深夜までの勤務が続いていた頃で、前夜の帰宅時刻も遅かった。

しかしながら、その日に限って何故その時間に目が覚めていたのか、今となっては思い出せない。
ただ、地震が始まる前のゴゥという地鳴り、揺れ始めたときは布団の上で体を起こしていたことは覚えている。宇治市内も震度5以上の揺れがあったはずであるが、軽量鉄骨造りのアパートではほとんど被害がなく、物が落ちて割れたり怪我をしたりということもなかった。

そのときすぐに、実家へ電話して双方の安否を確認したので、その後の電話の不通騒ぎに巻き込まれることはなかった。この震災を教訓に、緊急参集など防災体制がひかれることになったが、当時はそういったこともなく、何故か何事もなかったかのように動いている近鉄電車に乗って、ほぼ定時に勤務先に着くことができた。

ところが、その頃所属していた部署で、その日公共交通機関を使って出勤できたのは私一人で、近くの人や自転車・バイク通勤の人達以外は職場へ到達することができなかった。また電話もすべて不通で、職員の安否確認すらできない状況であった。

結局その日、どのような仕事をして帰ったかは覚えていない。組織だった被災地への救援が始まったのはその翌日ではなかったかと思う。今も決してその復興は完全には終わっていないということを思うと、まだまだ忘れてはいけない記憶である。

この年、震災の恐怖冷めやらぬ頃、東京でオウム・サリン事件が発生し、「安心・安全」ということがこの年のキーワードとなった。
「安全」はある種のハード対策で、投資に対する効果は持続し、判定も比較的容易である。一方、「安心」はメンタルなものであってある種のソフト対策である。投資に対する効果は一様ではなく、測定もほぼ不可能に近い。にもかからず「安心・安全」を誰もが求めるようになった。

この震災は、我々にとって、役所が提供するあらゆるサービスの基準が、見えない形で大きく変わったきっかけになった出来事である。

2009年1月15日木曜日

断腸の思い

今日の午後、お休みをいただいて父ととあるところへ出かけて参りました。
出かけた先は、亀岡市内にある老人ホームです。

以前にも書いたことがありますが、私の父は2年ほど前に脳梗塞を患い、右半身が利かなくなってしまいました。制度で認められる限りの期間(6ヶ月)は病院で治療とリハビリをしていたのですが、その後は私の家で同居しております。

しかしながら、暖かい間は何とか外を散歩もしていたのですが、一冬を過ごす間にすっかり出不精になってしまい、そのせいもあってか退院してきたときよりも明らかに足腰が弱ってきています。

お世話になっているケアマネージャー氏と相談したのですが、そのほかのところには全く障がいがないにもかかわらず、足腰がだめになってしまうことで、寝たきりになってしまう恐れがあるということもあり、いわゆる自立型の老人ホームへ入所してみようかということになり、その面接に行ってまいりました。

本人にとっては、あまりおもしろくないかもしれませんし、私にとっても母が亡くなってから15年以上も一人きりで放ったらかしていた父とようやく一緒に住めることになったのにと、申し訳ない思いでいっぱいです。ただ、その施設は現在満室でして、今後空きが出れば入居という予定なのですが、その時期のめどが立っているわけではありません。

1ヶ月先か半年先かわかりませんが、せめてその間は精一杯孝行したいと思っています。

2009年1月14日水曜日

ZEN

先日、仕事の帰りに「ZEN」という映画を見てきた。
曹洞宗の開祖「道元禅師」の生涯をコンパクトにまとめた映画である。

昨年末、実家のお寺にお参りしたとき住職に是非にと進められたこともあり、機会があればと前売り券を買っていた。
おそらくは曹洞宗のPR映画?と高をくくって見ていたのだが、徐々にその内容に惹かれてくのが実感できた。また、とても驚いたのは、平日の夕方にもかかわらず、120名ほどが入るホールは満員で、私の取った席が最後の一つ。最前列の左端という映画を見るには非常に過酷な状況であった。
まさかこれほどの人気とは、ちょいと見くびりすぎであった。

よく言われるとおり、彼はそうに留学し、本邦に「禅」を持ち込んだ人であり、53歳の若さでその生涯を終えている。
彼が著した「正法眼蔵」は、当代随一の哲学書とも言われており、とてもじゃないが歯が立たないとは思うものの、何とか今年中に一通りでも読み通してみたいと思っている。

「只管打坐」ただひたすらに自らと向き合うことにより、何かが見えてくるのではないかと考えている。

2009年1月12日月曜日

大失業時代

つい先日、アメリカの雇用統計が発表になって、昨年離職した人の数が、1945年の大戦終結時と並ぶ最悪の数字となったそうである。オバマ次期アメリカ大統領は、400万人の雇用を創出すると宣言していますが、どうなるでしょうか。

一方、日本の政治はとにかくパッとしません。
経済対策を最優先という割には、動きは緩やかでのんびりしています。巷にあふれかえる失業者の声には、あまりに無頓着に見えます。早く何とかしないと、社会が崩壊してしまいます。

今日読んだP.F.ドラッカーの「企業とは何か」という本に次のような一節がありました。

「長期の失業は経済的な惨事であるだけでない。社会そのものを破壊する。長期の失業者は罪なくして市民性を奪われ、社会での位置をなくし、尊厳を損なう。不況によってこれらのものを奪われる社会は、その成員たちにとって絆となりえず意味をもちえない。長期の失業に耐えられる産業社会は存在しない。」

まずは、働きたいと思っている人達に仕事を。
そして、誰もが安心してその仕事を続けられる社会を。

成人の日

今日は成人の日、朝から晴れ着姿のお嬢さんを何名か見かけました。
学校に行っている人、働いている人、すでに人の親になっている人、人生はそれぞれかと思いますが、今後は何かにつけ「大人」としての言動が求められます。しっかりと生きていってもらいたいものだと思います。

ところで、私は1962年に生まれましたので成人式を迎えたのは1982年ということになります。

いろいろなことがあった年ですが、鮮明な記憶として残っているのは、2月に連続して発生したホテルニュージャパン火災と日航機の逆噴射墜落事故でしょうか。個人的には、1年間の浪人生活の後、なんとか地方の大学に拾ってもらい、2回生になって講義をサボることを覚え、アルバイトに精出していた頃でした。

毎日お昼頃に目を覚まし(「笑っていいとも!」が始まったのもこの年でした!)、近所のうどん屋で腹ごしらえをし、おもむろにバイト先へ向かう。アパートへ帰ったら、飯食って、銭湯へ行って、その後は夜明け近くまで本を読むという生活を送っておりました。(あの頃は、司馬遼太郎、吉川英治などなど歴史物を狂ったようにむさぼり読んでおりました。)

それを考えると、今の20歳のほうが、しっかりと生きているのかもしれないですね。
だから言えるわけではないですが、時間のある若い間は、何か一つのことをやり遂げるということに力を尽くしてほしいと思います。若いからこそできることに。将来、決して後悔しないように。
「あのとき、あぁしておけばよかった」と嘆くオヤジにだけはならないように。

2009年1月10日土曜日

商売繁盛


今日は、1月10日。十日戎です。
不況のさなかで、頼れるものは神様しかいない
ということで、西宮戎まで行って参りました。

何よりも、みんなが幸せになれますように。
そのために、全力が出し切れますように。
どんな苦境にも負けない強さが授かりますように。

冷たい

今朝は空気が冷たいなと思っていたら、
我が家の玄関先から見える山並みは、
うっすらと雪化粧でした。

我が家からほぼ真東の方向で、
山の裏側は嵐山~桂の辺りになります。

2009年1月8日木曜日

Are you ....?

今日は、昨日予告いたしましたとおり、私の所属する団体の賀詞交換会でした。

多数のお客さんがお見えになり、いろんな方に信念のご挨拶を申しあげたのですが、その中で特に印象に残ったのが、京都工芸繊維大学の江島学長の一言でした。

おっしゃった一言は、「ハッピーですか?」

今年は「元気ですか?」と聞かれたら「元気です!!」と答えることを旨としていたのですが、「ハッピーですか?」という問いは予想だにしておらず、思わず考え込んでしまいました。

「ハッピー」というのは、様々な条件が重なって到達できる境地です。
また、自分の努力で到達できる境地でもあります。

次にお会いするときは、心から「ハッピーです!」と答えられるようにいたします。

心を亡くすということ

先日、急いで出かける用事があって、流しのタクシーを捕まえて、飛び乗るなり「○○まで!」とつい早口で行く先を告げてしまいました。

実は私は4年前、下あごに大きな手術をしたため、滑舌が大変悪くなってしまい、上手に話すことができません。いつもなら、できるだけゆっくりはっきりと話すように心がけているのですが、そのときは忙しかったこともあって、ついそんなしゃべり方になってしまったのですね。

そして、車に乗って前の座席の背もたれを見ると、「聴覚障害のため、行く先はゆっくり大きな声でお願いします」と書かれておりました。

思わず、脳天からガツンと殴られたような気がいたしました。そして周囲を見ると、運転手さんの耳にはイヤホンがささっており、その先は天井から下げられた集音マイクに繋がっておりました。

いつもなら、どんなに急いでいても、何かしら運転手さんと話をするようにしているのですが、このときは降りるまで何も話すことができず、降車の際にお礼の言うのがやっとという状態でした。

よく言われるように、「忙しい」という字は「心を亡くす」と書きます。人として有る限りは、決して心を亡くさないように過ごしていきたいと、改めて心に誓った苦いできごとでした。

2009年1月7日水曜日

幸天満宮





今日は、明日開催される予定の私が勤務している組織の賀詞交換会に向けて、その際に使用する名刺の増刷をしておりました。

せっかくなので趣向を凝らそうと思い、職場の近所にある(はずの)お稲荷さんへ行って、用紙をいったんお供えし祈りを込めた物を使おうと思い立ち、昼休みにお参りに行ったところ、地図上では稲荷神社となっていたはずが、実物は住吉神社。

あれっと思いながら境内へ足を踏みいれると、少し小振りのお摂社がありました。そしてその名前を見てびっくり、なんと「幸(さいわい)天満宮」とあるではありませんか。

これは、これ以上の神様はいないと思い、しっかり願をかけて参りました。
枚数は限られていますが、明日はしっかりこの名刺を撒き散らしてこようと思っております。

皆さんに、幸多からんことを!