2009年1月31日土曜日

宝ヶ池


昨日は一日「知的財産」のシンポジウムで、宝ヶ池の国際会館へ行っておりました。
国際会館へ行くのは一年半ぶりくらいで、都会の雑踏を離れた本当に静かなところです。

シンポジウムそのものは、かなり専門的なもので、素人の私にはかなり難解でしたが、何か今後の産業振興にに生かせればと思っております。
経済状況が冷え込んでいる今こそ、技術で生きている企業にとって、知的財産というのはまさに生命線です。その戦略的な活用は今後の生き残りに欠かせません。

それにしても難しかった。。。

2009年1月29日木曜日

朝日新聞阪神支局襲撃事件の真相は

今朝の新聞各紙の広告欄で、今日発売になった週刊新潮のど派手な広告が目を引いた。

今を去ること20数年前の朝日新聞阪神支局の襲撃犯人による実名入り手記掲載という内容である。実は早速出勤時の駅売店で買い求めて、行きの電車の中でそこの記事だけを読んでみた。

正直な感想を言うと、本当かなと思う気持ちが1割ぐらいと本当かもという気持ちが2割ぐらい。そしてあまりな勝手な言い分に怒りが7割という感じであった。

この手記に書かれていることが本当かどうかを確かめるすべはほとんどないし、この卑劣非道な犯罪を裁くすべも残されていない。

願わくは、来週に発売される続編で明かされる予定(と書かれている)の、犯行を命じた黒幕の暴露を待ち、その人物に何とか社会的な制裁を加えられることを望むばかりである。

2009年1月28日水曜日

40万人ショック

昨日の報道で、今年3月末までに40万人に及ぶ派遣請負労働者が、職を失う見込であるということが明らかにされた。
もちろん推測の域を出ないものであるが、それほど大はずれの数字ではないと思われる。国内で働く全労働者数がおよそ6300万人であるから、それだけで失業率を1%近く押し上げる要因になる。

この上に、国内で働く外国人労働者(合法・不法を含む)が100万人といわれており、その多くが、雇用の調整弁として解雇されるであろう事は眼に見えている。

図らずも、今日から京都府庁の正門前で150名の建設労働者のみなさんが、仕事を求めて座り込みを始められたそうである。かつては、公共事業による雇用創出事業なども行われたが、昨今の事業抑制政策路線も相俟って、非常に厳しい状況におかれていることであろう。

ただ単にお金をばらまくだけでなく、ただ単に当座の雇用を作り出すだけではなく、何か他に行政の力でできることはないのだろうか。

悶悶とした日々が続きます。

2009年1月27日火曜日

人生ってやつは、、、

怒濤のような週末が終わって2日が過ぎ、少しばかり落ち着いて参りました。

日曜日に父の引っ越し(結局一日で3往復しました)が終わり、今日も先ほど様子を見に行ってきました。当然のことながら、まだまだなれるところまではいかないようで、生活の形を作るのが精一杯という感じでしょうか。

しかしながら、寂しさは隠せないようで、顔を見に行くと本当にうれしそうな表情を見せてくれました。
先日までは、とりあえず家族みんなを囲んでの夕食であったものが、昨日からは知らない人の中に混じって、食べるわけで、それは心細いことであろう。聞いているこちらの胸も痛むばかりである。

父がいなくなって、これからの父と私のつきあい方をどうすればよいのか、父の孤独感をいかにかんっじさせないようにしていけばよいのか、親子関係のあり方を考えているとき、もう一つの親子関係について、痛切に感じる出来事がありました。

もう一つの親子関係、私と娘達の関係です。上の娘は高校生なので、親父なんて鬱陶しいだけでしょうが、下の娘はまだ小学生で、父がいなくなってからというもの、べったりとまとわりつくように甘えてきます。

どうも父がいた間は、私が父にかかりきりになってしまうのがおもしろくなかったらしく、今ではその分をそり戻そうとするように甘えてきます。
こちらは、全くそんなつもりはなかったのですが、彼女としては寂しく感じていたのでしょう。

当然のことながら、私にとってどちらがより大事ということはありませんが、考えさせられる出来事でした。

なんだこれは?

先日、下の娘に「お父さん!タンポポ畑にスゴいモンが落ちてる!!」
と言われ、近所の広場(我が家の通称「タンポポ畑」)へ行ってきました。

これがその「スゴいモン!!」です。



直径およそ1メートル。10日間以上雨ざらしです。

2009年1月24日土曜日

寒さひとしお

今日は、亀岡市内でも小雪がちらつくなど、大変寒い一日となりました。

そんな中、先日来の懸案となっていた父の施設入居の準備に走り回っておりました。
紆余曲折はあったものの、明日には入居できることになって、いろいろと買いそろえなければいけない物があったです。

入居する先は、ケアハウスと呼ばれる施設で、基本的には入居者が自立して生活できることが要件で、食事付きの高齢者マンションといった感じの施設です。

建物はまだまだ新しく、室内もきれいなものです。各室とも冷房完備で、トイレも中についています。食堂・大浴場が一階にしかないので、そこまでは移動しなければならず、郵便ポストも玄関に一カ所なので、いやでも毎日一階のホールまで、最低3回は歩いていかなければなりません。

一緒に住んでいると、どうしても歩くことが億劫になるようで、冬場は自室からトイレ・食堂までの往復10mくらいしか移動することがありません。

それを考えると、今回の入居は、父にとっても良かったのではないか、と自分に言い聞かせています。
明日には、父を連れて施設へ向かうわけですが、せめて頻繁に顔を見に行きたいと思っています。

2009年1月21日水曜日

太宰と清張

今年は、太宰治と松本清張の生誕100年だそうである。
この二人が同い年というのは驚きであるが、作風も全く違い、松本清張のデビューが太宰治の死亡後ということであるから、両者につながりが見いだせないというのも宜なるかなというところである。

太宰治の作品は昨年表紙がリニューアルされて書店に山積みになっていたが、昔に何冊か読んだ記憶があるだけで、実はあまりじっくりと読んだことがない。

一方、松本清張は高校生時代に狂ったように読んだ時期があって、「ゼロの焦点」「点と線」「砂の器」などが特にお気に入りで、この三冊は何度も読み返した記憶がある。
ストーリー的には、「偶然」とか「たまたま」という言葉が随所に見られ、「どやねん!」と突っ込みを入れたくなるようなご都合主義的な展開もあったが、社会派と言われるとおり、政治や社会の暗闇を描く筆致は小気味よいものがあった。
また、彼が書く歴史小説もなかなか面白く、ほとんどが短編であるがこれもまた何度も読み返した記憶がある。
先日、清張の全集から短編集を図書館で借りてきたので、また久しぶりに清張ワールドに浸ってみたいと考えている。

2009年1月20日火曜日

常用漢字

先日、新しい「新常用漢字表」の試案が公表され、今春から意見聴取をした後、来年には正式決定されるそうである。

今回話題になったのは、「熊」「阪」「茨」などのように府県名として広く一般に使われているものが、やっと常用漢字として採用されることになったというニュースでした。これまで常用漢字ではなかったということの方が不思議なほどで、他にもまだまだあるのではないかと思わせる。

などと、他人事のように考えながら一覧表を眺めていたら、今の私の住まいである「亀」岡と同じく私の生まれた舞「鶴」も今回採用されることになったようで、改めてこの制度の不合理さを認識してしまった。

ところで、ここまで読んで頂くとお気づきのとおり、これで「鶴」「亀」が揃ったわけですね。私も始めてこの偶然に気づきまして、不合理さを感じながらも新年早々(でもないですが)非常に良い気分になりました。

今年はきっと良いことがあるという、吉兆に思えたのは私だけでしょうか。

2009年1月19日月曜日

2009年1月17日土曜日

阪神・淡路大震災

今日は1月17日、1995年にあった阪神・淡路大震災からちょうど14年を迎える。
毎年のように大きな地震に見舞われる地震国日本であるが、「震災」と呼ばれるのは、関東大震災とこの阪神・淡路大震災のみである。
それほど我々には大きな恐怖の記憶として刷り込まれている。

今、この日のことを思い出してみると、当時は府南部の宇治市に住んでいた頃で、地震の発生した5時47分というと普段なら目覚める直前の時間帯である。その前後はずっと深夜までの勤務が続いていた頃で、前夜の帰宅時刻も遅かった。

しかしながら、その日に限って何故その時間に目が覚めていたのか、今となっては思い出せない。
ただ、地震が始まる前のゴゥという地鳴り、揺れ始めたときは布団の上で体を起こしていたことは覚えている。宇治市内も震度5以上の揺れがあったはずであるが、軽量鉄骨造りのアパートではほとんど被害がなく、物が落ちて割れたり怪我をしたりということもなかった。

そのときすぐに、実家へ電話して双方の安否を確認したので、その後の電話の不通騒ぎに巻き込まれることはなかった。この震災を教訓に、緊急参集など防災体制がひかれることになったが、当時はそういったこともなく、何故か何事もなかったかのように動いている近鉄電車に乗って、ほぼ定時に勤務先に着くことができた。

ところが、その頃所属していた部署で、その日公共交通機関を使って出勤できたのは私一人で、近くの人や自転車・バイク通勤の人達以外は職場へ到達することができなかった。また電話もすべて不通で、職員の安否確認すらできない状況であった。

結局その日、どのような仕事をして帰ったかは覚えていない。組織だった被災地への救援が始まったのはその翌日ではなかったかと思う。今も決してその復興は完全には終わっていないということを思うと、まだまだ忘れてはいけない記憶である。

この年、震災の恐怖冷めやらぬ頃、東京でオウム・サリン事件が発生し、「安心・安全」ということがこの年のキーワードとなった。
「安全」はある種のハード対策で、投資に対する効果は持続し、判定も比較的容易である。一方、「安心」はメンタルなものであってある種のソフト対策である。投資に対する効果は一様ではなく、測定もほぼ不可能に近い。にもかからず「安心・安全」を誰もが求めるようになった。

この震災は、我々にとって、役所が提供するあらゆるサービスの基準が、見えない形で大きく変わったきっかけになった出来事である。

2009年1月15日木曜日

断腸の思い

今日の午後、お休みをいただいて父ととあるところへ出かけて参りました。
出かけた先は、亀岡市内にある老人ホームです。

以前にも書いたことがありますが、私の父は2年ほど前に脳梗塞を患い、右半身が利かなくなってしまいました。制度で認められる限りの期間(6ヶ月)は病院で治療とリハビリをしていたのですが、その後は私の家で同居しております。

しかしながら、暖かい間は何とか外を散歩もしていたのですが、一冬を過ごす間にすっかり出不精になってしまい、そのせいもあってか退院してきたときよりも明らかに足腰が弱ってきています。

お世話になっているケアマネージャー氏と相談したのですが、そのほかのところには全く障がいがないにもかかわらず、足腰がだめになってしまうことで、寝たきりになってしまう恐れがあるということもあり、いわゆる自立型の老人ホームへ入所してみようかということになり、その面接に行ってまいりました。

本人にとっては、あまりおもしろくないかもしれませんし、私にとっても母が亡くなってから15年以上も一人きりで放ったらかしていた父とようやく一緒に住めることになったのにと、申し訳ない思いでいっぱいです。ただ、その施設は現在満室でして、今後空きが出れば入居という予定なのですが、その時期のめどが立っているわけではありません。

1ヶ月先か半年先かわかりませんが、せめてその間は精一杯孝行したいと思っています。

2009年1月14日水曜日

ZEN

先日、仕事の帰りに「ZEN」という映画を見てきた。
曹洞宗の開祖「道元禅師」の生涯をコンパクトにまとめた映画である。

昨年末、実家のお寺にお参りしたとき住職に是非にと進められたこともあり、機会があればと前売り券を買っていた。
おそらくは曹洞宗のPR映画?と高をくくって見ていたのだが、徐々にその内容に惹かれてくのが実感できた。また、とても驚いたのは、平日の夕方にもかかわらず、120名ほどが入るホールは満員で、私の取った席が最後の一つ。最前列の左端という映画を見るには非常に過酷な状況であった。
まさかこれほどの人気とは、ちょいと見くびりすぎであった。

よく言われるとおり、彼はそうに留学し、本邦に「禅」を持ち込んだ人であり、53歳の若さでその生涯を終えている。
彼が著した「正法眼蔵」は、当代随一の哲学書とも言われており、とてもじゃないが歯が立たないとは思うものの、何とか今年中に一通りでも読み通してみたいと思っている。

「只管打坐」ただひたすらに自らと向き合うことにより、何かが見えてくるのではないかと考えている。

2009年1月12日月曜日

大失業時代

つい先日、アメリカの雇用統計が発表になって、昨年離職した人の数が、1945年の大戦終結時と並ぶ最悪の数字となったそうである。オバマ次期アメリカ大統領は、400万人の雇用を創出すると宣言していますが、どうなるでしょうか。

一方、日本の政治はとにかくパッとしません。
経済対策を最優先という割には、動きは緩やかでのんびりしています。巷にあふれかえる失業者の声には、あまりに無頓着に見えます。早く何とかしないと、社会が崩壊してしまいます。

今日読んだP.F.ドラッカーの「企業とは何か」という本に次のような一節がありました。

「長期の失業は経済的な惨事であるだけでない。社会そのものを破壊する。長期の失業者は罪なくして市民性を奪われ、社会での位置をなくし、尊厳を損なう。不況によってこれらのものを奪われる社会は、その成員たちにとって絆となりえず意味をもちえない。長期の失業に耐えられる産業社会は存在しない。」

まずは、働きたいと思っている人達に仕事を。
そして、誰もが安心してその仕事を続けられる社会を。

成人の日

今日は成人の日、朝から晴れ着姿のお嬢さんを何名か見かけました。
学校に行っている人、働いている人、すでに人の親になっている人、人生はそれぞれかと思いますが、今後は何かにつけ「大人」としての言動が求められます。しっかりと生きていってもらいたいものだと思います。

ところで、私は1962年に生まれましたので成人式を迎えたのは1982年ということになります。

いろいろなことがあった年ですが、鮮明な記憶として残っているのは、2月に連続して発生したホテルニュージャパン火災と日航機の逆噴射墜落事故でしょうか。個人的には、1年間の浪人生活の後、なんとか地方の大学に拾ってもらい、2回生になって講義をサボることを覚え、アルバイトに精出していた頃でした。

毎日お昼頃に目を覚まし(「笑っていいとも!」が始まったのもこの年でした!)、近所のうどん屋で腹ごしらえをし、おもむろにバイト先へ向かう。アパートへ帰ったら、飯食って、銭湯へ行って、その後は夜明け近くまで本を読むという生活を送っておりました。(あの頃は、司馬遼太郎、吉川英治などなど歴史物を狂ったようにむさぼり読んでおりました。)

それを考えると、今の20歳のほうが、しっかりと生きているのかもしれないですね。
だから言えるわけではないですが、時間のある若い間は、何か一つのことをやり遂げるということに力を尽くしてほしいと思います。若いからこそできることに。将来、決して後悔しないように。
「あのとき、あぁしておけばよかった」と嘆くオヤジにだけはならないように。

2009年1月10日土曜日

商売繁盛


今日は、1月10日。十日戎です。
不況のさなかで、頼れるものは神様しかいない
ということで、西宮戎まで行って参りました。

何よりも、みんなが幸せになれますように。
そのために、全力が出し切れますように。
どんな苦境にも負けない強さが授かりますように。

冷たい

今朝は空気が冷たいなと思っていたら、
我が家の玄関先から見える山並みは、
うっすらと雪化粧でした。

我が家からほぼ真東の方向で、
山の裏側は嵐山~桂の辺りになります。

2009年1月8日木曜日

Are you ....?

今日は、昨日予告いたしましたとおり、私の所属する団体の賀詞交換会でした。

多数のお客さんがお見えになり、いろんな方に信念のご挨拶を申しあげたのですが、その中で特に印象に残ったのが、京都工芸繊維大学の江島学長の一言でした。

おっしゃった一言は、「ハッピーですか?」

今年は「元気ですか?」と聞かれたら「元気です!!」と答えることを旨としていたのですが、「ハッピーですか?」という問いは予想だにしておらず、思わず考え込んでしまいました。

「ハッピー」というのは、様々な条件が重なって到達できる境地です。
また、自分の努力で到達できる境地でもあります。

次にお会いするときは、心から「ハッピーです!」と答えられるようにいたします。

心を亡くすということ

先日、急いで出かける用事があって、流しのタクシーを捕まえて、飛び乗るなり「○○まで!」とつい早口で行く先を告げてしまいました。

実は私は4年前、下あごに大きな手術をしたため、滑舌が大変悪くなってしまい、上手に話すことができません。いつもなら、できるだけゆっくりはっきりと話すように心がけているのですが、そのときは忙しかったこともあって、ついそんなしゃべり方になってしまったのですね。

そして、車に乗って前の座席の背もたれを見ると、「聴覚障害のため、行く先はゆっくり大きな声でお願いします」と書かれておりました。

思わず、脳天からガツンと殴られたような気がいたしました。そして周囲を見ると、運転手さんの耳にはイヤホンがささっており、その先は天井から下げられた集音マイクに繋がっておりました。

いつもなら、どんなに急いでいても、何かしら運転手さんと話をするようにしているのですが、このときは降りるまで何も話すことができず、降車の際にお礼の言うのがやっとという状態でした。

よく言われるように、「忙しい」という字は「心を亡くす」と書きます。人として有る限りは、決して心を亡くさないように過ごしていきたいと、改めて心に誓った苦いできごとでした。

2009年1月7日水曜日

幸天満宮





今日は、明日開催される予定の私が勤務している組織の賀詞交換会に向けて、その際に使用する名刺の増刷をしておりました。

せっかくなので趣向を凝らそうと思い、職場の近所にある(はずの)お稲荷さんへ行って、用紙をいったんお供えし祈りを込めた物を使おうと思い立ち、昼休みにお参りに行ったところ、地図上では稲荷神社となっていたはずが、実物は住吉神社。

あれっと思いながら境内へ足を踏みいれると、少し小振りのお摂社がありました。そしてその名前を見てびっくり、なんと「幸(さいわい)天満宮」とあるではありませんか。

これは、これ以上の神様はいないと思い、しっかり願をかけて参りました。
枚数は限られていますが、明日はしっかりこの名刺を撒き散らしてこようと思っております。

皆さんに、幸多からんことを!

2009年1月6日火曜日

桂離宮

先日1月4日の夜、テレビで「桂離宮」の特集をやっておりました。
残念ながら私は我が家のチャンネル権を有していないので、DVDに録画したものを先ほどパソコンで見ておりました。

みなさんのご存じの如く、この離宮は徳川家康の反対により天皇に即位することが叶わなかった八条宮が建てた離宮で、極限まで研ぎ澄まされた彼の美意識が、そこここに実現されています。曰く、たった一人の人物に見て貰うために作られた離宮だそうです。

こういった京都に数多く見られる伝統的な建築物や伝統的な工芸品がなぜこれほど洗練され、究極とも言える美をそなえているのかということの答えがここにあります。

京都には、全国から最高峰の工芸技術を学ぶため数多くの職人の卵が集まって来ました。その彼らの腕を磨いたのが、数多いる一流の目利き達であったのです。
如何に意匠を凝らし、斬新なフォルムを組み合わせても、彼らに評価されなければ価値を生み出しません。逆に言えば、その価値を評価できなければ目利きとしては失格ということになります。
そんな職人と目利きの切磋琢磨により、京都の工芸品は最高峰の地位を保っているのです。

ところが、今はどうでしょうか。いつの間にか私たちは、「もの」の価値を図る基準を「金銭的価値」にのみ頼っていなかったでしょうか。言うまでもなく、金銭的価値、貨幣価値というものは、擬製されたもので実体を持っているわけではありません。だれもが一億円というお金には一億円の価値があると思い込んでいるだけです。
現在の世界不況は、その価値が信じられないところから起きています。
こんな時こそ自分自身の目でものの価値を判断する事が重要です。
ものの価値を正しく判断できる、自信を持って価値を主張できる「目」を磨いていこうではありませんか。

かく言う私がそういう目を持っているわけでは決してありません。
私自身も磨いていきたいと思っています。

今の不況を乗り切るヒントの一つはこんな所にも有るような気がするのですが如何でしょうか。

ところで、恥ずかしながら、一度見てみたいと思っているのですが、私自身はこの桂離宮を見たことがありません。今年中にはぜひ見に行きたいと決意いたしました。

2009年1月5日月曜日

知事の年頭訓辞

今朝の京都府庁



年頭訓辞をする山田知事


上から見るとこんな感じ


久しぶりの快晴に恵まれた年頭訓辞でした。

2009仕事始めに

本日は、いわゆる仕事始めで、久しぶりに出勤致しました。年を追う毎に新年らしさが失われていくような気がいたしていたところ、今日改めて気がついたのですが、正月飾りを付けている自動車をほとんど見かけませんでした。

数年前までは、年末になると車を洗ってフロントグリルに飾りを付けるのが当たり前でしたが、すっかりそんなこともなくなりました。それでも、タクシーなどの営業車はそうでも無かったように思うのですが、今日はついぞ見かけませんでした。これも経費節減なんでしょうか。

ところで、みなさんの仕事始めは如何でしたでしょうか。
私が以前お世話になっていた職場は、伝統産業振興がお仕事でしたので、みなさん和服を召しての新年でした。これも、ひと昔前まではもっと多くの人が和服を着ていたように記憶しているのですが、今年はそれも少なくなってきたようです。

写真でもご覧いただくとおり、知事さんは今年も和服でしたが、以前の色紋付ではなく正統派の黒紋付を着ておられまして、やっぱり紋付は黒に限ると改めて実感いたしておりました。

さて、いろいろな人が、あちらこちらで触れられている如く、今年は本当に大変な不況の中で新年を迎えました。東京日比谷公園での派遣テント村の話題や、あちこちで頻発しているタクシー強盗の話題など、心が重くなってくるようなできごとも後を絶ちません。

しかしながら、そんなときだからこそ、我々がしっかりと面を上げて、みなさんに元気を振りまいていきたいと改めて心に誓う今日の仕事始めでした。

今日、仕事を終えての帰り道、家のドアを開ける前に後ろの空を振り返ると、そこに美しく輝いていたのは冬の夜空に輝く代表的な星座オリオン座でした。

今年はきっと良いことがあります。
みなさん頑張りましょう。

2009年1月3日土曜日

今年の一冊

今年も年明け早々から暇さえあれば本を手にしています。
そして、今年最初に手にした一冊が「リンカーン演説集」です。

奴隷解放の父といわれるアメリカのリンカーン元大統領ですが、
時代的にはちょうど日本の幕末1860年代に大統領職を務めていました。
奴隷の解放をめぐってアメリカ国内が二分され戦ったときに、
北軍の最高司令官を務めていたわけです。

私も、この本のを読むまでは全く知らなかったのですが、
彼は当時のアメリカの国民のほとんどがそうであったように
非常に貧しい家庭に生まれ、早くに母親を亡くしています。
学校へはろくに通うことができませんでしたが、
苦学の末、弁護士の資格を取り活躍しました。

その後政治の世界に身を投じ、推されて2度の大統領選挙に勝利しますが、就任直後から命を狙われる存在であったようで、
2期目の最初の年、南北戦争の終結直後に凶弾に倒れます。

この演説集には、有名なゲディスバーグでの演説や、
2度の大統領就任演説などが含まれていますが、
いずれも法律家らしい理路整然とした
そしてハートを打つ熱い言葉にあふれています。

その後150年の時を経て、今年のアメリカにはついに黒人の大統領が就任します。
今のアメリカは、世界の政治・経済の分野において、
当時とは比較にならないほど重要な地位を占めています。
リンカーンをこよなく尊敬するといわれる
若い大統領の手腕に期待したいものです。

今年は、そのリンカーンの生誕200年でもあり、
敬意を表する意味で今年の最初の一冊にいたしました。

2009年1月1日木曜日

2009年 年頭に

あけましておめでとうございます。

今日の亀岡市は厳しかった旧年を忘れるような晴天になるかと思いきや、
朝から雪交じりの小雨模様で、終日大変厳しい寒さでしたが、
そんな中、地元の出雲神社へ初詣に行って参りました。

今年は、どのような年になるのでしょうか。
私の力の及ばぬ先は致し方ありませんが、
少なくとも、自分の力の及ぶ限りにおいては
全力を尽くしたいと思います。

そんな私の今年の目標です。

1 健康に過ごすこと
 今年は昨年のようなことはないように精進します。

2 体重を落とします
 昨年の1月は70kg、今年の正月は64kg。
 今年中に60kgの壁を破りたいと思います。

3 今年の勉強のテーマは「宗教」です
 誰でも100冊の本を読めばいっぱしの専門家
 という言葉がありますが、人が依って立つ基準となる
 「理」について、勉強したいと思います。

4 ベストを尽くすこと
 昨年までは、任された仕事について
 今ひとつ燃え上がらないものがありましたが、
 今年は前向きな気持ちで、何事にもベストを尽くします。

5 感謝の心を忘れません
 本当は真っ先にくるべきでした。
 すべてのものに感謝することを決して忘れません

他にも思うところはいろいろありますが、
あまり欲張ってもいけません。

今年の年末にはしっかり振り返りたいと思います。