2008年5月31日土曜日

私は見た!?

京都の街角では、結構いろんな人を見かけます。

実は、昨日は久しぶりの精密検査で病院へ行ってきました。
検査が終わった後、時間もあったので、近くを散策しておりました。
その途中で思い立ち、金戒光明寺(いわゆる黒谷さん)へ行ってきました。
何かの本で、この境内に幕末に京都守護職として、
都の警備当たっていた松平容保率いる会津藩士の
お墓があるというので、お参りしようと思ったのです。

境内の様子は次の機会として、ちょうどその
会津墓地にお参りして、戻ろうかとしたときに
毎日新聞社の取材の一行とすれ違いました。

一行は、カメラマン氏と女性の取材記者、
それに着流し姿の男性が一緒でして、良く見ると、
どうやら河内音頭新聞読の河内屋菊水丸さん。
これらの取り合わせで、いったい何ができるのか、
少々興味のあるところでしたが、
邪魔にならないようにと早々に退散いたしました。

しばらくは、毎日新聞をチェックしようかしら。。。

2008年5月28日水曜日

信なくんば、、、

昨年来世間を騒がせた船場吉兆がついに廃業を決めた。
次々に露呈される所業の数々は、とても名門老舗料亭に名に相応しいものではない。
私自身は、全くテレビを見ないので、詳しい様子は知らないのであるが、同社の謝罪会見というのは、史上最悪の謝罪会見といわれているようで、後学のためにも見ておくべきだったと後悔している。

私たちが暮らす現代社会は、全てが信用で成り立っている。銀行は必ず返済されるであろうということを前提に預金額以上のお金を貸し出し、経済の規模を拡大している。もちろん我々がお金を預けるのは、少なくとも預けただけのお金は預金者の都合の良いときに引き出すことができるということを前提にしている。(昔はきちんと利息を払ってくれたものだが、現在ではこの点に関しては全く信用できない。)
道路を車で走れるのもしかり。人は右、車は左を走る。赤信号では進まない。等々。数え上げればきりがない。
つまり「信用」というのは、現代の私たちの生活を支える最低限の基本的な「決まりごと」なのである。

ところが、この船場吉兆に限らず、最低限の決まりごとすら守らない悪質なプレイヤーがあまりにも目につきすぎている。ルールに照らせば、一発レッドカードで退場すべき輩である。というか本来なら、ピッチに出てきてプレイすること自体が許されない連中とも言える。

従業員の方々には大変気の毒ではあるが、今となってはあまりにも遅すぎた退場劇といわざるを得ない。
かの謝罪会見の顛末を聞くにつけ、この経営陣には企業を経営する品格があまりないも欠けていた。

今回の船場吉兆のケースは、企業経営の前提である社会の基本ルールとはなんぞやと言うこと、さらには企業の危機管理のあり方についても深く考えさせられた事件であった。
この危機管理の件については、いずれ改めて整理したい。

2008年5月27日火曜日

くしゃみ連発

先日、眠っている間の鼻炎がひどくて、寝苦しかったんので、
生まれて初めてアレルギー検査をして貰った。

以前から、皆が杉花粉で苦しんでいる際には全然大丈夫で、
だいたいゴールデンウィークあたりからグズグズし出すので、
何となく当たりを付けていたのであるが、
一度ちゃんと調べて貰おうと思いチャレンジした。

結果は、予想以上(?)で、スギ花粉には全く反応せず、
その代わり、「ハルガヤ」「カモガヤ」「オオアワガエリ」
といったイネ科の雑草、ハウスダスト、ダニとアレルゲンのオンパレード。
さすがにちょいとへこんでしまいました。

いずれにしても、何となく思っていたことがはっきりして何よりでした。
今後は、こういった物達に近づかないで過ごそうと心を新たにしたところです。

2008年5月26日月曜日

これも国際貢献?

今日の帰りの電車(嵯峨野線)での出来事である。

たまたま乗り込んだ駅で、空席を見つけ、
そこに席を占めると、向かいの席には、
一人の外国人の青年が座っていた。

一生懸命日本のガイドブックを眺めている様からすると、
明らかな旅行者とも思えるが、園部行きの電車であるから、
恐らく、亀岡当たりにすむ外国人留学生。
どこかへ旅行に行った帰り。
などと想像をたくましくしていた。

この路線にあまり慣れていないのか、
駅に着く度、駅名を何度も確認している。
そのうちに目があって、笑いかけてきたので、
笑顔を返してあげると、とても嬉しそうな反応で、
こちらも少し気分良くいつもの通り読書にふけっていた。

そのうち、亀岡駅に着いたので降りようかとすると、
その青年がおそるおそる、尋ねてきた。
曰く「この電車は名古屋へ行くか?」(もちろん英語)

一瞬、この先に名古屋とよく似た名前の駅があったかと
考えたが、彼がおもむろに取り出した切符は新幹線のぞみの指定席券。
どうやら、京都駅の出発時刻が全く同じだったので、乗り間違えたようだ。

慌てて、亀岡駅で一緒に降りて駅員さんに助けを求めようとすると、
向かいのホームにはちょうど京都行き普通列車が停車中。

彼にその列車で京都駅へ戻り、新幹線ホームへ向かうよう案内したところ、
彼はそこからさらに飛騨高山まで行く切符を持っていた。
残念ながら、高山行きはとても間に合わないので、
とりあえず名古屋へ向かうということに落ち着いた。

今度は、その旨を停車中の京都行きの車掌さんに説明し、
何とか助けてほしいとお願いした。

その車掌さん(女性でした)は、快く引き受けてくれて
おまけに京都駅では新幹線ホームまで案内しようと申し出てくれた。
彼にそのことを伝えると、大変感謝して喜んでくれた。

以前にも書いたことがあるが、日本という国は
外国人が旅をするのに非常な困難を伴う国である。
新幹線と嵯峨野線のローカル電車を間違えるなんて!!
と顔を顰めるむきもあろうかと思うが、
そんなことは普通に起こりうると思った方がよい。
これだけの案内で充分と思うのは、事情を知っている
我々の側の発想である。

どんな人にも優しい、過ごしやすい
そんな街にならなければいけない。

わずか5分間ほどの出来事であったが、
いろいろなことを考えるキッカケになる出来事であった。

ところで彼は無事名古屋へ着くことができただろうか。
そして今夜の宿はうまく手配できただろうか。

大相撲夏場所に思う

昨日、大相撲の夏場所が終わり、
ブルガリア出身の琴欧洲が、
欧州出身力士として初優勝を果たした。

大関での優勝であるので、
来場所には横綱の期待もかかるが、
現在のところ、曲がりなりにも2横綱が健在なので、
よほどの好成績でないと難しいだろうというのが
もっぱらの噂である。

同じ記事中あった最近何代かの横綱の昇進前の
成績を眺めていて少し驚いた。

平成になってすでに20年であるが、
平成以後に横綱になったのはわずかに7名。
うち4名が外国人で、日本人横綱は
「お兄ちゃん」こと若乃花(3代目)が最後なのである。
(平成10年7月)

そういえば最近は、八百長報道や不透明経営
果ては、某相撲部屋での傷害致死事件やリンチなど、
大相撲に対する社会のイメージはすこぶる悪い。

高校進学率の上昇と相まって、新弟子を集めるのに
大変な苦労をされているとも聞く。

事ここに至っても、大元である相撲協会の動きは鈍い。
ここまで、社会の評価を落としているのだから、
もっと危機感を持って経営に当たって欲しいものである。

いずれにしても、力士出身者のみによる
閉鎖的な経営体質を改めることから始めるべきである。
「国技」と呼ばれる以上は、いや呼んで欲しいのなら、
国民からの支持が欠かせない。

2008年5月25日日曜日

仕事で一皮剥ける

最近、「企業で働く人たちのやりがい」などといった、経営学の中の心理学的な部門を研究されている方の著書を読むことが多い。
そんな中で、特に中間層のマネジメント達が、「一皮むけた!」と感じた瞬間はどんなときか。と言うことを丹念なインタビューから分類した著書を読んだことがある。

そこに現れている端緒となった出来事はいくつかのパターンに分けられている。
特に仕事上では、「重要な仕事を任せられ、やり終えた」「特別なシームに抜擢された」「初めて部下を持った」などというケースが多かったようである。

はてさて、自分はどうであったろうか?と言うのが今日のテーマである。
私が今の組織に入って、24年目になる。そのうちの前半生は、あまり関連性のない分野の仕事を転々としてきたが、後半生はずっと、いわゆる産業政策の部門で仕事をしてきた。
その間、いろいろなことがあったが、今現在の時点で振り返ってみて、転機となった事実を上げるとすると、何といっても海外への赴任と言うことがあげられる。

地方自治体の職員であるので、海外の勤務先というのは基本的にはあり得ないのであるが、かつては府内の中小企業の海外展開を支援するためという名目で、ドイツに駐在員事務所を置いており、その駐在員として派遣されることになったのである。
そのときのことは、追々思い出しながら書いていきたいと思うが、今日はキャリア上の転機となった事実と言うことなので、その関係で筆を進めたい。

とはいえ、ここで転機となった事実というのは、海外赴任をしたと言うことではなくて、実はその際に初めて部下をもつことになって、さらにその部下がドイツ人であったということなのである。

その方はドイツ人とはいえ、私のドイツ語より遙かに上手な日本語を操ってくれたので、日常のコミュニケーションに不自由したということはなかったが、そこはやはり論理的なお国柄ですから、指示をする際には、具体的かつ論理的にその内容を説明する必要があった。
日本のように「とりあえず、これやっといて!!」というようなことは通じないのである。
最初は大変苦労したものであるが、だんだん慣れてくると、そうやって彼女に論理的かつ具体的に説明することによって、自分にとってもその仕事の中身を再吟味することができ、非常に自分に取っての訓練になった。

こちらへ帰ってからも、部下に対して何かの指示をする際には、その時代のことが体に染みついているせいか、できるだけ具体的に論理的に説明しようとしている自分に気がつくことがある。(徐々に忘れかけてきていることもあって、ドキッとすることもありますが、、、)

初めて部下を持ったとき、さらにその部下が外国人であって、それまでの常識が通用しなかったとき。
私のキャリアの中で、最大のエポックメイキングな出来事でした。

2008年5月23日金曜日

見上げてご覧



この写真、どこか分かります?
あるところの天井の写真です。

正解は、JR二条駅。
卵の殻をかぶせたような
あの駅舎の天井です。

ご覧頂いたら分かるとおり、
木材が使われております。
実は、あれって木造だったのです!!

皆さん知ってました?
結構京都らしいでしょ。。。

2008年5月21日水曜日

神泉苑

京都の街の真ん中に、平安京の名残を残すスポットがあるのをご存じでしょうか。
JR二条駅から東へ数百メートルにある「神泉苑」がそれである。

平安京時代の神泉苑は、
南北400メートル、東西200メートルの巨大な禁苑であったようであるが、
現在のそれは、こぢんまりした真言宗の寺院となっております。


ところがなぜか、その入り口には巨大な鳥居が!!

境内の庭園には、自由に入ることができて
桜やツツジなどの季節に、ふらりと立ち寄ることにしています。

さらに、境内には、日本唯一の
恵方(節分で巻きずしを丸かじりするときのあれ)社があり、
毎年祠の方向が変わるというおもしろい神様が鎮座されております。

二条城散策の折には、ぜひお立ち寄りを。

公務員制度改革に思う

公務員制度の改革が議論の俎上に上って久しい。
国民の意識やニーズがつかみきれない時代に、
今の公務員(というか行政そのものの)制度は、
期待される機能を発揮できていない。

自分も、木っ端役人の端くれなので、
いくつかの指摘は胸にグサリと突き刺さるものがある。
特に最近の不祥事報道については、
同じ身分の者として恥ずかしいと思う一方で、
昔に比べて、だいぶましになったのではないかとも思う。
もっとも、その時代の幻影を抱いている
困ったオジさん管理職もまま見受けられる。

こういった議論の際にいつも違和感を持つことがある。
それじゃぁ、こんな制度を作った責任者は一体誰なんだろう。
これらを変えることができるのは誰なんだろう。
ということである。

日本の統治制度は、規模の大小にかかわらず、
行政機関と立法機関(国においては司法機関)が
互いにチェックし合う仕組みになっていて、
その権限はすべて国民に由来している。

つまり、国民自身が自らの統治義務の代行者として
議員であり、役人に委ねていることになるのである。

国民の皆さんが、「あいつらは本当に俺たちのために働いているのか!?」
という疑問や不満を抱いているのであれば、
自らがそれを変えるべく知恵を出す必要があるのではないだろうか。

決して、自己改革を否定し、他人に責任を押しつけよう
と思っているわけではない。
むしろ、本当に自己改革に任せて大丈夫?
それほど信用して良いのか?
と言うことを問いたい。

今の議員や公務員に自己改革を期待して、本当に平気ですか?

2008年5月20日火曜日

福田さんどうする?

福田首相の支持率が、低下の一途をたどっている。
亡父である福田赳夫氏は、嫌いな政治家ではなかったので、
個人的には、非常に複雑な心持ちがしている。

支持率が上がらない原因は、いくつかあると思うが、
私は、あの話し方に大きな原因があるのではないかと思っている。
いかにも、相手を小馬鹿にしたような、あの話し方である。

想像するに、いわゆるぶら下がり取材というあのスタイル。
ある新聞社によると、首相番は政治部の新米記者が努め、
より突っ込んだ取材が必要な官房長官付けには
ベテラン記者を充てるのが慣わしだそうだ。

ということは、福田さんは若造達を相手に話をしている訳だ。
少し油断をすると、ああいうしゃべり方になってしまうのは
ある意味仕方がないのかも知れない。

道理で、歴代首相達は、つい口を滑らしてしまうと言う愚を
何度も繰り返ししてしまうわけである。

その点、したたかだったのは小泉さんである。
彼は、聞かれた質問に対して、決して質問者に答えることをしなかった。
常に、その向こうにいる国民に対して答えるというスタイルを堅持した。
多少トンチンカンな受け答えになったとしても、
彼にとっては、それが唯一の正解であったわけである。

党内に基盤を持たない小泉さんならではの手法といえようか。
今後すぐに、福田さんがそのスタイルを変えることはできないだろう。
すでに、明らかな「死に体内閣」である。

今日の読売新聞では、支持率回復のためには
税体系の抜本改革、消費者本位の消費者庁設置、温暖化対策など
これらのテーマの具体的政策を迅速に実行していくしかない。
と結んでいるが、今の支持率でそのような政策を打ち出すことができるのか。

残念ながら、人が全く見あたらない状態ではあるが、
福田さんの残された仕事は、次の人に上手く引き継ぐこと。
それしか残っていないのではないか。

亡福田赳夫のファンとしては、ついそう思ってしまう。

2008年5月19日月曜日

御金神社


京都に、「御金神社」という分かりやすい名前の神社があるのをご存じでしょうか。(ただしこの場合”おかね”ではなく”みかね”と読んで下さい。)

場所は、御池通から西洞院通を少し上がったところにひっそりと、しかし燦然と鎮座しておられます。

御祭神は、イザナギ、イザナミが最初に誕生させた神様達の一人「金山毘古神」、いわゆる金物の神様です。
従って、この神社は「お金」ではなく「金属全般」の神様なのです。

古くは、鏡、剣、刀、鋤、鍬などの農機具の神様であったようですが、最近では、金・銀・銅のほか通貨の神様、あるいは資産運用の神様とされているようで、神社に奉納されている絵馬には、宝くじ当選祈願や、商売繁盛などを願う者が多く、思わずにやりとしてしまいます。

この神社の特徴は、実は、この絵馬にあります。
神社の西奥には、樹齢200年と言われる銀杏の巨木にあやかってか、銀杏の葉の形をしているのです。


あまりメジャーではない神社ですが、国内唯一の金神様だそうです。
ぜひともお参りを。

外国人労働者について

今日付の日本経済新聞の社説で、
外国人労働者問題を取り上げていた。

人口減少社会に向かうことが確実となった日本では、
将来の労働力不足への対策は、緊急の課題である。
常識的に考えて、対策は労働生産性を上げるか、
労働力を新たに確保するしかない。

かつてのドイツでは、外国(特にトルコ)から多数の労働者を受け入れ
ベルリンのように、人口の1割以上をトルコ人が占めている
(その数40万人とも言われた。)という都市も存在する。

現在、日本で特に労働力不足が際立ってきているのが、
介護、看護、農業、林業、機械加工業などで、
いわゆる3K職場であることが共通している。

ところが、実際の労働現場と経営者サイドの
思惑はかなり違うようで、介護、看護など
緊急性の高い分野より、農業、林業、加工業など
単純労働部門での受け入れ議論が先行しているようである。

特に、これらは日本の国際競争力が劣る分野で、
安い労働力を使いたいという経営者側の
勝手な理屈があからさまに見えるようで、
あまり気持ちの良いものではない。

先ほど挙げたベルリンなどでは、
トルコ人が集中して居住する地域ができ、
治安の上でも多くの問題が発生したほか、
職場を奪われた(様に勘違いした)人々による
外国人排斥運(暴)動を引き起こした。

とはいえ、いずれ海外から労働者を受け入れていくことは、
やむを得ないことと考えざるを得ないのではないか。
特に、労働力の需要と供給がマッチしていない
職場にあっては、それ以外に取る道はない。

しかしながら、そのためには取り組むべきことが
いくつかある。

まずは、労働法令の遵守。
当然のことであるが、関連法規を守ることは、
雇用者として当然のことである。
現在のような、人身売買まがいのあっせんや、
最低賃金すら払わない、監禁状態で働かせるなど
言語道断である。

次に重要なことが、生活環境の整備である。
子供の教育問題、買い物から病院まで、
ありとあらゆる分野で、日本語の通じない人々が
生活する上で不自由を感じないような社会基盤を
整えておかなければいけない。

そして、最も大事なことは、我々の意識改革である。
外国人に対する偏見や差別の芽を如何になくすか。
実は、これが最も難しい最大の障壁ではないだろうか。

2008年5月16日金曜日

大人の品格

今日は、板東真理子さんの講演会を聞きに行ってきました。
タイトルは、「大人の品格」。

「品格」と言う言葉は、流行語のようになってしまいましたが、
その代表格のおひとりです。
講演の中で、記憶に残った言葉をいくつか、、

今の日本人は、持続可能な社会を築いてきただろうか。
次世代の人たちに、手本となる大人の姿を見せてこなかった。
今の若い人たちは、「大人になる」と言うことがイメージできない。

大人としての立ち居振る舞いを身につけなければいけない。
匿名の世界に紛れて行動しているものが多い。
人に見られていると言う緊張感が必要。
当たり前のことが当たり前にできる。

思いやりは形にしないと伝わらない。
毎日10回は「ありがとう」と言葉にしている。
愛してほしいではなく、愛することが大事。

今の若い人はアピールしなければならないというプレッシャーの中で生きている。
理解し合えない人とはつきあえない。
特定のカテゴリーの人としか話ができない。

人間というのは理解し合えないのが当たり前。
だから意識して、相手の良いところを見つけなければいけない。
得意分野をほめてあげること。
ほめてあげて、人は伸びる。

大人というのは、力を持った存在である。
力とは経験によって得た判断力や忍耐力。
大人とは、力を持って社会を良くする意欲を持った人。
大人とは、自分以外の誰かの役に立とうとする人。

「品格」の必要条件は「悪いことをしないこと」「嘘をつかないこと」。
そこに+α、人間としての魅力が必要。「思いやり」「美しい言葉」
自らに厳しく、不完全な人を引き上げる力を持った人
ユーモアや心の広さ、ふところの深さを備えた人

時間をかけて自分を磨く、それが大人になること。
そのことを次の世代に見せていかなければいけない。
それが「持続可能社会」である。


当日は、サプライズゲストとして、
京都市の門川市長が聴講しておられるなど、
多数の聴衆がお見えでした。
さすがに女性が多かったですが。

最後の質疑応答で、氏の日課を紹介しておられた。、
1日3通の手紙を書くこと
1日3本の電話をかけること
1日30分英語を読むこと

後ろの席から、「そんなことできへんわ!」
というおばさんの声が聞こえましたが、
どれか一つでも、やってみようと思ってしまいました。

2008年5月12日月曜日

なぜ、外国人観光客は日本に来ないのか

先日、おもしろいレポートを読んだので紹介したい。

日本は、世界でも屈指の観光赤字国で、
日本人の海外での消費額から外国人の国内消費額を
差し引いた観光収支は290億ドルの赤字となるそうである。

これは以前から日本にとっての大きな課題となっており、
「Visit Japan Campaign」と銘打って、
国を挙げて様々な事業に取り組んだ結果、
ここ数年は外国人観光客が増加の傾向を示している。

しかしながら、このレポートでは、
いつか頭打ちになるときがくると警鐘を鳴らしている。

なぜ、外国人観光客が日本へ来ないのか。

単純明快な理由として、
「海外の成熟した観光客のタイプにふさわしい
観光サービスが今の日本にないから」と指摘する。

まさに至言であり、従来型の「温泉」「史跡」
「テーマパーク」と言った観光資源には、彼らは興味を抱かない。
それに気づかず、従来型のマーケティングを繰り返しても、
先細りをするばかりである。

成熟した観光客が抱く興味の対象は何か。
実は、それは日本人と全く同じなのである。
我々が旅行に行って、一体何を求めるか。
それに気づけば答えは自ずと見えてくる。

2008年5月11日日曜日

母の日に

今日は、5月の第2日曜日と言うわけで、母の日です。
我が家の娘達も、カーネーションとプレゼントを
準備しておりました。(お金の出所はもちろん私です)

カーネーションという花は1年間でどれくらい売れるのか知りませんが
おそらくは、ほとんどが今日の日のために、買われるのではないでしょうか。
店頭では、今日まで!!と言うことで、前日までの半額で販売されていました。

ところで、話は変わりますが、昨年の秋から読んだ本の記録をつけております。
今年も、4月が終わった時点で101冊を数え、今月もすでに13冊を読了しました。

特に、今月は連休があったおかげで、たっぷりと読むことができました。
読んでいる本は、経営、歴史、自己啓発ものと多岐に渡りますが、
図書館を良く利用するため、新刊本というのは比較的少な目です。

おいおい、「どくしょかんそうぶん」も充実させていきますので
乞うご期待を。

2008年5月7日水曜日

国際化とは

Hu Jintao and Yasuo Fukuda make friends
これは、とあるインターネット上の英国系ニュースサイトのヘッドラインです。
中国の胡錦涛主席と日本の福田康夫首相が仲良くなった、
という何でもないニュースです。

実は、以前から気になっているのですが、
どうして「胡錦涛」は「Hu Jintao」なのに
「福田康夫」は「Yasuo Fukuda」なんでしょうか?
これって、どこか変だと思いませんか?

ご存じのとおり、中国、韓国、日本などは、
「姓・名」の順になっており、英米などとは逆になっています。
ところが、海外メディア等が両者を呼ぶとき
中国、韓国なら「姓・名」の順で標記するのに、
日本だと「名・姓」になるのはなぜでしょうか?

国際化というのは、お互いの文化を認め合うことです。
自国の文化を理解し、それを正しく相互に理解し合わないところに
真の国際化は存在しません。