2009年1月17日土曜日

阪神・淡路大震災

今日は1月17日、1995年にあった阪神・淡路大震災からちょうど14年を迎える。
毎年のように大きな地震に見舞われる地震国日本であるが、「震災」と呼ばれるのは、関東大震災とこの阪神・淡路大震災のみである。
それほど我々には大きな恐怖の記憶として刷り込まれている。

今、この日のことを思い出してみると、当時は府南部の宇治市に住んでいた頃で、地震の発生した5時47分というと普段なら目覚める直前の時間帯である。その前後はずっと深夜までの勤務が続いていた頃で、前夜の帰宅時刻も遅かった。

しかしながら、その日に限って何故その時間に目が覚めていたのか、今となっては思い出せない。
ただ、地震が始まる前のゴゥという地鳴り、揺れ始めたときは布団の上で体を起こしていたことは覚えている。宇治市内も震度5以上の揺れがあったはずであるが、軽量鉄骨造りのアパートではほとんど被害がなく、物が落ちて割れたり怪我をしたりということもなかった。

そのときすぐに、実家へ電話して双方の安否を確認したので、その後の電話の不通騒ぎに巻き込まれることはなかった。この震災を教訓に、緊急参集など防災体制がひかれることになったが、当時はそういったこともなく、何故か何事もなかったかのように動いている近鉄電車に乗って、ほぼ定時に勤務先に着くことができた。

ところが、その頃所属していた部署で、その日公共交通機関を使って出勤できたのは私一人で、近くの人や自転車・バイク通勤の人達以外は職場へ到達することができなかった。また電話もすべて不通で、職員の安否確認すらできない状況であった。

結局その日、どのような仕事をして帰ったかは覚えていない。組織だった被災地への救援が始まったのはその翌日ではなかったかと思う。今も決してその復興は完全には終わっていないということを思うと、まだまだ忘れてはいけない記憶である。

この年、震災の恐怖冷めやらぬ頃、東京でオウム・サリン事件が発生し、「安心・安全」ということがこの年のキーワードとなった。
「安全」はある種のハード対策で、投資に対する効果は持続し、判定も比較的容易である。一方、「安心」はメンタルなものであってある種のソフト対策である。投資に対する効果は一様ではなく、測定もほぼ不可能に近い。にもかからず「安心・安全」を誰もが求めるようになった。

この震災は、我々にとって、役所が提供するあらゆるサービスの基準が、見えない形で大きく変わったきっかけになった出来事である。

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