2009年5月29日金曜日

誰ですか?


大事なお不動様です。
返してあげてください!

街路樹?

たわわに実っております。
千本竹屋町の角でした。

2009年5月25日月曜日

夏の準備着々と

5月も下旬になると、既に夏の準備
まだまだ朝晩は涼しいですが、
床の季節も間もなくです。

2009年5月23日土曜日

新型インフル2

ここ数日は、新型インフルエンザ関係のニュースが連日更新され、あたかも関西圏一円が危険地帯になったかのような感がある。

当然のことながら、市中は至って平穏で、季節の風物詩でもある修学旅行生が少なくなったのが、唯一変化らしい変化である。
京都府庁の中では、国内発生するかなり前から専用電話を開設するなど、対策本部を設置してきていた。おかげで、ことが起こった場合に備えた準備はかなりしっかりできていたので、日々の状況の変化に合わせた情報発信も、かなりうまくいっているのではないかと考えている。

もちろん、これ以上病気が広がらないことが何よりであり、そのために我々自身が気をつけるべきことはたくさんある。うがいと手洗いは決して欠かさず、というのが今の我が家の大命題である。

2009年5月20日水曜日

新型インフル

昨日(5月19日)は、府庁の新型インフルエンザ対策本部で終日お手伝いをいたしておりました。
当然、素人ですから具体的に戦力になるわけではありませんが、まずは正確な情報提供が第一の仕事で、そのための資料送付などに従事しておりました。

幸いにして今のところ府内発生はしておりませんが、これだけ交通機関の発達した現代ですから、これも時間の問題かと思います。
今のところ、発症しても毒性は低いようですから、大きな心配はしなくて良いようですが、この時期関西方面への旅行を取りやめたと言う方が多く出てきており、こちらの被害の方が大きいようです。

特に、年間100万人の修学旅行客が来られる京都において、5月から6月にかけてはその半分が集中する正にハイシーズンなので、その影響ははかりしれません。
願わくは、できるだけ早く終息することを祈るのみです。

2009年5月16日土曜日

わたぼうし

今日、「おかあさん ぼくが生まれてごめんなさい」という、とても刺激的なタイトルの本を読みました。
元々は、今から30年ほど前に出版された本ですが、さらに20数年の時を超え再出版されたものです。

内容は、奈良件の養護学校に勤める先生が、当時15歳で亡くなった少年について書かれたものです。
生まれたときから脳性麻痺でほとんど自由が利かない体でありながら、最後まで明るさと優しさを失わなかった様子が、ありありと伝わってくる名著です。

本のタイトルは、主人公の少年が亡くなる数ヶ月前に残した詩の一節ですが、その背景をかみしめながら読むと、胸がいっぱいになってくる素晴らしい詩です。

少年が亡くなった後、その当時の関係者や保護者の方々が中心となって、養護学校を修了した後の方々が、ともに集い励まし合う施設として構想された、たんぽぽの家は、今や大きな運動に広がっています。

「共生社会」「バリアフリー」ということが、ようやく普通の考えとして定着してきましたが、ほんの数年前までは、とてもそんな世の中ではなかった、ということを改めて思い返しました。

最後に、その詩の全文を掲載します。

「ごめんなさいね おかあさん」

ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って 歩く悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つねたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり



そして、その息子さんの詩に対する、お母さんの返歌がこれです。
これもまた素晴らしい。

私の息子よ ゆるしてね
わたしのむすこよ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が 脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
“重くはない”と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり

2009年5月13日水曜日

京都御苑

今日たまたま通りました。
明後日の葵祭の準備です。
お天気になれば良いですね!

2009年5月5日火曜日

こどもの日

今日はこどもの日。今朝の朝日新聞に「大人になったらなりたいもの」という記事がありました。
男の子の第1位は、今も昔も変わらず「野球選手」。
いっときサッカー選手に抜かされましたが、ここ数年は根強い人気を持っています。

そして、7位に初登場が「水泳選手」!
これは、なんと言っても北京オリンピックでの北島選手の連続2冠に負うところが大きいのでしょう。

ところで、私が小学生の頃になりたかったものは、、、
小学校の卒業文集では、「世界を飛び回る」仕事に就きたい、と書いておりました。

2009年5月4日月曜日

高速道路

今春から、休日の高速道路が一日千円で乗り放題という景気刺激策(?)が実施されています。おかげでこの連休はあちこちで大渋滞を巻き起こしているようで、これは環境負荷も大きいわなぁと思いをはせております。

ところで、高速道路というと10年前にドイツにいた頃に利用したアウトバーンのことを思い出します。よく知られているように、ドイツのアウトバーンは全線無料で、一部には制限速度もありません!という区間もありました。

私が住んでいたベルリンは、周囲が旧東ドイツということもあって、道路事情もあまりよい状態ではなくて、高速で飛ばせる区間も本当に限定されておりました。よく利用した、ハンブルクやドレスデンまでの区間などは、工事が私がドイツを離れる頃まで続いていたように記憶しています。

その頃、アウトバーンを利用していて印象に残ったことと言えば、、、
まずは、車の性能の良さ。
概してドイツ車は優秀と言われていますが、どの車も130〜140km/hくらいで走るのが、最も安定して走れるということに感心いたしました。
特に驚きは世界の名車ポルシェ。ルームミラーの奥の方に影が見えたかと思うと、次の瞬間にはミラーいっぱいにその姿が見えるということを何度も経験しました。

二つ目は、一般道路との違い。
日本の高速道路は、主要幹線道路のバイパスという性格が強いですが、ドイツの場合アウトバーンは都市と都市を結び、一般道路はその都市と周辺都市を結ぶものという感じで、役割がはっきりと分かれておりました。
逆に言うと、主要幹線道路と平行していないため、いったん渋滞すると、逃げ道がないということにもなりかねません。

三つ目が、無料であることのメリット
これは、なんといってもインターチェンジを造るのがとても簡単、ということが挙げられます。とにかく日本のように、料金所などを作る必要がありませんので、非常にコンパクトに入り口を作ることができます。また、料金収受のために無駄な(失礼)人間を雇っておく必要もないのです。

他にも、充実したサービスエリアやとてもお世話になった併設ホテル、全欧州に張り巡らされたネットワークなど思い出すことはたくさんありますが、さすが車大国、車の旅は快適でした。

2009年5月3日日曜日

憲法記念日

今日は5月3日、憲法記念日である。
また、22年前に、朝日新聞社の阪神支局が襲撃された日でもあり、改めて「憲法」というものについて、思いを新たにする日である。

現在の日本国憲法が施行されて62年目になるわけであるが、この間現行憲法に対する世の中の考え方もかなり変化してきたのではないか。

今日の新聞で発表された調査結果によると、半分以上の人が憲法改正に賛成と答えている。
おそらく、具体的にどの部分か、という点になると大きく意見が分かれることと思うが、徐々に改憲に関する議論をタブー視しない機運が満ちてきたという感じであろうか。

私自身で言うと、法律を学び始めた頃は「憲法は守るもの」というイメージがあって、憲法改正なんてもってのほかと考えていた。

しかしながら、最近現行憲法制定時の状況をいろんな本で読んだり、あるいはまた「憲法というのは、その国の形」をあらわすのもであって、状況によってどんどん変化していくことを厭わないものだと考えるようになり、今一度国民すべてが納得する形の憲法を作るべきではと思うようになってきました。

国民の投票率が悲惨なくらい低くなり、政治への無関心層の割合が驚くくらい高くなっている今こそ、真剣にこの国の形を議論すべきときなのではないでしょうか。