2012年12月31日月曜日

ゆく年くる年


あと一時間ぐらいで今年も終わろうとしています。

昨年の年越しは、あの大震災の記憶を抱えつつ、新しい一歩を踏み出す、そんな希望を追うための年越しでした。

果たして今年の年越しは、どうでしょうか。心なしか新しい年を迎えるという高揚感もなく、何となく今日の続きの明日という感覚がしています。

平凡が一番と言うことなのでしょうか。

ところで、私にとっての2013年は一体どんな年だったでしょう
  • 久しぶりの人事異動で、実質的には5年ぶりに商工関係のセクションに替わりました。15年前に一度だけお世話になった古巣でもあります。この職場では、ふるさとである舞鶴港に関わる仕事もさせていただいています。30年近い府庁生活の中では初めてのことです。
  •  次女が小学校を卒業し、中学校に入学しました。残念ながら入学式には出席できませんでしたが、長女、次女を通して初めての欠席でした。姉に続いて吹奏楽部に入りましたが、週に3日は早朝練習、毎週土曜日も終日練習と思いの外忙しいのですが、皆勤でがんばっています。
  • 秋口から右膝に違和感と痛みを覚えるようになりました。結果的に原因はわからないのですが、おそらく半月板が痛んでいるのではないかと言われています。しばらくはだましだましでやっていこうかな。
  • 10月から英会話とドイツ語のラジオ講座を聴いています。聞いているだけでなかなか覚えられませんが、少しずつ耳になじむようになってきました。
  • 2年前にアカウントを作って放ったらかしにしていたフェイスブックを再開しました。いろいろと問題があるシステムと言われていますが、遠く離れた人とつながることができ、上手く使うとおもしろい道具です。
  • 今年は260冊くらいの本を読みました。今年も小説の割合が高く、中でも池井戸潤、三浦しをん、東野圭吾の3氏の小説をよく読みました。いずれもおもしろい。あとは新しい仕事の関係で、アジア経済、中国に関する書籍を大量に読み込みました。中国への評価については著者によって両極端で、それを見ても何とも難しい国であることを痛感しました。
皆様、良いお年をお迎えください。


2012年12月30日日曜日

人間50年

今日は思いがけず終日の雨模様となりました。
この時期にこんな雨も珍しいですね。

今年もあと明日一日となりました。

一年を振り返ろうとしても、年の初め頃には一体何があったのか思い出せないくらい、世の中は速いスピードで流れているような気がします。

そんな中で、今年は私の地元でも大きな交通事故が2件も続いて、日本中を騒がせるようなこともありましたし、年末には総選挙もありました。

また、いつかはと思っていた山中教授のノーベル賞受賞も、京都としてはとても嬉しいできごとでした。

今、少しずつ今年の自分自身について振り返っています。

人に誠実であったか。
全力を出し切ったか。
後悔することはなかったか。

人間50年。まだまだです。

2012年12月28日金曜日

一歩前に

今年も今日が仕事納め。いろいろなことがあった一年が終わりました。
一年を振り返るには、まだ数日早いですが、仕事に関しては、今日で一区切りです。

いろいろな人の引き立てで、今の仕事をやらせてもらっていますが、その期待に応えることができたかどうかとなるとはなはだ疑問。

その期待に押しつぶされそうな気分を何度も味わいました。
精神的にもかなりしんどい思いも経験しました。

明日から6日間の短い年末年始休暇です。

今年は何事もなく年が変わることを祈っておりますが、この間に少しでも心と体を休めて、来年はまた新しい気持ちで前に進んでいきたいと思います。

2012年12月27日木曜日

北部に光を

今日はとても寒い一日でした。

午後に府庁内の関係課と関係の市町から担当者が集まる会議がありました。

内容はおおっぴらに話すことができませんが、南北に長い京都府の中でも、特にてこ入れが必要だと言われている北部地域の活性化に向けた、特別なプロジェクトのための会議でした。

昨日、新聞でも報道されましたが、今度京都府が建設する専用球技場の建設地には、大方の予想を裏切って、亀岡市内が選ばれました。

これも、京都市内ばかりではなく、亀岡以北の地域活性化という目的があったことは間違いありません。

実際のところ、京都府の人口のおよそ6割は京都市内に住んでおられますし、府内の企業も多くは京都市内に拠点を置いています。京都市を除く京都府って、一体何が残るの?と言われるゆえんです。

しかしながら、北部で頑張って歯を食いしばり、何とか過疎化の流れを止めようとしている人たちも多数おられます。

今日の会議が、そういう人たちを真剣に応援しようということを出席者全員が固く心に誓って、スタートしました。

プロジェクトは始まったばかりですが、私も叶うならば我がふるさとのためにも頑張りたいと思います。

2012年12月26日水曜日

北野天満宮


今朝、例によって北野天満宮へ寄ってから、職場へ参りました。
今年も大きな絵馬が揚げられ、迎春準備は万端です。

それにしても今日は寒かった。

2012年12月25日火曜日

年末大後悔

今年もあと一週間、仕事へ行くのも明日からの3日間で終了。
来週は平成25年です。

いつも年の瀬になると、その年やり残したことをつらつらと考え、常に後悔ばかりをして、よし来年こそは!!と思うのだが、いつの間にかその決意を忘れて、いつもと同じ(もしくは退化するばかりの)一年をだらだらと送る。そんな繰り返しです。

どうやら、毎年積み残しが出てくるので、理想の姿と現実のギャップが広がるばかりとなっているところを、一気にそのギャップを埋めようとして、無理な目標を立て挫折する、と言うことを繰り返しているような気がします。

今の組織で働けるのも、あと10年。その後の人生もきっと何年かは残っているでしょう。
どちらの年数が長いかは判りませんが、毎年のように後悔しながら年の瀬を迎えるという悪癖は、そろそろおしまいにしたいものです。

あと一週間、少しまじめに考えてみたいと思います。

2012年12月24日月曜日

もういくつ寝ると

今日はすっかりホワイトクリスマスになりました。

午前中は青空も出ていたのですが、お昼頃から雲が出てきて、午後はほとんど雪模様となりました。
どうやら、今夜も降り続くとことはないようで、明日の朝は大丈夫だろうと高をくくっていますが、どうでしょうか。

クリスマスイブの今日は、年末まであと一週間と追うことで、ほぼ一日かけて年賀状の印刷をしておりました。

とりあえず、印刷は全てできたので、後は一言ずつメッセージを書き添えて、、と思っておるのですが、毎年途中で息絶えて、そのまま投函というのがいつものパターンです。

今年も何とか今週のうちに毎日少しずつ書いていこうと思うのですが、どうも自信が持てません。

どうなることやら。

2012年12月22日土曜日

中国研修員の帰国

今年の6月から半年間、私たちの職場に中国は陝西省から来てくれていた研修員の方が、今朝の飛行機で中国へ帰国されました。

お見送りのため京都駅まで行って参りましたが、半年ぶりに帰国して息子さんの顔が見られると言うことで、とても楽しみにしておられました。

この半年の間に京都のことをいろいろと勉強していただいて、今後京都と中国との架け橋になってくれれば好いなと思います。

残念ながら、この間、日中の関係は必ずしも良くありません。

お互いの幸せのためには、仲良くすることが一番だと思うのですが、まずはお互いのことをよく知ろうとする努力が必要ですね。

2012年12月20日木曜日

梅小路に鉄道博物館

今日の新聞によると、京都駅近くの梅小路公園に国内最大級の鉄道博物館ができるそうです。
完成は2016年と言いますから、4年後ですか。楽しみです。

昔ドイツに住んでいたとき、ベルリン市内に鉄道博物館があって、何度か遊びに行きました。
展示物の中には、第二次大戦時、ナチスがユダヤ人を収容所へ運ぶ際に使用した貨車の実物も展示されていて、そこだけはとても重苦しい思いをしながら、見ていたことを思い出します。

しかしながら、全体的は歴代のドイツの機関車達が展示されており、構内の線路も、普通の鉄道線路とつながっていて、何か駅の延長線上にあるみたいで、とても不思議な空間でした。

今度の梅小路の博物館も、京都駅と線路で直結され、現役の機関車や客車も展示することが可能になるそうで、とても楽しみです。

この博物館ができると、最近開業した水族館と隣接し、とても多くの来場者が来られると思うので、ここはひとつ、是非とも鉄道の駅をこのあたりに作って欲しいモノですがどうでしょうか。

その昔、梅小路公園を会場に“都市緑化フェア”が開催されたとき、この付近に会期中だけの限定で臨時駅が営業されていたことがありました。

ここは一つ、京都市さんに頑張ってもらって、実現させて欲しいところです。

2012年12月19日水曜日

日中韓の新政権に

お隣の韓国では、大統領選挙が実施され、初の女性大統領が誕生したそうです。

今年はこちらの国とも、国境を巡っていろいろと紛糾した年でした。

今回誕生した新大統領は、対日政策としてどのような考えを持っているのか、今ひとつ定かではありませんが、彼の国では、排日、反日を煽る方が大衆受けするようで、選挙戦中も特に親日的な言動は見られませんでした。

時を同じくして、日中韓の三国で、新たな政権が誕生いたします。

何れも、領土問題では譲れるところはないでしょうし、主張し合うところは主張しつつも、それぞれがそれぞれを尊重し合い、大人の外交を進めていって欲しいものです。

2012年12月18日火曜日

師走に

今年も残すところ二週間を切ってしまいました。
今年の振り返りは、また改めてやることにいたしますが、それにしても一年経つのが早いこと早いこと!!

ほんとに365日あったのか!?
どこかで何ヶ月かちょろまかされていないか!?

ついつい疑ってみたくなります。

上の娘は大学の三回生になり、いよいよ今月から就活に入っています。
脇から邪魔をしては悪いので、口を出さないようにはしていますが、一体全体どうなるのか、気がもめて仕方ありません。
大学のゼミでは、政策形成をやっているようで、ときどきゼミに発表資料を頼みにやってきます。
公務員試験の勉強もしているようですが、どこまで本気か判らないところもありますし、本人もまだまだ現実感が湧いてきていないのではないかと思います。

下の娘は中学生になり、毎日毎日クラブに精を出しています。
お姉ちゃんと一緒で、吹奏楽部に入ったのですが、途中で引っ越したこともあって、上の娘とは学校が違い、クラブの熱心さも全く違います。
今は、週に3日は朝練があって、毎週土曜日も終日練習に行っています。
幸い、クラブは大好きなようで、どんなに朝早くともいやがらずに起きていきますから、たいしたものです。

こうやって、日々成長していく娘達に比べて、我が身はいかがなものかいな。

私も負けずに日々精進し、成長し続けていけるようにしたいものです。

2012年12月16日日曜日

総選挙

今日は衆議院議員の総選挙でした。

ほぼ結果も明らかになってきて、民主党が惨敗。自民党が一人勝ちで、注目された第三極は盛り上がりに欠け、キャスティングボードを握ることもできないままに終わった、という感じでしょうか。

ほぼ事前に想定されたとおりの結果となったわけで、これで次の総理大臣には“あの”安倍さんが返り咲きを果たすことが確実です。

結果については、国民の審判ですから、民意がそのまま数字となって表れたとみるべきですが、それにしても勝たせすぎではないでしょうか。

今回の選挙は、民主党が勝手にこけた選挙だったわけで、必ずしも3年前までの自民党の政治を再現させたいと思って投票した人はそれほど多くなかったのではないかと想像します。

本当に古い政治と決別して、自民党が新生なったのか、次の4年間をしっかり見ていきたいと思います。

2012年12月15日土曜日

生まれ育ったまちのために

今日は久しぶりに父と二人で舞鶴の実家へ帰り、お寺へ年末の挨拶に行ってきました。

滞在時間はほんのわずかでしたが、今日は朝からお天気も良く、気温も暖かで予定通り帰ってくることができました。

私が生まれ育った舞鶴を離れたのは、高校を卒業した年で、今からおよそ32年前。
高校を卒業すると、進学するにしても就職するにしても、そのまま舞鶴で暮らすことはなかなか難しく、同級生の多くは、一旦舞鶴を離れていきました。
その後、大学を卒業して、舞鶴に帰ってきた人もたくさんいたわけですが、私の場合は大学の受験に失敗して、京都で浪人生活を送った後、香川の大学に進み、イザ就職という段になって、残念ながら舞鶴に職を得ることができませんでした。

それまでは、大学を出たら舞鶴へ帰って地元でずっと暮らしていくんだと思っていたものが、どこでどう間違えたか、その後30年以上舞鶴とは縁が切れた状態になってしまっていました。

それが、昨年ひょんなことから、高校時代の同級生達と頻繁に連絡を取り合うようになったかと思うと、今年4月の人事異動で、舞鶴と縁が深い今の職場に異動し、そしてさらにこの10月からは、舞鶴港へのクルーズ誘致の担当をさせていただくようになって以降、急に舞鶴へ行くことが多くなり、舞鶴の地元の方達と仕事をする機会が増えてきました。

中には、高校時代の同級生もいたりして、不思議な縁に驚いていています。

思えば、今までいろんな仕事をしてきましたが、今こうやって自分が生まれ育った土地に、何某かの恩返しをする機会をいただいたわけで、こんな機会はそうそうあるとは思えません。

何とか、将来の舞鶴のために、多少なりとも貢献ができるよう、精一杯頑張りたいと思っています。

2012年12月13日木曜日

今日は朝イチの特急で、 舞鶴へ向かっています。
まだ先日来の雪が残っております。

2012年12月11日火曜日

深セン地下鉄

先日、中国広東省の深センへ行ったとき、市内の移動に地下鉄を利用いたしました。
この都市の地下鉄は、まだ新しく、どうやら香港の資本が入っているらしく、同行者曰く“香港と全く同じ方式”で運行されているそうです。



私が手に持っているのが、乗車“券”で、自動販売機で購入したこのプラスチックのコインを、自動改札口のタッチパネルに接触させると、改札口が開きます。



ホームはご覧の通り。
列車だけでなく、ホームにも転落防止用の壁とドアがあり、安全性が確保されています。

車内は、中国語と英語が併記されており、車内放送も2カ国語対応で、とてもわかりやすい。
まずは、安心して乗れる地下鉄でした。

2012年12月10日月曜日

機内食はカレーライス

昨夜から降り続いた雪が、朝になっても降り止まず、亀岡の我が家の屋根はうっすらと雪化粧をしておりました。
日記を見てみると、昨年より一週間以上早い雪のようなのですが、イマイチ定かではありません。

ところで先日の香港出張では、往復ともキャセイパシフィックを使いまして、これが往復とも最新の機材を使っていたこともあって、往路は約4時間、復路は約3時間のとても快適な空の旅でした。

キャセイは初めて乗ったのですが、短いフライトとは言え、往復ともに機内食が出て、とてもおいしくいただきました。

復路は選択メニューのうち、一つがすでに品切れで、残った酢豚ライスをいただいたのですが、このメニューを押しのけて、どんなメニューが人気だったのか、判らずじまいでしたが、気になるところです。

そして、順序が逆になりましたが、往路でいただいたのが、何と“ビーフカレー”。カレー風味の牛肉かと想像したのですが、これが何と全くの“ビーフカレーライス”。


まさか、機内食でカレーライスをいただくことになるとは、思いもしませんでした。
結構美味しかったですよ。

2012年12月9日日曜日

京都北部に大雪警報

昨夜、香港から帰って参りました。
さすがに今日は一日眠くて眠くて、ほぼ何もせず、ただただぼーっとしておりました。

それにしても今日はまた寒かったですね。
北部ではかなりの雪になっているようで、大雪警報も出ているようです。
ここ亀岡でもお昼を挟んで、少し白い物が舞っておりました。

昨日まではの香港、華南地方は10数度前後の気温で、コートもなく過ごしておりましたので、特にそのギャップに参っております。

この天気は明日までは続きそうですが、明後日からはすこし寒さも緩むようです。
まさか今年も昨年のような大雪になるのではないかと、少々恐れております。

来週末には父を連れて、舞鶴のお寺へ年末の挨拶に行こうと思っているのですが、何とか無事にいけますことを祈るのみです。

2012年12月7日金曜日

香港



ビクトリアピークに来ています。
この夜景が、百万ドルだそうです。

2012年12月6日木曜日

2012年12月5日水曜日

香港空港

香港空港に到着しました。
これからフェリーに乗り換えて、深センへ向かいます。

眠いです。

今日は朝9時半のフライトで香港へ参ります。
今、関西空港へ向かうはるかの車内です。
先ほど、ようやくおひさまが、顔を出しました。
さすがに眠いです。

2012年12月4日火曜日

銀杏並木

ここ数日、しっかり寒い日が続いております。
街頭の木々もすっかり色を変え、ある物は散り、地面に美しい模様を描いています。

毎日、円町から府庁まで通る丸太町通には、きれいな銀杏並木が続いており、真っ黄色に色づいた街路樹はとても美しい直線を形作っています。

ところが、この銀杏木、木から落ちて地面にへばりつくとこれがなかなかやっかいな代物で、雨に濡れたりすると非常に滑りやすく、また脚や車輪で踏みつけられた葉は、地面にしっかり付着して、なかなかはがれようとはしてくれません。

この丸太町通も同様なのですが、中には早朝から歩道の葉を掃いてくれているとても奇特な方もおられます。

この円町の角にあるとある金融機関もそのうちの一つで、昨日も早朝から行員の皆さんが多数、箒やちりとりを手に掃除をしてくれていました。

ところが、この若い男性諸君の箒を持つ手が、何とも不思議な扱いようで、これはひょっとしてこれまで箒で掃き掃除というのをしたことのがないのではないかと思わせられました。

そういえば、普通の家でも掃除機をかけることはあっても、箒で掃き掃除なんてほとんどしませんよね。

ところで今でも、学校では掃除の時間ってあるんでしょうか?

我々の頃は、放課後というのは掃除の時間で、小学校の頃はぞうきんで教室の拭き掃除というのも当たり前でした。
途中で、箒ではなく、モップのような不思議な形の器具で掃き掃除をするようになり、いわゆる普通の箒を使っていたのは、中学生の頃までだったかもしれません。

そう考えると、今の若い人が普通の箒をあんな風に使っても不思議ではないのかもしれませんね。

2012年12月3日月曜日

就活戦線

今日から府庁の建物に暖房が入りました。
とはいえ、言われて初めて気がつくくらいの奥ゆかしさです。

それでも、夕方5時15分になって暖房が切れると、とたんに寒さが身にしみてくるので、その瞬間には改めて再認識させられます。

さて、実質的には今日から12月がスタートするわけですが、12月というと世間では就活戦線の火ぶたが切って落とされました。
企業と学生の接触が解禁になるわけで、一斉にリクルート活動が始まったようです。

実は我が家の長女が大学の三回生なので、他人事ではなく頑張って欲しいと願うものですが、こればっかりは本人次第というところもあるので、しばらくは静観をしていようかと思っています。

今の就活は我々の時代とは違って、ネット上を使った情報収集が主流のようで、娘のところにも初日の12月1日だけで、数十通のメールが届いていたそうです。

今はネットを通じて、100件近い企業にエントリーシートを出すのが当たり前だとか。また、この就活期間中にその活動費として数十万円単位のお金もかかると聞いています。

親は端で見ているだけで、何の力にもなれない存在ですが、せめていらぬプレッシャーやハンデを感じさせないよう応援してあげたいと思っています。

それにしても今の子供達は本当に大変だ。

2012年12月2日日曜日

またもや中国へ

2012年も残すところあと一ヶ月を切ってしまいました。
最近は本当に月日が経つのが早くて驚きます。

来週は、京都府議会が開会しますが、最初の代表質問と一般質問の1日目(本来は3日続きます)が終わったところで、総選挙のため休会に入ります。

そんな中、5日の水曜日から、おそらく今年最後となる海外出張で中国へ行って参ります。
ことし4回目の中国は、香港とその近くの深センという町です。
今回は、現地で行われる製造業関係の商談会と、香港では来年の事業のための下打ち合わせに行って参ります。

今年9月のあの騒動を見ただけでも、中国という国との付き合い方の難しさというのはよく判ります。
本来ならば、近しい友人として、ああいったいっときのムードに左右されない関係を創りたいものです。

2012年12月1日土曜日

舞鶴へ客船を

今週は日曜日の夕方から水曜日にかけて、海外からのお客さんを案内して、京都市内、天橋立、伊根町、舞鶴、小浜と府内のみならず、福井県まで足を伸ばして出張しておりました。

さすがに、これだけ長いと疲れるもので、脚がパンパンに張ってしまい、少し楽になりかけていた右膝にも再び違和感を感じるようになってしまいました。

今回のお客さんは、アメリカのクルーズ会社の方で、来年5月と7月に舞鶴港に入港が決まっている、サン・プリンセスという大型客船に乗船客へのツアーマネージャーとして同乗する予定になっています。
乗船中は、全てのお客さんの旅の相談に答えなければいけないので、事前に知識を得るために日本国中を旅しておられるもので、長い旅に折り返し点で舞鶴に立ち寄られました。

このサン・プリンセスという客船は、これまで舞鶴港に入港した船をさらに上回る大きさの船で、乗員乗客を合わせると3000名近い人が乗り込んでこられます。

舞鶴港としても、これまでで最大規模のお客さんを迎えると言うことで、これまで以上に気合いも入っています。

来年は、今のところこの2回が決定ですが、将来的には年間15回程度の客船の入港を目指しています。
そのためにも、地元の人たちとも協力して、すてきなおもてなしを考えたいと思っています。

読書感想文を更新しました

11月分の読書感想文を更新しました。