2009年7月31日金曜日

Happy Birthday

今日は長女の18歳の誕生日です。
いつまでも子どもだと思っていたのですが、気が付けばこんな年齢になっていました。

はからずも、つい先日法制審議会が成人年齢の引き下げについての最終報告をまとめたという記事が各新聞紙上を賑わせました。

朝日新聞より

もう充分と思うか未だ早いと思うかは意見の分かれるところだと思いますが、最近では我が娘も、ニュースなども気にして見ているようで(もちろん紙媒体ではなくネットですが)、十分に判断が下せる年齢になってきたのかなと思わせます。
一方で、すべての法律行為について大丈夫かというと、決してそうでもありません。未成年に限らない消費者保護政策の必要性は、新聞諸氏の説かれるとおりかと思います。

としたところで、我と我が身の18歳当時を思い返してみたのですが、私が実家を離れたのが実はこの歳でした。

高校を卒業した後、入れる大学が無く京都市内で1年間浪人生活を送ったあげく、香川県の大学へ進学しましたが、一人暮らしを始めた当座は、いっぱしの大人になったつもりで、不安よりも将来への希望で胸一杯という状況でした。そして、その後は京都市内を中心とした職場に勤めた関係上、一度も郷里へ帰って住むことはありませんでした。

そんなことを考えていると、長女と一緒に暮らせる期間もそれほど長くはないと言うことにも気づかされました。本人は何も深くは考えていないかもしれないけれど、それなりに覚悟を決めておかなければいけないな、と思い知った今日でした。

2009年7月30日木曜日

魔の8月

今年も「魔の8月」がやってきます。

別に、何があるというわけではないのですが、5年前生まれて初めての「ガン告知」を受けたのが8月のお盆前のことでした。
7月下旬から歯肉に腫れと痛みがあったので、歯科医に通っていたのですが、全く好転の兆しが見えなかったので、大学病院で検査をしてもらったところ、判明したものです。
その場で直ちに手術日が決まり、それに合わせて入院日も決められました。

手術までは一週間ほどあったでしょうか。最悪下顎を切除するかもしれないと言われていたのですが、最小限の切除で済み、三ヶ月ほどの入院を経て社会復帰をすることができました。(おかげで20kg近い減量をすることができました!)

それからは、平穏に暮らしていたのですが、翌年の8月、思いも寄らぬ再発という事態に見舞われました。さすがに驚きましたが、こちらも何とか手術をクリアし、念のための放射線治療を経て、およそ三ヶ月でこの世に帰って参りました。

それ以来、8月が来るとなかなか心穏やかとはいかず、何ごともなく秋を迎えるたびに、心の中でガッツポーズを取っております。

今年もその8月がやって参ります。今年は職場と仕事の内容が大きく変わったことで、例年になくストレスが溜まる8月になってしまいそうですが、何とか無事乗り切れますように、心底祈る毎日です。

2009年7月24日金曜日

日曜日はお買い物?

この度フランスで商店の日曜営業を認める規制改革法案が議会を通過したそうである。
労働団体は、労働強化につながるとして、憲法裁判所に持ち込む考えだとか。

実はお隣のドイツでも同様の法律があり、日曜日の商店の営業は原則禁止されている。
最近は営業時間を規定する法律の制定権限が、連邦政府から各州政府に移譲されていて、州によってその扱いは様々であるらしい。(※詳しくは

ところで、ここからは10年前の思い出話である。
私が彼の地にいたのは1997年から2000年にかけての3年間で、ちょうど永日の営業時間が20時まで、土曜日が16時まで延長された直後であった。

当時、日本では24時間営業のコンビニエンスストアがあちこちにできていた頃で、うって変わった不便さに戸惑ったものである。
土曜日は、どこかでランチを食べてその後買い出しに行くというのが、決まった行動パターンで、16時に間に合うように、ダッシュしたものである。
日本であれば、閉店間際に駆け込んでも、買い物が終わるまでは待ってくれるものであるが、あちらでは情け容赦なく、どんどん閉鎖されていくので、全く油断はなりません。

何とか買い物を済ませても、今度は日曜日の過ごし方というのが結構難しくなってきます。例えばどこかへ出かけたとしても、ドイツ国内であれば、町の中心部の商店街はすべて店を閉めていて、おそらく普段であれば人通りが多かろうと思える通りでも、ほとんどゴーストタウンの様である。

そういうときに、急にモノが必要になったらどうするか、以前ならどうにもならなかったようであるが、私がいた頃は徐々に規制が緩和されてきた頃で、ガソリンスタンドの24時間営業(日曜を含む)は認められていて、その併設ショップと言うのが結構重宝したものである。元々はドライブに必要な物を販売するためのショップであったはずが、いろんな物を販売するようになり、規模はちいさいものの、あたかも日本のコンビニの様であった。

とはいえ、慣れというのは恐ろしいもので、3年も暮らしているとその不便さにもすっかりと慣れてしまい、帰国した後の街のにぎやかさ(特に日曜日の!!)には、逆に大いに戸惑ったものである。
もちろん、それに慣れるのも早かった!!

電車内の風景

自宅のある亀岡から京都市内まで毎日JRで通勤しているのですが、以前にもお話ししたとおり、その時間のほとんどを読書時間に当てており、車内を見回すことはほとんどありませんでした。

ところが、先日たまたま車内が混雑していたので、本を読むこともなく、車内の吊り広告を何とはなしに見ておりました。すると、かつてはよく見かけた週刊誌の見出しやイベントの案内などが姿を消しており、ほとんどがJRのキャンペーン広告となっておりました。

これは乗客の少ない嵯峨野線だけの現象かと思っていたのですが、昨日たまたま乗り合わせた東海道線の新快速でも状況は全く同じでした。

知らない間に世間はこんな風になってしまっていたのですか。
それとも、たまたま巡り合わせが悪かったのでしょうか。
ちょっと気になる現象でした。

2009年7月22日水曜日

読書狂い

今日は、今年に入って203日目(のはず)です。
今日、読み切った本が、今年に入って丁度203冊目。
ついに日数に追いついてしまいました。

以前にも明言したとおり、今年は量より質。年間200冊程度を目標にじっくりと本を楽しもうと思い、1月、2月はそのつもりで、セーブしながら読んでいたのですが、いつの間にか固い決意もどこへやら、ここ数ヶ月は貪るように読んでいます。

いけないなとは思うのですが、どうにも止まらない状況です。

ところで過日今年上半期に読んだ本(小説)、というサイトを見かけました。

それによると、2009年上半期で最も読まれた小説は「夜は短し歩けよ乙女」森見登見彦だったそうです。たまたま先日彼の別の著書を読んで、京都を舞台にした奇妙な世界にう〜んとうなっていたところだったので、これも読んでみようかなと思っています。

昨年来、手に取る本は、フィクションであったりビジネス書であったり、はたまた古典、宗教、哲学書が中心で、小説はほとんど読んでいなかったので、その反動かここへ来て無性に小説が読みたくなってきています。

これも、最近の小説も好いけど、古典(ではないけど)夏目漱石、宮沢賢治、などにも曳かれています。だれか面白い小説を教えてください。

7月23日と言えば

先週関東方面で梅雨が明けたと発表されたようであるが、こちらではなかなか梅雨が明けません。
17日の祇園祭山鉾巡行は、梅雨空の下何とか実施できたようであるが、その後はずっと雨模様です。
この間、何度も大雨警報が出されるなど、梅雨末期の集中豪雨が心配され、現に各地で土砂災害も発生しているようです。

特に山口県では、特殊養護老人ホームが被災し、亡くなられた方々もいらっしゃいます。実は、私の父が住んでいるホームも亀岡市内の山間にあって、地形的には土砂災害の心配があるところであり、人ごとならぬ不安を覚えています。

1982年(昭和57年)の長崎豪雨(あの眼鏡橋が破壊されました)。翌1983年(昭和58年)の山陰豪雨。いずれも多数の死者を出した記録的な大水害でした。
実は、この2つはいずれも7月23日に発生しているのです。

当時、私は大学生でしたが、この2年続きの奇妙な符合に背筋を冷たくしたものです。
私の実家も背後に小高い山を背負っており、土石流の危険があるところでしたし、すぐ近くを流れる由良川は、毎年のように氾濫を繰り返す恐ろしい川でした。
他人ごとではない事件であったと記憶しています。

その後、私は今の仕事に就き、ほんのしばらくの間でしたが、土石流災害対策の仕事をする機会がありました。そのときには、過去の様々な災害の様子を見ることになりましたし、その恐ろしさについても、科学的に学ぶ機会を得ることができました。

「天災は忘れた頃にやってくる」と言いますが、昨今のゲリラ豪雨を見ていますと、私たちの今の生活が一瞬で破壊されてしまう危険は、いつも私たちと隣り合わせにあると考えなければいけません。
更に先人は「備えあれば憂いなし」とも言っています。

何時、何が起こっても、自分と自分の家族の生命が守れるように、備えておかなければいけないと思いを新たにする今日です。

2009年7月21日火曜日

解散!総選挙

今日、予定どおり(?)、衆議院が解散された。

おおかたの予想では、現与党特に自由民主党に非常に厳しい結果が出るだろうと言われている。
昨年来の様々な出来事を見ている限り、この予想が大きく外れることはないだろう。

自らの政権担当能力が欠如を露呈しながら、対立野党の政権担当能力に疑問符を付けたり、四年前の勝因は何であったのかを忘れたかのような豹変振りを見せるなど、国民を愚弄するかのような行いは、厳しく裁断されて然るべきでる。

とはいえ、他方の最大野党にもこれと言った決め手が無いのも事実である。

この際、与党の皆さんは、謙虚にこの4年間を反省していただいて、改めるべきは改め、次の4年間で実施すべき事。さらには10年後の日本の姿を我々の前に提示して欲しい。

同じく、野党の皆さんにも、政権をとらんがための甘言を弄するような政策ではなく、10年後20年後の姿を私たちに提示して欲しい。

今回の総選挙が、互いの欠点をののしり合う選挙になってしまってはいけない。真の政策論争を戦わせて欲しい。

私たちは、高齢化問題、エネルギー問題、食糧問題などなど莫然とした不安の中に生きている。
10年後20年後の夢が全く描けない状況を生きている。
さらに最大の不幸は、この莫然とした不安が国政を預かっている皆さんには全く届いていないだろうと言うことである。

今回の総選挙では、どちらが多数を握るにしても、すべての立候補者の方々には、過去最高の投票率を目指して、強く自らの政策を訴えかけて欲しい。

そのことだけを切に願いたい。

皆既日食

明日7月22日には、国内では46年振りとなる皆既日食が観測されるということで、その中心地である奄美地方の島嶼に世界各地から多数の人が訪れ、世紀の天体ショウの幕開けを待っている。

原理的には、日食は、毎年2回は必ず起きているそうであるが、地上から観測できるとなると、そのチャンスは限られている。次ぎに日本で見られる皆既日食は2035年だそうなので、次回見ることができる人は、かなり限られているであろう。

とはいえ、実は私は今から10年前の1999年8月にあった皆既日食を見るチャンスに恵まれている。

当時、私はドイツにいた頃で、ドイツの南部からオランダにかけて、非常に広い地域で観測することができた。
丁度夏休みと言うこともあって、家族を連れてAuto-Zugという自家用車を載せることができる夜行列車でミュンヘンまで出かけた。皆既日食はミュンヘンでも見られるのだが、到着時は曇天でもあったので、そこから更に車を走らせて、皆既日食帯の中心地であるアウグスブルクまで足を伸ばした。

市役所前には、すでに広場を埋め尽くすほどの群衆が集まり、地元の楽団が様々な音楽を演奏する中、日食眼鏡を片手に時間が来るのを今か今かと待っていた。

話には聞いていたものの、初めて体験した皆既日食は、非常に神秘的でした。

太陽が徐々に欠け始め、もうすべてが隠れると思った瞬間、一瞬世界の音が止まり(そんな気がしました)、鳥たちが急に大声を上げだしたかと思うと、ゴゥという地鳴りのような音とともに強い風が吹き荒れました。

完全な暗闇が続いたのは数十秒だったでしょうか。次の瞬間、私たちの目に飛び込んできたのは、とても美しいダイヤモンドリング。一瞬の輝き。本当に一瞬でした。

時間の経過と共に、辺りは何ごともなかったように普段の日常の風景に戻っていました。

何の予備知識もない古代の人々にとっては、まさに神がお隠れになったと思ってしまうのも宜なるかなと思われます。

おそらく、二度と見ることはないだろうと思いながら体験した、神秘的な思い出です。

2009年7月13日月曜日

夏の便り

いよいよ彼らが活躍する季節です。

新しい顔

昨日実施された東京都議会議員選挙は、一地方議会の選挙とは思えないほどの注目を浴び、結果的に知事与党、政府与党側が大きく後退し野党側に主導権を引き渡す形となった。

選挙の結果を受けて、自民党では、即時解散総選挙か或いは麻生総裁の退陣かで右往左往の大騒ぎの様相である。

いずれにせよ、8月末に実施される総選挙は政権選択選挙とならざるを得ないが、政府与党側の顔が見えないのが残念である。
誰を据えれば選挙に勝てるか、と言うことで与党側は決め手を欠いているように見えるのであるが、私の予感では、きっとあっと驚くような新しい顔を立てれば、自民党の圧勝もあるのではないかと思います。

というのは、国民の大多数が持っているのは、選挙を経ないで3人の総理大臣が次々と政権に就いていったこと、清新さを感じられないこと(特にアメリカの大統領選のあとだけに、、)に対する不満が溜まっているだけではないかと思うからです。
私も含めて多くの国民は「変化」を求めてはいるけれど、余り急激な変化を求めているわけではないと感じています。

現状よりも少しずつ(自分にとって良い方に)変わっていって欲しい、というのが偽らざるところではないでしょうか。
多くの国民は、自民党的なところって決して嫌いではない、でもちょいと増長しすぎ、と言う感覚を持っているのではないか。

今回もし、あっと驚くような新しい顔で選挙に臨めば、意外と大勝するような気がします。

2009年7月8日水曜日

楽観主義

6月の終わりには瞬間で日経の平均株価が1万円を超えるなど、この不景気もようやく底を打ったかなと思っていたところ、今週に入り立て続けに大幅下落が続いており、今日は9500円を割り込むというところまでやってきた。
先日来のニューヨーク株式の下落が、景気となっているようであるが、相変わらず米国経済の状況によって国内経済も左右されるらしい。
また、今日は5月期の機械受注統計が発表になったが、これまたおおかたの予想を裏切って、対前月比マイナス3%となっている。

巷間、3月〜4月に景気の底を打ち、5月以降は立ち直りを見せていたと思われていただけに、失望感が大きいのではないか。
今のところ国内産業には、景気回復を牽引して行くであろうと期待できるセクターが見あたらない。政府の景気刺激策も手づまりを見せている。

人間には、強く思ったことを実現化させる『引き寄せの法則』が働いていると言われる。であるなら皆が悲観的になることは更なる不景気スパイラルに落ち込んでいく危険性を秘めている。
ここは万人がこぞって、楽観的に景気回復を信じ込むことが重要なのではないか。

「なんとかなるさ」と

2009年7月6日月曜日

梅雨空に思うこと

天気が悪いと気持ちも沈みがちになるものです。

7月になり月が変われば、気持ちも切り替わるかなと期待していたのですが、鬱々とした天気に気持ちも湿りがちです。

人生には、いろいろな段階があるようですが、今の私は一体どのステージ立っているのか、ハッキリと見えていなくて少々焦りの気持ちが芽生えています。こんな時こそ、何か状況を打破するための出来事が起きて欲しいものですが、思うには任せません。

自分の中に、しっかりとやりたいことがイメージできていないというのが原因だろうと思うので、少し足掻いてみたいと思います。
何もしないより、少しでもどちらかの方向に進んだ方が状況を打開する術が見えてくるような気がします。

サラダ記念日

今日は、朝から鬱陶しい天気になりました。
いろいろなところで目にしたのですが、今日はサラダ記念日だそうです。

と言っても、ご存じない方がたくさんいらっしゃるかもしれません。
今からおよそ20年前にベストセラーになった短歌集のタイトルです。

「この味がいいね と君が言ったから 今日はサラダ記念日」

という歌が由来だったと思います。

それ以外にも、作者の非常に身近な出来事が綴られた本でした。
作者俵万智さんは、当時高校の国語の先生だったと記憶していますが、
もちろん今も現役で御活躍です。

2009年7月1日水曜日

今日からタバコが吸えません。

今日7月1日からJR西日本管内のすべての駅が禁煙になりました。
昨日は各駅頭でPRのためティッシュを配ったり、今朝は駅のホームで数分おきに案内のアナウンスをしたりと、PRに余念がありません。

こういった嫌煙、禁煙の広がりに対して、自分の体のことを他人、特に権力にとやかく言われたくない。あるいは、マナーの問題に公権力が介入するのはいかがなものか。というような論調の意見が多く見られます。
私自身は、逆にこういった見方、意見に異を唱える立場で一言口を挟みたい。

まずは伏流煙の問題についてである。
良く言われるように、タバコを吸う人の隣にいると、タバコを吸っていない人でも無理矢理タバコの煙を吸わされる羽目になり、有害物質を体一杯吸い込まされることになる。
学生時代からタバコを吸わなかった私は、呑み会でタバコを吸う友人達に「おまえらは殺人犯や!!」と絡んだものです。

次ぎに医療費の問題である。
国民健康保険、健康保険組合などの経営が非常に厳しくなっているというのは、良く知られているとおりである。
国民が長生きするようになって総額として医療費の支出が多くなったこと。医学の進歩と共に高度な医療を施す局面が増えたこと。などが言われている。
しかしながら、私としては「タバコを吸ってるヤツは絶対医療費をたくさん使うことになる」と確信している。いわば吸わない人は「割り勘負け」するという不満があるのだがどうだろうか。

さらにはマナーの問題がある。
概して、タバコを吸う人のマナーは良くない。特に吸わない人が増えてくると、吸っている人のマナーの悪さが際立って見える。
禁煙場所での喫煙、歩きタバコ、吸い殻のポイ捨て。特に自動車の窓から道ばたへ火がついたままのタバコを投げ捨てるなどは危険極まりない。我が家の前のバス停などはあたかも吸い殻捨て場の様相を呈している。
注意をすれば逆切れするか知らん顔。とにかく正しいマナーの喫煙者にはお目にかかったことがない。

私は生まれてこの方、タバコというモノを吸ったことがないので、喫煙者の気持ちは全く分かりません。
喫煙者の皆さんの言い訳で、自分たちは高額納税者だという弁を聞くことがありますが、私から言わせると、あれは税金ではなく罰金である。