2008年12月31日水曜日

2008年(その5)

いよいよ大晦日となりました。
今日の亀岡は雪こそ降らなかったものの、氷雨交じりの寒い一日となりました。
今日は、私自身の一年を振り返ってみたいと思います。


大きな病気をしてから丸3年が経ちました。
一応の目安となる5年までは、まだしばらくありますが、今年の初めにいわゆる勤務制限がなくなり、仕事をする上での障害はなくなりました。

ところが、油断をしていたら、今年の健康診断で血糖値が若干高いことが指摘されました。
数値を見ると正常値なんのですが、今年の担当医は厳しいらしく、注意をするように釘を刺されました。実はそれ以外の別の機会にも高血糖を指摘されたこともあって注意するようになりました。

そこで、最近は帰宅の際、ひと駅分を歩くように心がけており、およそ2キロを早足(約20分)で歩いています。おかげで歩くことが苦でなくなり、時間がるときはできるだけ歩くようになりました。

それ以外に健康のことで言うと、今年の夏に思いもよらぬ虫垂炎発症という出来事もありました。こちらは結局手術をすることなく、点滴で散らして何とか納めたということで、心配の種は残っています。

しかしながら、冒頭に述べたごとくとりあえず最も心配な病気は、今のところ暴れだすことなく、うまく折り合いが取れている状態です。


仕事に関しては、さほど大きな動きがありませんでした。
しかしながら、できるだけ旧来のやり方とは違うやり方で進めていと思い、少しずつですが改めていってもらっれいるものもあります。でもまだまだ道半ばという感じです。

また、我々の仕事は、京都の産業振興に貢献するということですが、我々が想像していた以上に今回の不況は京都産業に打撃を与えています。そして、そのことに対してなんら有効な手立てが打てないわが身の無力さに歯がゆい思いをしています。

せめて、周りから元気づけてあげられればと思っています。


最後に、今年もたくさんの本を読むことができました。
数えてみたら合計292。そのうちには全8巻の「坂の上の雲」や上下巻のものがいくつか含まれているので、延べにすると300少しというところでしょうか。
今年最後の本は今読んでいます「五輪書」です。おそらく今夜じゅうに読み終わることと思います。293冊目になります。

今年も、色々な事を考えながら本を読んでいましたが、もともとは自分がこれまで勉強してこなかった「経営」ということについて、知識を深めようと読み始めたものでした。しかしながら読み進めるうちに、経営からビジネススキル一般、心理学、哲学へとどんどん対象が広がっていって、その興味は尽きることがありません。

ただ、ほんの少しわかってきたことがあって、組織・企業の経営に限らず、すべてのものには「理(ことわり)」があって、大筋ではその「理」から外れることがありません。その「理」の正体は何かというと、それはおそらくそれぞれの人が持つ「宗教心」なのではないかと思いいたりました。

戦後社会の中で我々は多くのものを見失ってました。民族が持つ宗教心もその一つで、別にキリスト教であろうと仏教、イスラム教であろうとそれは何でも構わないのですが、人としての道標となる信仰をもたない民族はおそらく、この後の世界では生きていけないのではないかと思っています。
宗教というものを捨ててしまったお隣の大国にしてもしかり。

来年は、ほんの数は今年の半分を目標にして、これまで踏み込んだことのない世界に踏み出していきたいと思っています。


私の周りにいるすべての皆さんへ、今年も大変お世話になりました。
心から感謝いたします。
そして来るべき2009年が、素晴らしい年になりますように、一緒に頑張りましょう。

どうもありがとうございました。

2008年12月30日火曜日

2008年(その4)

今日は、実家のお寺へ年末のご挨拶に行ってきました。

お寺へ行くのは盆前と年末の年2回だけ、そのお寺の和尚は私の4,5歳年かさなので昔からのなじみです。
そこのお寺は創建が1570年代で、今の本堂はおよそ300年前に建てられた物のようですが、経年の傷みがひどく、檀家に将来の建て替えに備えた積み立てをお願いしているところであるが、この不況風に大変心苦しい思いをしているというお話を伺った。

先日の話題ではないが、このようなときに行政は無力だと嘆いていたが、その和尚に宗教も無力である、というお話をされた。結局どんなに困っている人のところへ行っても、宗教は直接救済することはかなわず、自らの力を振り絞って立ち上がろうとする人を応援することが使命である。

お寺へ向かう道中、舞鶴市のかつての中心街であった真名井商店街を横切ったが、まるでゴーストタウンと化しており、人の通る姿を見かけることができなかった。私が子供の頃は年末の買い物と言えば、この商店街ですることに決まっており、狭い道路には年始飾りや野菜などを売る露天商が所狭しと店を広げ、それこそ満員電車のような賑わいであった。それがまさに様変わり。恐るべき変わりようである。

今年の年初は長かった不況もようやく底を打ち、海外の需要に支えられた企業は2008年3月期決算で空前の利益をたたき出した。それからほんの数ヶ月、今その各企業はこれまた史上空前の不況にたたられている。

今日の東京株式市場は大納会で、その終値(日経平均)は8859円、昨年の大納会が15307円だから、マイナス6448円、率にしてマイナス42%の下落は、過去最大だそうである。
各アナリストの来年の予想もおおむね厳しい予想が揃っている。(ただ、昨年の時点で、彼らの誰もが今年のこの惨状を予想できなかったわけであるから、あまり当てにはならないが。)

経済のグローバル化に伴い、不況も一気にグローバル化する。今回の場合、好調に見えた各国の景気が、実はアメリカ一国に依存していたということが、そもそもの原因である。それも明らかな土地バブルである。20年前の日本の教訓は全く生かされなかった。

今回の不況は1920年代の正解大恐慌に匹敵するとも言われている。

出口は見つかるのだろうか。
いったいどこにあるのだろうか。
誰が最初に見つけるのだろうか

2008年12月29日月曜日

2008年(その3)

今年もいろいろなことがありました。
今年の社会を振り返ってみると、驚くようなことが次々と起こり、そのうち感覚さえも麻痺していくような気がします。また、年を追うごとにスピードが増すような気がして、ほんの数ヶ月前のことさえ、遠い昔のような気がします。
これはひとえに年をとったと言うことでしょうか。

さて、今年は年初早々から毒入り餃子に始まり、お菓子にウナギなどなど偽装、だましのオンパレード。とどめは農林水産省も一役かった事故米の流通と食べ物に関する安全性がないがしろにされてしまった一年でした。

その他では、秋葉原事件に象徴される理由のわからない無差別殺人。そしてそれをおもしろがる訳のわからない奇人達。

いかにすさんだ社会とはいえ、ここまで人間の心までも寒からしめるような出来事が頻発すると、この先この国はどうなってしまうのだろうか、どうやって我々はこの国を立て直し、次の世代へ引き継いでいけばよいのかと絶望的な気持ちになってきます。

今年、「女性の品格」を書いた板東真理子さんの講演会を聞きに行ったことがありますが、その際彼女が最初に私たちにといかけた言葉というのが「私たちは次の世代に、持続可能な社会を引き継ぐことができるだろうか」という問いかけでした。

また、丹羽宇一郎さんは講演の中で「この世の中を成り立たせているもの、それは信用である」とおっしゃってました。

今年は、これら大事な言葉をどこかに忘れてしまったような一年でした。来るべき2009年は、もう一度これらの言葉を胸に刻んで精進し、我々の力で夢のある年にしなければなりません。また、そうすることを誓いたいと思います。

2008年12月28日日曜日

2008年(その2)

今日は12月28日。普段の年なら今日が仕事納めで、この後1月3日まで6日間の年末年始休暇というのが通常の年ですが、幸か不幸か土日が挟まった影響で今年末は9日間の長い休暇となります。

今年後半から吹き荒れる大嵐のため、この間の休みを返上して業務を続けている同僚もいます。こんな時、公務員という仕事をしていることについて、改めて考えることがあります。

安定した職場とか、親方日の丸とかいう人たちもいますが、ほとんどの公務員はこんな時こそ社会のために貢献したいと考えつつ、我が身の無力さを実感し、ジレンマに陥っているのではないでしょうか。
こういうときこそ発揮されるべきは政治の力では、、、と思います。

さて、今日は今年のスポーツ界を私なりに振り返ってみたいともいます。

今年のスポーツ界といえばなんといっても北京オリンピックを外すことはできません。
谷選手の3連続金メダルならず、北島選手の2大会連続2種目制覇、星野ジャパン・男子柔道の惨敗、などなど様々なシーンが思い浮かびますが、極めつけは「上野の413球」の流行語を生み出したソフトボールでしょう。次回ロンドン大会では競技が行われないことになったため、ひょっとすると最後のオリンピックになるかもしれないこの大会での見事な金メダルでした。

華やかな活躍があった一方で、ますます巧妙化し深く浸透しているドーピングの甘い罠も忘れることができません。今年もメダルの剥奪などが相次ぎ、その根の深さが窺われます。

それ以外のスポーツといえば、スキャンダルにまみれた相撲界も忘れることができません。
八百長などは、いわば必要悪としてある種黙認されてきたところですが、暴行、殺人、薬害ときてはどこの世界に話かと思ってしまいます。国内での人気は翳りがちで、有望な新弟子は海外からしか調達できなくなってしまい、各階のモラル低下は一朝一夕には改善できないように思われます。
日本の国技と呼ばれる以上、何とか昔日の輝きを取り戻してもらいたいものです。

世相が暗くなってくると、スポーツをみることでその鬱憤を晴らしたいと思う人たちが多くなります。甲子園球場のライトスタンドで歓声を上げたり、サッカー競技場のスタンドで好きなチームのカラーにペイントしたり、スター選手の活躍に自分の夢や希望を重ね合わせたり、スポーツは本当に良い物です。
たとえそれが、見るスポーツであったとしても。

2008年12月27日土曜日

2008年(その1)

2008年もあと数日を残すのみとなりました。
私の勤務先も昨日12月26日で年内の業務を終了し、9日間の年末年始休みに入りました。

思えば、このブログを書き始めたのが今年の3月。内容はふらふらとあっちへ行きこっちへ行きしながらも、何とか年末を迎えることができました。今日は今年の政治を振り返って思うところを書いてみたい思います。

思い起こせば、今年は夏に北海道で洞爺湖サミットがあった年でした。すっかり忘れておりましたが、そのときの総理大臣はまだ福田康夫氏でした。昨年の秋に急遽総理大臣に指名されてから、最後まで人を食ったようなしゃべり方しかできないことが災いして、退任会見においてまで、失態をやらかしてしまいました。

そして、その後を受けて総理大臣に指名されたのが、英語はしゃべれるけれど、日本語はからきしだめという、どうにもならないようなお坊ちゃま。歯に衣着せぬ物言いが受けてると勘違いして、暴言、呆言のオンパレード。ばかばかしくていちいち突っ込む気にもなれない。

総選挙の顔として選ばれたはずが、人気は急落するばかりで、挙げ句の果てに出てきた施策が究極の愚策、ばらまき定額給付金。国民を愚弄しているとしか思えない。

来年の秋には、現在の衆議院の任期が終わるので、それまでには必ず総選挙が実施されることになる。
しかしながら、政府自民党の今の総裁ではとてもではないが総選挙は戦えない。ほかに据える顔はないのだろうか。

とはいえ、対する民主党に政権を担えるだけの力があるのだろうか。実は私自身は、この政党に対し、かつての社会党と自民党の負の面が寄り集まったような、という印象を持っている。反対するための反対。一方では超保守的、超右翼。のっぺらぼうに見える表の顔から、様々な別の顔がうっすらと透けて見える。損アイン賞である。

政策を作る能力のない政権。国のあり方を国民に示すことができないリーダー。自分の理念・信念を貫くことのできない政治家。
この国の政治はどうなるのだろうか。
来年の総選挙では、我々にどのような選択肢を示してくれるのだろうか。
世界的な大不況が猛威をふるっている今、ゆっくりと構えている暇はない。

2008年12月26日金曜日

今朝の一枚

昨夜は久しぶりの雪になったようです。
今朝の亀岡市は、こんな感じ。

2008年12月14日日曜日

討ち入り

今日は12月14日、いわずとしれた赤穂浪士吉良邸討ち入りの日です。
とはいえ当時は旧暦ですから、まだまだあと1ヶ月ほど先なのですが、年末のこの時期でないとあの緊張感は共有できないような気がします。

ところで、この日が終わると今年もあと半月。
先日発表された今年一年を表す漢字は「変」でありました。
しかしながら、我々が感じた「変」とはいったい何であったのだろうか。

海の向こうアメリカでは「change!」を合い言葉にしたバラク・オバマ氏が次の大統領に決まりました。確かにそこには何か「変化」が感じられます。そしてそこに大きな期待も。

ところが、我々の周りではどうでしょうか。
我々が感じたのは「ナンかちょっと変!」という違和感ではないでしょうか。

次から次へと総理大臣が職を放っぽりだしたり、
町中で突然に切れだした人間が無差別に人を殺したり、
年末に突然に首を切られる労働者が後を絶たなかったり、
ナンかかなり変な感じがしています。

本来なら心が浮き立つはずの時期であるにもかかわらず、
来年からのことを思うと心楽しまない年末です。

2008年12月5日金曜日

亀岡でも、、

結構がんばってます。



亀岡駅を降りて、まっすぐ正面。
南郷公園の入り口です。
ただ、残念ながらギャラリーが、、
誰もいない。

2008年12月3日水曜日

裁判員制度

先日来話題になっております「裁判員制度」について、思うところを記したいと思います。

新聞紙上などで読む限り、通知を受けた方の多くは冷静に受け止めておられるようであるが、中には数件の苦情、或いは個人的な理由による辞退の申し出なども相次いでいるようである。とある雑誌などは(店頭広告を見ただけですが、、)「裁判員を辞退するための”言い訳”方法」などと銘打って、あたかも引き受けるのが「お人好し」であるかのような取り扱いをしている。

こういった「人を裁くこと」については、それぞれ思想信条もあるかと思うが、何故にこのような制度が設けられたのかということもじっくりと考えて欲しい。
よく知られているように、海外には「陪審員制度(特にアメリカの制度が有名ですが)」というものがあり、いわゆる「一般市民」が裁判にかかわること普通に考えている国もあります。

元々裁判というのは、時の権力者が自らが作った法令を守らせるために行われたもので、いわゆる「司法・立法・行政」の三権が同一の権限者によって行使されると言うことが当然とされておりました。そして、その後の市民革命によってようやく我々は、司法と立法の権限を行政者から剥奪することができたのです。
それぞれの権限をしかるべく代理人に権限を委譲して、執行させているというのが、我々が暮らす現代社会なのである。

ところが、いつの間にかこの三権が渾然一体となり、どう考えても不当と考えられるような司法判断が下されるケースがありませんか?そこで、法の見張り番として我々市民が直接チェックしようというのが、この裁判員制度の狙いではないでしょうか。

街頭の声を聞くと、「国の責任の放棄」「人を裁くのは嫌だ」などという意見が多いようである。
しかしながら、本当の正義を実行するために我々『市民』が立ち上がることは、決して『面倒くさい』で済ませられることではない。

2008年12月2日火曜日

ライトアップ

京都の五条通のイルミネーションといえば
ローム本社前です。


巨大なツリーの上に浮かんでいるのは
三日月とかすかに見える金星、木星です。
実物はもっと美しかった。

師走入り

昨日から12月、何かと気ぜわしい師走入りである。
のっけに飛び込んできたのが、ニューヨークでの株価の大暴落。それを受けて、東京の株式市場も一気に値を下げ、止まるところを知らない勢いである。併せてドルも急落し、国内の輸出関連企業は更に追い打ちを掛けられている。

普段なら12月といえば、いずこも「書き入れ時」で一般の消費もピークを迎えるのが当たり前であったのが、今年の場合はそうもいかないようである。
とりわけ悲惨を極めているのが、派遣労働者や期間雇用従業員などのいわゆる非正規雇用者である。今年いっぱいで解雇(言葉としては不正確ですが、敢えてこの単語を使います。)を予定している大企業が目白押しで、年末には数万人規模で失業者が巷にあふれ出ることになる。

当然のことながら来年からの仕事の見込が立っている人は本の一握りで、そうではない人たちはどうしたらよいのか迷うばかりである。とはいえ、こんな時こそ役に立たなければいけない我々にとってもなすすべがなく、無力感が増すばかりである。

国内の経済アナリストの分析を読むと、本来の価値以下の価格で売買されており、この株安は明らかに行きすぎであるそうである。おそらくこの年末が底打ちという声が強い。
今は、せめてこの分析が正しく未来を予見していると祈るばかりである。