2009年12月31日木曜日
大晦日
世間では、紅白歌合戦か格闘技か。外は大変寒く、深夜の初詣は大変そうです。
日付が変われば2010年。寅年です。私も人生5回目の寅年を迎えます。
今の職場では、次の寅年を迎えたときに定年を迎えます。つまりあと12年。
12年というと長いような短いような。来年4月には、入庁満25年を迎えますので、残りはその半分。
この25年も長かったのか短かったのかよく分かりません。25年という実感もありません。
残り12年は、その後の人生(何年あるかわかりませんが)を充実して生きるための大事な時期だと思っています。つまり、来年からの一年一年がとても大事なのです。
今ここへ来ても、あれもしたいこれもしたいという思いだけは際限がありません。
それを夢というか、単なる欲というかは知りませんが、とにかくどん欲に行きたいと思います。
今年も、馬鹿みたいにたくさんの本を読みました。
来年こそはペースを落として、読書以外の時間の使い方をしたいと思います。
例えば語学。例えばカメラ。例えば史跡巡り。例えば禅。などなど。
頭で考えるだけではなく、実行することに焦点を当てたいと思います。
思えばこれで2000年の一桁台も終わりです。来年からは二桁に突入します。
9・11から始まった混迷の10年におさらばして、次はどんな10年になるのやら。
一つだけ確かなことがあります。
それは、つぎの10年こそ素敵な楽しい10年になるに違いないということです。
きっと。
それでは皆さん、良いお年を。
2009年12月30日水曜日
ありがたい
大晦日は若干お天気が下り坂らしいのですが、そのほかは穏やかな年末のお天気です。
思い返してみると、今年もいろいろなことがありました。政治の世界ではついに選挙による政権交代が実現しましたが、ここは非常にプライベイトに私の一年を振り返ってみたいと思います。
まず、年明けから早々に父が施設に入居しました。
入居当初は父も寂しかったでしょうが、私自身も非常な罪の意識にさいなまれたものです。
今では、父も落ち着いた生活を送っているようで、まずは入居が吉と出たかなと思っています。
4月には、サプライズの人事異動。それも全くの畑違いの部署に。
なぜ?何故?ナゼ?としばらくは疑問符を頭にいくつも乗せながらの毎日でした。
これまでのやり方が通じないのはつらいですが、やるしかないかと開き直った今日この頃です。
5月には新型インフルエンザ旋風が吹き荒れました。
幸い個人的には難を逃れましたが、10月に入り私以外の家族が順繰りに感染するという騒ぎになりました。
もっとも危ない夏は大過なく過ごすことができました。
これで無事4年が過ぎました。
秋は、仕事の関係で忙しい日々が続きました。
久しぶりの深夜残業も経験しましたが、改めてもう若くないなと実感いたしました。
そして11月にはまさかの急性虫垂炎。
皆さんには大変ご迷惑をおかけいたしました。
いくら感謝してもたりません。
他にも、いろいろなことがありましたが、何とかみんな無事で年を越せそうです。
本当にありがたいことです。
2009年12月27日日曜日
今年の3冊
今年もっとも売れた本は、村上春樹の「1Q84」だそうで、上下巻合わせて200万部以上を売り上げたそうである。
残念ながら、私はまだ手にしていないのだが、きっとおもしろいのでしょうね。
ところで、この「今年の3冊」という特集ですが、23名が3冊ずつ挙げるわけですから、計69冊あるわけです。それだけあったら、1冊くらいは「あ!俺も読んだ!!」という本があっても良いかなと思ったのですが、これがなんとすべて外れ!それらの本の中に私が読んだ本は1冊もありませんでした。
実は、今年これまでに私が読んだ本はおよそ380冊。普通の人に比べてもそれほど少ない方ではないと思うのですが、それでもかすらないという不思議さ。
だからといって、今年のベストセラーランキング20を見ても、私が読んだ本はたった一冊だけ。いかに読書の対象が偏っているかという証明でしょうか。
これだけ読んでいても、まだまだ届かない世界がある。そう考えるだけでわくわくしてきます。本当に奥が深い。
でもって、私が読んだ今年の3冊は、年が明けてからじっくり考えて発表いたします。
2009年12月24日木曜日
鳩山政権100日
そしてその日に合わせたように、元公設秘書の在宅起訴。
どうやら、夕方のニュースでは鳩山総理の記者会見一色だったようで、野党は辞職のシュプレヒコールを挙げている。
ところで、昨日までのマスコミ各社の世論調査を見ると、発足直後の高支持率にも翳りが見え始めているそうですが、それでも以前の超低支持率内閣と比べたら雲泥の差です。
普天間問題、習近平事件などなど、鳩山総理大臣の指導力に疑問符をつけるような出来事が続いているにもかかわらず、一定の支持率を得ている不思議さです。
これには、過日の朝日新聞で、従来の派閥たらい回しで選ばれた首相ではなく、自らが選んだ首相だから、国民の中に長期的に評価しようという意識があるのではと分析されていましたが、まさにその通りなのだと思います。
ただ実際のところ、いろいろなところに目を配りすぎかなと思います。
国民との約束も大事、連立与党も大事、同盟国との関係も大事、財政再建も大事、、などなどすべてを同等に扱いすぎるのかなと言う気がします。
ここは一番、何が一番大事なのかを強く主張していただくことが大事なのではないでしょうか。
少なくとも、私としては、今日の記者会見は好感が持って見てました。
今なら、良識ある国民の皆さんは、その決断を尊重してくれると思うのですが。
2009年12月23日水曜日
ミシュラン
曰く
1 鮎もシンコも「それなんですか?」無知な調査員が味を評価
2 食事中に写真撮影!素人写真を勝手に掲載
3 星の見直しには味は関係なし
4 予約した店を平気でドタキャン。上から目線で店を翻弄
5 評価する立場のミシュランが店に京都版制作を依頼
6 ミシュランの陰には名門調理師専門学校もあり
7 断っても断っても勝手に掲載。なのに裁判には勝てない!?
8 客足には影響なし!ミシュランの威力は星の彼方へ
実は、ドイツに滞在していた頃、ミシュランのホテル・レストランガイドには本当にお世話になった。特にホテルを探すときには、とても小さな町であっても、簡単な市街地図にホテルがプロットされており、初めてのところでも迷うことなく逝くことができる代物であった。
特に事前にホテルを決めることなく車でふらりと出かけ、行った先から電話したり、あるいはフロントへ直接乗り込んで空室を尋ねたりするときに、なくてはならないものであった。
このリストに掲載されているホテル、レストランであれば、ほぼ満足できる水準で、まず裏切られることはないという感じであった。
レストランについては、味や雰囲気などを手がかりに4等級に分けられているのは誰もが知るとおりであるが、星が付いていないからといって、決して侮れるものではない。
さて今回、ミシュランの日本版が発行されて、いちばん驚いたのが、ひとつひとつのお店についてとても詳しく書かれていることである。
ヨーロッパなどで手にしていたガイドブックには、お店の紹介は連絡先、所在地、利用できるカード、価格帯などほんの2~3行。写真や絵なんか全くなく、せいぜいお勧めの料理があるところは、それが付け加わっているくらいでした。
だから、昨年初めて東京版を見たときには、こりゃ何じゃ??と思ったものでした。もし、あれから10年で本家のものもあんな風に変わっていたとしたらショックなのですが、、、
そんなこんなを考えると、ミシュランが日本版を出したのは、まさにミシュランが日本をお得意様(カモ)と思っているからに違いなく、あまりバカ騒ぎするのもいかがなものかなと思います。
前に上げた特集も、明らかにミシュランを絶対視、特別視した現れで、名前に便乗して雑誌を売り上げようというあざとい手法には、開いた口がふさがりません。
味覚なんて言うのは、人によって好みが違うのは当たり前、万人においしい食べ物なんて言うのがあるはずがない。
当時のベルリンには確か一つ星レストランが2軒ありましたが、その事実をしていたのは日本人ばかり、現地のドイツ人はほとんどそのことを知りませんでした。
星があろうと無かろうと、おいしいかどうかは自分で決める。好みなんてそんなものではないでしょうか。
2009年12月22日火曜日
冬至
今日は冬至ですから、一年で昼の時間が最も短い一日でした(ちなみに京都の日の出は7:01、日の入りは16:50だったそうです)。亀岡では、うっすらと白いものが積もるとても寒い朝でした。
日本よりも緯度の高いドイツでは、これよりも当然お日様の出ている時間は短くなります。正確な時刻は分からないのですが、感覚的にはそれぞれ1時間くらいは短いかなという感じです。
当然のことながら寒さも厳しく、まだ太陽も出ていない、凍てつくような寒さの中の出勤はかなり厳しいものがありました。とはいえ基本的には自家用車での通勤でしたので、寒いのは家を出てから自動車にたどり着き、エンジンをかけて車内が暖まるまでの数分間でしたが、それでも氷点下は当たり前だったので、その数分間の移動であっても、しっかり寒さ対策をしていないと、いっぺんに喉と鼻をやられてしまうので、万全の備えが必要です。
この時期、毎朝出かけるときは、真っ暗な中を東に向かって車を走らせていましたので、徐々に正面の空が明るくなって様子は、なかなかに美しいものでいした。
また夜が明けたあと真っ青な空の下、空気が凛と張った雰囲気はとても荘厳で、私の大好きなベルリンの風景の一つで、空気中の水蒸気が凍って、朝日の中でキラキラ光りながら舞う姿は、とても美しいものでした。
また、実際、冬に向かって夜の時間がどんどん長くなっていく様は、精神的にも非常に負担がかかるものですが、冬至を過ぎると、それからは夏に向けてどんどん日が長くなっていく訳ですから、気持ちが少しずつ軽やかになっていくのもこの頃です。
残念ながら、ドイツでは手に入りませんでしたが、柚子湯で暖まるのも日本ならではの冬の楽しみ方ではないでしょうか。
2009年12月20日日曜日
公約その2
64kgの体重を60kg以下に落とそう!というものでしたが、今日現在で年頭より+2kg。減らすどころか、逆にアップしており、公約は全く果たせそうにありません。
その昔、病気をする前は80kgくらいありましたから、それから比べればずいぶんスリムになったのですが(当時の背広やズボンは全く役に立たなくなりました。)、年齢も年齢ですからできるだけ無駄な肉は落としておかなければいけません。
昨年の健康診断で、血糖値が若干高めと言われたのですが、それ以外は取り立てて不具合はないので、多少は安心していますが、それでもリスクはできるだけ減らしておきたいものです。
本当は、適度な運動が必要なのでしょうが、寒くなると体を動かすのも億劫になって、それもなかなかかないません。何とかしなければと思うんですが、こいつは来年においても継続課題となりそうです。
2009年12月19日土曜日
高速無料化
いくつかの目玉事業(あるいは迷走)があるようですが、以前から気になっている「高速道路無料化」について考えたいと思います。
この事業は、この夏の総選挙での民主党のマニフェストに挙げられていた項目で、前の自民党政権が実施していた「週末1000円」の上をいくものとして期待も高かったものです。
ところが、いざ実施してしまうと、
●週末に車両が集中して、大型連休を中心に各高速道路で大渋滞が起こっている。
●列車の利用者が激減し、あるいは瀬戸内航路を中心にフェリー業界が壊滅的な打撃を受けている。
●自動車の利用が増えたせいでCO2排出量も急増している(のではないか)。
などの問題点が噴出している。
では、一体何が間違っていたのでしょうか。
そこでもう一度、高速自動車道路網がなぜ整備されたのかを考えてみたいと思います。
日本で最初に作られた高速自動車専用道路は、1964年開通の名神高速道路だと言われています。
また世界的には、ナチスの時代のドイツのアウトバーンがその第一号とも言われています。
アウトバーンは軍需輸送が目的とも言われていますが、大戦後はいずれも産業用の高速輸送網の整備を目的に建設されました。日本に於いても同様で、より早くより低コスト物流網を整備することで国土の均衡ある発展を促すために整備されました。
もちろんレジャーの要素も無視できませんが、どちらかというと従たる目的と言わざるを得ません。道路の整備で物流コストが下がることで、一般国民も十分その利益を享受できるというのが、公式ではないでしょうか。
であるならば、昨年の経済不況対策での高速道路1000円化はどうすべきだったのか。そう、土日ではなく平日の利用料を下げるべきだったのです。
そのことによって、物流のコストを下げること、そして平日の休暇取得が進み、現在あるような土日の渋滞が平準化されることが期待できたのではないでしょうか。
来年度、実施される高速道路無料化の社会実験に実施に当たっても、少し考えていただければありがたいなと思う。
ところで、非常に単純な疑問なのですが、高速道路の1000円化あるいは無料化では、巨額の政府予算が計上されています。ところが、本来ならば有料を無料にする(減額する)だけなのに、なぜあれほどの経費が必要なのでしょうか。なんか変だと思いませんか。
この辺は、公表されている国土交通省の予算資料をどれほど一生懸命読んでも分かりません。
誰かご存じの方がいらっしゃればお教えいただきたいのですが。
2009年12月18日金曜日
健康第一
5年前の大病については、4年前に一度再発したものの、その後は全く危なげなく、先生曰く「最も危険な時期」を越え、一つの目安であります5年目へ突入いたしましたが、どっこい思わぬ所に伏兵がいたもので、先月末に「急性虫垂炎」で緊急入院・手術をいうサプライズがありました。
昨年夏に一度発症したときに、抗生物質でごまかしたのが、結局は仇になったようで、今回は問答無用で手術と決まったのは致し方ないところでした。
どなたも「虫垂炎」の手術というと、簡単な手術という印象を持たれると思いますが、何事もなければまさにその通りで、部分麻酔で実質30~40分で終わってしまうような簡単な手術です。
ところがどっこい、私の場合は「簡単」とはいきませんでして、決して、腹膜炎を併発していたとか、癒着をしていたと言うことではないのに、結局2時間近くの時間がかかってしまいました。
というのは、私の体質が悪いのか何なのかは分かりませんが、麻酔がほとんど効かなくて、最初にメスを入れたときに、思わず「痛い!!」と叫んでしまい、その後は部分的に効いてきたところから少しずつ切開していくという羽目に陥ってしまったからなのです。
麻酔が、腹部へ回るよう手術台を傾けたり、部分的に皮膚の表面が麻痺するような薬を注射したりと、えらい騒ぎになりつつ手術は進んでいったのですが、最終的に腫れ上がった患部を体内から取り出すときは、まさに激痛を感じ、手術台で雄叫びを上げながらの仕儀となりました。
あまりの痛みに耐えかねていたところ、結局はガスを使って眠らされることになり、最後の瞬間は眠って(気を失って)いたので、痛みを感じることはありませんでしたが、まさに人生最大の痛みでありました。
幸い、その後の回復は順調で、手術後4日目には退院でき、10日後には職場復帰と、今は何ごともなかったかのように過ごしておりますが、一年の最後を飾るにふさわしい(?)とんでもないイベントでした。
ということで、年頭にたてた第一の誓いは、ものの見事に破られたという一幕でした。
2009年12月16日水曜日
平安京大極殿跡
現在の西陣地区のド真ん中です。
【GPS情報】
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=1&lat=%2b35.0106380&lon=%2b135.4432710&fm=0
2009年12月15日火曜日
2009年12月14日月曜日
天皇の政治利用
さらに、野党となった自民党からも鬼の首を取ったように鳩山内閣を攻撃する声が上がっているが、「政治利用するな」と言いながら政治責任を追及しようという姿勢には「?」をつけざるを得ない。
私自身は、次期国家主席への就任が確実といわれる習氏の初来日されるに関わらず、天皇との会見が行われないというほうが奇妙と言わざるを得ず、結果的に会見が設定されたことは高く評価したいと思う。
さらに、「1カ月ルール」については、「天皇の健康」という側面からすれば最大限尊重されるべきではあるが、たとえ直近の調整であってたとしても、体調や日程に問題がなければ構わないではないか、というのが自然な感覚ではなかろうか。
今回は、「1カ月ルール」というまさに「しゃくし定規」なルールのみを持ち出して、門前払いを食らわせた宮内庁は、それが仕事なのだろうけど、重ねて内閣からの要請があった時点で、考えを改めるべきであって、その結果についてぐずぐずと不満をぶちまけるというやり方はフェアではない。
もっと、違う議論があってしかるべきなのではないか。と思うのは私だけではないようで、週末の各紙には識者の皆さんのコメントが載っていた中で、唯一私が「なるほど」と思った、日本経済新聞(12月13日)の記事から「御厨貴;東京大学教授」の次のコメントを紹介したいと思います。
御厨貴;東京大学教授
友好親善のための天皇陛下の外国訪問や頻繁な外国要人との会見がすでに政治分野に入っているとも言え、「天皇の政治利用」とも考えられる。そうした状況がある以上、今回のケースの当事国が中国とはいえ「天皇の政治利用」を持ち出すのは論点がずれていると感じる。
「1カ月ルール」を前提とした主張が押し切られた段階で、宮内庁の羽毛田長官は何も言うべきではなかった。すべて政治が悪いとする手法には官僚の無責任を感じる。
「ルールはしゃくし定規」との理屈を前面に押し出し、会見を実現させた民主党政権側も、天皇陛下と外国要人との会見はどうあるべきかという本質から逃げたと言える。今回の議論を契機にいま一度、皇室のあり方を広く検討しようという気運が高まればいい。
犬も歩けば
皆さんご承知のとおり、京都が歴史の中心舞台になったのは、平安遷都から鎌倉幕府開府まで、室町幕府開府から江戸幕府開府まで、そして江戸幕府の幕末からの数年間で、前後およそ1000年以上の長きにわたっています。
もちろん、それらすべての場所が確定されているわけではなく、いわゆる平安時代の建物(大内裏を含む)は応仁の乱(いわゆる「この前の戦争」ですね)までにほとんどが灰燼に帰し、その遺構が定かでないものも多くあります。
そういった、碑を手がかりに街を歩くのも結構おもしろいものです。
たとえば、来年の大河ドラマは坂本龍馬だそうで、再び幕末ブームが訪れるようですが、かの長州藩京都藩屋敷跡には現在大きなホテルが建っておりますし、新撰組で名高い「旅籠池田屋」跡は、長い間パチンコ屋でしたが、今は同名をいただく居酒屋になっております。
かくいう、京都府庁もその昔江戸幕府の「京都守護職」が置かれていたところで、時を越えて同じような機能を持った機関が置かれていることが分かります。
最近は、現在の地図に過去の歴史上の舞台をプロットした地図も販売されており、こういった街歩きの手助けをしてくれます。
しかしながら、こういった手助けがなくぶらぶら歩いている途中で思わぬ発見があることも楽しいものです。
討ち入り
例年になく、今年の冬は寒さもさほど厳しくなく、北国のスキー場では雪不足のためほとんど営業できない状態が続いているとも聞いています。
ただこういった、ニュースを聞くとすぐに「地球温暖化」に結びつけて話をされる嫌いがありますが、必ずしも科学的な根拠があるわけではないので、感情的にならないよう注意が必要だと思います。
ところで、この時期になると、はてさて今年は一体どういう年だったろうかと振り返ってみるものですが、アメリカで初の黒人大統領が就任したり、国内では選挙による政権交代が起きるなど、新たなスタートを切ったという気分が高まったせいか、恒例の今年の漢字には「新」の文字が選ばれました。一方、懸念されたとおり世界経済にはいっこうに回復の兆しが見られないなど、将来への不安は相変わらずです。
私自身で言いますと、年の最後に「虫垂炎」で入院するなど、波乱の納めとなりました(今後半月は何も起こらないことを想定しております)が、それ以外は可もなく不可もなくといったところであったように思います。
残りの半月で、今年の始めにたてた目標を思い出しつつ今年一年を振り返ってみたいと思います。
2009年12月13日日曜日
書籍販売額
雑誌の休刊も相次いでいるようで、全く持って寂しい限りである。
活字離れが言われるようになって久しいが、今やそれ以上にインターネットによる情報が氾濫し、現在発行されている書籍でも、インターネットに掲載された文章をまとめたものが結構多い。あるいは、ケータイの画面から、というものさえ存在する。
出版という仕事は、国民に文化を伝えるとこを本旨としているのであるから、その媒体が紙であれバーチャルな画面上であれ、かまわないとは思うものの、やはりごろりと横になって、ページをめくる楽しみは何ものにも代え難いと思うのだが。
2009年12月10日木曜日
今日は何の日
今から41年前の1968年12月10日は、世に言う「3億円事件」があった日だそうです。当時、私も幼うございましたが、それでも世間を大いに騒がす大事件であったことを記憶しています。
誰も傷つけずに、あっという間に現金だけを奪っていった手際の鮮やかさに、ある種のヒーローとして取り上げられておりました。
それから7年後1975年には、刑事事件の時効が成立するというので、再び大ブームとなり、時効成立後、名乗り出て手記を書いてくれれば、高額の原稿料を支払いたいと申し出た出版社もあったように記憶しています。
40数年たつと、3億円の価値も大きく下がってしまい、その価値は10分の1以下とも言われています。
それにしても、あの3億円どこへ行ってしまったのでしょうか。
2009年12月9日水曜日
久しぶりの職場では
10日ぶりの職場は寒くて寒くてビックリです。
何年か前から省エネルギー対策で、職場の冷暖房の出力が押さえられている関係です。
比較的、夏の暑さは気にならないのですが(ただし湿気はだめ)、寒さにはことのほか弱くできております。
以前は、使い捨てカイロを必ず携行していたものですが、10日ほど留守にしていた間に今年もまたそんな季節になったようです。
2009年12月8日火曜日
長かった、、、ス
この間は、終日、寝て、食って、読んで、寝てという生活を繰り返しておりましたが、明日から時間通りにすっきり目が覚めるかどうか大いに不安であります。
これから、年末に向けて仕事も忙しくなってくることでしょうが、できれば徐々に慣らしながらスタートさせたいと思っています。
それにしても、、長かったス
2009年12月3日木曜日
自宅安静中
今回の入院中は、先日知り合いから大量に頂いた『澤田ふじ子』女史の小説を読み漁っております。江戸時代の京都を舞台にした小説が多く、読みながら、「あぁあの辺り、、、」などと考えながら読んでおります。
特に、毎朝二条駅から職場へ通う道の周辺には、京都西町奉行所跡や二条城があり、通う先の京都府庁は京都守護職が置かれていたところです。いわばかつての官庁街を通り抜けているわけです。
まぁ、本を読みながらもそんなことを考えているのですが、それにしても何もしない毎日というのは、本当に長い。私はほとんどテレビと言う物を見ないので、本を読む以外に時間をつぶす方法がないので、結構大変でございます。
医者の見立てではあと5日。どうやって過ごしましょうか。。。