2011年3月31日木曜日

内閣官房参与 田坂広志氏

先日の大震災後、内閣の機能強化のため在野の識者が多数内閣官房参与として登用されています。

その中のお一人に、多摩大大学院教授の田坂広志氏のお名前があった。
田坂氏自身は組織のマネジメントなど専門にされている方であるが、元々は原子力物理学をご専門にされていたそうで、そういった経歴を加味して、白羽の矢が立ったものと思われます。

私自身、田坂氏の著書の多くを手にし、感銘を受けている一人で、Webを通じて講演録なども数多く公開されている。
是非一度、直接話をしてみたいと思わせるお一人です。

彼のあの独特の語り口で、今の危機にお力を発揮していただきたいと希望している。

ところで、あの震災以来、今回の震災でほとんど被害を受けなかった自分たちは、一体どうしたら良いのだろうか。テレビの画面を通して見るあの方達に私たちができることは何かないのだろうか。と、一人悶々としてしまうことが多くあります。

そんなとき、彼が「今いるポジションでベストを尽くすことの大切さ」について語る言葉が私の心に強く響きました。
こちらで公開されています。少し長いですが、是非一度聞いてみてください。

震災の被害

東北大震災の被害は思わぬところに及んでいるようです。

電車の整備部品が調達できなくなったJRの列車運休については、以前お話しさせていただいたことがあります。
それ以外にも。

職場には牛乳などの飲料を販売している事業者の方が複数巡回しておられます。
そのうちの一社のかたは、私と同じ時期に同じ病気になったことで、とても親しく話をしています。
その方によると、牛乳や野菜ジュースの紙パックが全然足りなくて、入荷量が激減しているそうです。
いつもならたっぷりと商品を揃えているところ、今日はいつもの半分くらいでした。

新聞情報によると、紙パックを作っている工場が、今回の被災地に数多くあるそうで、以前のような生産体制に戻るのは遠い先になるようです。

世界の工場であった日本に替わって中国が台頭してきています。
そんな中でも、世界の自動車部品の中には日本で製造しているものが数多く残っています。
しかしながら、今回の被災でそういった工場が大きな被害を受け、日欧米の自動車会社が打撃を受けています。

この震災を契機に、中国などではこういったコアになる部品の製造を一手に引き受けようと、猛烈なアピールを展開し始めたそうです。
日本にいくつか残っていたこうした高度な技術が、この震災によって失われてしまうのではないかと危惧しています。

椿寺

咲き初め
つぼみ堅し

2011年3月30日水曜日

平野神社2




表に回ると1本だけ咲き始めの桜が。
最前席は、既に確保されておりました。

京都府庁旧館

バトンパス

いわゆる平成22年度も明日一日で終わります。
お役所では、長い間お世話になった先輩の多くが職場を去って行かれます。
もちろん4月には新しい顔もたくさん職場に来られるのですが、それにしても寂しい限りです。

気がつけば、自分に残された時間も10年となりました。
この10年をどうやって過ごすのか、これが私にとって大きな課題となります。

自分で自分を成長させていくこと。このことを怠ってはいけないのはもちろんです。
また一方では、自分をこれまで育ててくれたあらゆる人、ものへの感謝。
そして何より、自分がこれまで培ってきたものを次の世代へ渡すこと。
受け取った側が、どう扱うかは彼らが決めればよいことです。

ただただ確実に受け渡しをしていきたいと思います。

準備万端

京都の桜の名所、平野神社です。
いつでもOKなのですが、まだまだ蕾です。

2011年3月29日火曜日

原子力発電

先日実施されたドイツ連邦共和国の州議会選挙で、連邦政権与党の「キリスト教民主同盟」が大きく議席を減らし、原子力発電反対を掲げる「緑の党」が、大きく票を伸ばしたようである。

特に「バーデン・ビュルテンベルク州」では「緑の党」の代表者が初めて州首相に就くことが確実視されている。

この選挙結果には、直前に起こった日本の東北地方大地震と福島原子力発電所の事故が、大きく影響しているようで、思わぬところに波紋を広げているようである。

今から10数年前、私がまだドイツに滞在していた頃の連邦議会選挙で、キリスト教民主同盟と社会民主党の歴史的な政権交代劇があり、社会民主党と緑の党が連立内閣を組んだことがあり、そのとき初めて緑の党が国政レベルで、政権に関与することになった。

実は、そのとき緑の党と社会民主党は、原子力発電撤廃を構想として掲げたことがあったが、結果的にその構想を実現することなく、選挙に敗れることとなった。

今回、世界の原子力発電事業者にとっては、大変厳しい状況を迎えたことは間違いない。実は現に私のふるさとは、原子力発電所からほぼ30kmの圏内にすっぽりと収まってしまっている。

ことが起こった場合、非常に広範囲に大きな被害を与える恐れのあるモノであり、その安全性には通常以上の配慮が必要である。何があっても安全でないと、作ってはいけないモノなのではないか。

2011年3月27日日曜日

後頭部は見ないで!!

今日、引っ越しの荷物を片付けていて、たまたま昔の写真をひっくり返すことになり、懐かしい写真を見つけました。

この写真、何だか判りますか?



実はこの写真を正面から見ると、こうなります。



最近は、クーデターやらなにやらで騒がしかったですが、今から11年前に一度だけ訪れました。

何千年も前には、世界最先端の文明を謳歌していた国が、どうしたことでしょうねぇ。

2011年3月26日土曜日

復興に向けて

震災の犠牲者がついに1万人を超えてしまったそうです。
さらに行方の分からない方が1万7千名以上になるとか。

首都圏では、電力不足に加え、水道水にも不安が広がるなど、依然として厳しい状況にありますが、関西圏では少しずつ日常を取り戻してきました。

若干の物不足は解消されないようですが、日常生活に不便を来すところまでは至っていません。

ところが、先日JR西日本が発表したところによると、電車の運行に必要な部品の調達ができなくなったため、4月からほぼ全線区で間引き運転をするそうです。

どうやら、東北地方の工場で生産していた物が、入手できなくなったため、現在のストックでまかなわざるを得ないと言うことのようです。

また、まもなく桜のシーズンですが、京都への観光客、特に外国人観光客は大きく落ち込むことが想定されています。

今年に入って、若干持ち直したかなと思われていた日本経済ですが、今回のことで再び縮小傾向に逆戻りしています。こういうときこそ、経済活動を停止させてはいけないと思うのですが、世の中の自粛ムードはそれを許さないような空気をはらんでいます。

復興に向けての財源を確保するためにも、経済活動を活発にして、税収を確保することが耐お説だと思うのですが。

2011年3月24日木曜日

小さな変化です

とても久しぶりの投稿です。

この間に個人的には大きな変化がありました。

引っ越しをしました。

といっても、前の家からはホンの数百メートル、
子供の通学圏に影響のない範囲の引っ越しです。

長女は、計5回、次女は既に1回の転校転籍をしているので、
これ以上はかわいそうと思い、決断したものです。

住みやすいかどうかは、これから追々判ってくることでしょう。

そして、もう一方仕事の上では、
これまた、プチ人事異動に係りそうです。

仕事の中身は変わらないようですが、これまた小さな変化です。

こちらはまだまだ内示だけ、異動は来月1日付けです。

これからもいろいろと頑張らなければ、と思う今日この頃です。

2011年3月18日金曜日

放射線

みんながイライラしているような気がします。

ネットの世界では、菅総理の記者会見中に信じられないような暴言を吐いたフジテレビのアナウンサーや東京電力での記者会見でやくざのように凄んでみせたチンピラ記者が話題になっています。

東日本の皆さんが電力不足で不自由していても、自分らは特権階級だからどれだけ浪費しようと全く問題ないと言い切ったプロスポーツ球団の関係者がいました。

ところで今日、同じ職場にいるイタリア人から興味深い話を聞かされました。

既にあちこちで報道されているとおり、外国の政府は日本にいる自国民にできるだけ日本を離れるよう勧告をしています。

イタリアもそんな国の一つなのですが、先日イタリアからも取材のため東京へ乗り込んできたマスコミ関係者が、東京での放射能の影響をレポートしようと、東京のビルの屋上で決死の覚悟で放射線量を測定したところ、ローマのほうが高い値を示したそうで、イタリアではチョットしたニュースになっているそうです。

何が原因なのかは判りませんが、同僚のイタリア人は早く帰国するように言ってきた家族に、日本へ逃げておいでと言い返したそうです。

とはいえ、いまだ危機的な状況にあることは間違いありません。
できるだけ早くこの状況を脱出できるよう、関係者の皆さんの活躍を祈っています。

2011年3月17日木曜日

地震ⅶ

今日も、暴れる原子力発電所をなだめるため、懸命の努力が続けられました。
残念ながら、未だその暴走を止めることができません。

日本における情報弱者である、在日外国人が退去して国外へ脱出しようとしています。
今日の官房長官の会見でもあったとおり、こうした諸外国の動きを止めることはできませんが、私たちとしては、チョット待ってよ。と言いたい気持ちでいっぱいです。

実は今私の職場にはアメリカとイタリアから来てくれている方がいらっしゃいます。両国政府は日本に滞在している自国民に、帰国を促していますが、二人とも全くその気はないと言ってくれていますが、本国のご家族の心配はいかばかりかと思います。

さて、昨日も話題にしたプロ野球は、セリーグが予定通り25日に開幕することを決めたそうです。
先にも申し上げましたが、一ファンとしては、近来まれに見る暴挙と言わざるを得ません。

野球を通じて被災者に生きる希望と勇気を与えたい、応援したいという気持ちは美しいですが、今はまだその時期ではないということに誰も気がつかないのだろうか。
テレビを見ることもままならない被災者のことを慮ることなく、何万人もの人が球場に足を運んでくれると思っているのだろうか。
そんな金があったら、そんなエネルギーがあったら被災者の元へ届けたいと私なら思うのだが、球団を経営する偉い人達はそうは思わないのだろうか。

私には、全く理解できません。

また雪

今朝もまた雪になりました。



テレビの画面で見る被災地も大雪のようです。
寒いでしょう。凍えるでしょう。

今の私たちには、いったい何ができるのでしょうか。

いったい何をすべきなのでしょうか。

2011年3月16日水曜日

地震ⅵ

今日はついに雪になってしまいました。

今の私たちにできることって、いったい何があるのでしょうか。

とにかく早くこの混乱が治まることを祈るのみです。

そして早く、復興に力を尽くしたい。

今、世界中から日本へのメッセージが届いています。

この試練に負けてはいけない。

私たちが一丸となって、突破していかなければならない。

2011年3月15日火曜日

地震ⅴ

今日もいろんなことを考えながら一日を過ごしておりました。

依然として暴走を続けるマスコミ達。
こういうときにマスコミは何をすべきなのか、なぜ考えられないか。
いい加減無責任なコメントの羅列を止めていただきたい。

貴重な電力を無駄に使うのではなく、輪番で放送を止めてはどうか。
全局が無責任にだらだらとした放送ぞ続けるのではなく、局ごとに集中して情報を送る県を決めてはどうか。
福島県の詳細情報はFNNが担当するとか、、

サッカーのJリーグは、3月中の試合開催を中止した。
一方、プロ野球は球場が使えなくなった東北楽天やロッテが所属するパシフィックリーグでは、開幕を遅らせることを決めたが、セントラルリーグは予定どおり開幕させるらしい。
某球団の代表によると、セリーグの球団は被害を受けていないから、だそうである。

プロ野球の試合を一試合開催することで、どれだけの電力を消費するのかは、残念ながら承知していない。
しかしなかがら、この先最低でも1ヶ月は続くであろう計画停電の合間を縫って、貴重な電力を使った試合開催にどれほどの重要性があるのだろうか。残念ながら私にはさっぱり理解できません。

日本の原子力発電所の耐震基準は世界で最も厳しいといわれている。
その中で発生した今回の惨禍は、近い将来必ず検証されなければならない。しかしそれは今ではないだろう。
今は全勢力を集中して、被害の拡大を防ぐ時期である。
現場での危険な業務に当たっておられる皆さん。改めて頭が下がります。

先ずは自分の生命を第一に、その上でベストをつくしてください。

今回のこの大災害は、確かに天が我々に与え給もうた大いなる試練であるが、決して「天罰」などではない。

2011年3月14日月曜日

地震ⅳ

今日は地震の4日目です。

京都では、週が明けて通常の一週間が始まりました。
被災地ではそんなことも関係なく、厳しい状況が続いています。

福島原発など関東以東の発電所は軒並み操業を停止しており、深刻な電力不足が予想され、昨夜東京電力では、今日から計画停電に入ることを予告しておりました。

結果的に、今日に入って皆さんの節電が功を奏したことと、電力会社の懸命の努力のおかげで何とか停電を最小限にすることができたようです。

しかしながら、バカな(あえてバカと呼ばせていただきます)マスコミ達が、停電の計画が二転三転したことをあげつらい、電力会社の情報提供の不手際を避難しておりました。
素人であるまいし、このアクロバティックな電力供給にどれほど関係者の皆さんが努力をされているか分からないのか、エイデンを最小限に食い止めるためにどれほど努力をされているか、こんなバカな報道(と呼ぶに値しないが)しかできないマスコミ達よ、あなたたちこそ節電のために、輪番で放送を止めないか。

人の不安をあおることしかできないマスコミよ、消えろ。

2011年3月13日日曜日

地震ⅲ

国内観測史上最大マグニチュード9.0の大地震であったようです。

被害の程度は全く分かりません。

しかしながら、我々の想像を遙かに超える状況であることは間違いありません。

この時期、そうすることが当たり前のように、政府の対応を非難する声が上がります。

今必要なことは、そんなことではないでしょう。

そんなことをやっている場合でしょうか。

近代の日本人が遭遇したことがない災禍です。

私たち全員が心を一つにすべき時です。

全国のマスコミの皆さん、識者と呼ばれる皆さん、そして国政に責任を持つ皆さん、心を一つに致しましょう。

2011年3月12日土曜日

地震ⅱ

地震から一夜明けて、徐々にその被害が明らかになってきました。

朝から何度も流される津波の映像には、胸を締め付けられそうになります。

あの激流の中に、いったいどれほどの生命が飲み込まれていったのか。

のんびりと初春の日差しをひとときを楽しんでいた人もあったでしょう。幼い命もあったでしょう。家族や愛する人のことを心配しながらも、流れにとらえられてしまった人もあったでしょう。

今日、最も緊張感が高まったのは、福島第一原子力発電所での爆発でした。

マスコミは、私たちに正確な情報を伝えることを止めて、私たちの不安をあおることに専念していました。

まだまだ被害の全貌は明らかになっていません。

全てが明らかになるまで、さらに日数が係ることでしょう。

一日も早い復興を祈りたい。

2011年3月11日金曜日

地震

今日の午後、宮城県沖でマグニチュード8.8という前代未聞の大地震が発生しました。
京都市内でもその揺れを感じまして、震度計は3を指していたそうです。

震源地近くでは、震度7という強烈な揺れで、その揺れは数分間も続いたと言われています。

専門家によると、今回の震源地は太平洋プレートと北米プレートの境界で、その長さは数百キロに及ぶのではないかとも言われています。

今、この記事を書いている時点で、地震後既に7時間になろうとしているのですが、今も津波が太平洋岸を中心に襲い続けており、各地では火災も発生しているようで、被害の全貌は全く分かりません。

余震も頻発しているようで、自宅から避難している住民の方々は眠れぬ夜を過ごしていられることでしょう。
また、東北地方ででは、まだまだ気温は上がらず厳しい寒さに震えておられることでしょう。

心からお見舞い申し上げたいと思います。

2011年3月8日火曜日

感謝

今日は午前中お休みをいただいておりました。
今月引っ越す予定の新居の契約のためです。

住み替えについては長年の課題であったのですが、大きな病をしてから規定の年月が過ぎておらず、大きなローンを組むことができない状態が続いておりました。

しかし、昨年無事5年を経過し、大手を振ってローンを組むことができるようになり、ずっと懇意にしている不動産屋さんにお世話になって、今日の日を迎えることができました。

昨年の春から、結構綱渡りのように降り注ぐ困難や聞きをかいくぐって、何とかたどり着いて様な感じです。

今回も本当にたくさんの人に助けられました。

感謝感謝です。

2011年3月6日日曜日

外務大臣辞任??

今日は一日お天気がすぐれませんでした。夕方からは雨も降り出して、なかなか良いお天気は続かないようです。

ここのところずっと引っ越しモードに入っていて、周りの不要物を大量に処分し始めています。
一方で、新居の準備や、忘れかけていた父の通院に確定申告と休みの度に、大忙しの毎日です。

ところで、先ほどのニュースで日本の外務大臣が辞意を固めたという速報が入ってきました。
今の前原外務大臣は京都府の選出で、元府議会議員も務めておられましたが、もちろん、元民主党代表でもありますし、次の総理大臣の候補者でもありました。

今回の外国人献金問題については、私もこんな規定があることすら知りませんでした。野党の役員が辞任すべしと責め立てている様子もニュースで拝見しましたが、この規定って、どうなんでしょうか。規定そのものには若干違和感を覚えるのですが、決まりである以上しかたがないのですかねぇ。

それにしても、今の菅政権。とても、4月の統一地方選挙を戦えるような状況ではないように見えるのですが、どうするのでしょうか。

まさか、政権抛り出しなんてことはないでしょうね。ちゃんと責任は取ってくださいよ!

2011年3月5日土曜日

はやぶさ

今日、東北新幹線に新しい列車「はやぶさ」がデビューしたそうです。

かつては同名の列車が、東京と九州を結ぶ寝台特急として走っていましたが、今回は行く先を180度変換しての再デビューです。

その一番列車が、東京駅の出発前に(おそらく写真を撮るために)ホームが大混雑していて、先頭車両の前に男性が転落してしまい、列車の出発が遅れてしまったそうです。

そして、順調に走り出した列車が青森県内を走っているときに、今度は乗客が非常停止ボタンを押してしまって急停車。数分間遅れて新青森に到着したそうです。

最近、少しでも良いポジションで写真を撮ろうとする、エセ鉄道ファンの非常識ぶりが世間に大いに迷惑を掛けているようです。
そういった行為が、事故を招いたり、鉄道自身のイメージを損ねたりと、かえって迷惑を掛けてしまうことに気がつかないのでしょうか。

本当に好きなら、自分だけでなく周りの人たちにも鉄道を好きになってもられるような行動を取ってもらいたい藻だと熱望しています。

だって鉄道って、乗ってみればもちろん見ているだけでも本当に楽しいですから。

雪梅

昨日は時ならぬ雪になってしまいました。

昨年の日記を見てみますと、どうやら昨年のひな祭りにも雪が舞ったようです。

今日は、打って変わって全国的に快晴になりました。

この写真は、昨日の朝に撮った北野天満宮の梅苑の様子です。
さすがに、雪に震えているようです。

2011年3月3日木曜日

一見落着?

今日、仙台の予備校生が携帯電話を使った入学試験での不正行為により逮捕されました。

事件発覚以来、包囲網が狭まってくることを肌で感じ取っていたであろう彼のことを、少なからず心配していたので、無事確保されたという報を聞いて、ホッと致しておりました。

いったい、どうしてこのようなことをしてまで試験に臨もうとしたのか、正直理解不能です。
これから彼の口を通して語られるであろう「動機」については、おそらく我々には理解できないのではないかと危惧しています。
そして、「識者」と呼ばれる人たちのまことしやかな解説が巷にあふれるであろうことも予想できます。

今日も、とある通信社のホームページを見ていると、とある大学の大先生が「トンデモ」解説を載せておりました。きっとあんな大家の先生には理解できないだろうなぁ。残念だけど。

それにしても、今回はネットの掲示板を使用したことで「アシ」が付いてしまったわけですが、もしこれが掲示板を使わない、外部の一人の人間とのメールのやりとりだけで行われていたら、きっと分からなかったでしょう。

ということは、すでに行われている可能性も否定できないわけです。
世の中の入試関係者は、今一度「性善説」を捨てて、試験のやり方を抜本的に、見直す必要があるのではないでしょうか。

京都府警本部前です



少し分かりづらいですが、今日18時頃の京都府警本部前です。
全てのテレビ各社の中継車とテレビカメラが来ておりました。
おそらく例の京都大学での不正入試の件でしょう。

2011年3月2日水曜日

溜まった本を処分するには

先日から自宅で読み終わった本を何冊か職場へ持ち込んで、皆さんで分けて貰っています。
すでに第一弾の文庫小説、第二弾の新書を持ち込んでおります。

最近は小説の類を読むことが少なかったので、持ち込む本も新書が多くなるのですが、改めて焦点を絞りきれないほどの分野の多様さに呆れております。

どうも皆さんの興味を引くような本は少なかったようで、読まれない本達は寂しそうに眠っております。

最近では古本屋とかAmazonなどという新たな流通ルートも花盛りですが、私は本を捨てることができない性格とはいえ、金に換えるという方法も書籍を冒涜しているように感じる質なので、こうやって人に貰って貰うというのは嬉しいものです。

とはいえ、あまりに変わった分野の本が多いようで、これは悩みの種になっています。

しかしながら、それにもめげず近く第三弾を持ち込む予定にしております。

廃止


昔は何か買って欲しくて眺めていたものでした。
時の流れなのですね。

電車の中で何かを買うということが少なくなりました。
そういえば最近は新幹線の車内販売も減ってしまったような気がします。

2011年3月1日火曜日

山陰線

早いもので今日から3月になりました。

昔から、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と言われるように、この3ヶ月はあっという間に過ぎていきます。

例年この時期には、JRの大規模なダイヤ改正が実施されており、今年も3月12日の九州新幹線開通と併せて西日本を中心に大改正が予定されています。

以前にも書きましたが、北近畿地方では初めての専用新型電車のデビューが予定されております。
一方、北陸線では永年走り続けた「雷鳥」の引退も決まりました。
実は、この両者には浅からぬ因縁がございます。

北近畿の大動脈である山陰本線は、偉大なるローカル線と呼ばれているとおり、高速化の波からは遠く遅れておりました。
いわゆる「特急列車」というのが、ここに走り始めたのは、1972年からでした。そのときに使用されたのが、北陸線の完全電化で余ってしまった、「白鳥」のディーゼル車だったのです。
もちろんかなり使い込まれた列車でしたが、その後も1996年に山陰線が電化されまで長い間活躍してくれました。

電化後にデビューした電車特急に使われたのが、新型車両の導入で余ってしまった「雷鳥」の車両だったのです。
この電車達は、綺麗に塗装し直され使用されましたが、それでも所詮は中古車、あちらこちらにガタがきており、「偉大なるローカル線」の悲哀を感じていたものです。

今月からは、ようやく新型車両が投入されると言うことで、少なからず喜んでおりますが、昔ながらのディーゼルカーも今となっては懐かしい思い出です。