2010年6月30日水曜日

平成22年前半を振り返って

今日は6月30日、例によって一年の折り返しの日です。
昨夜はワールドカップサッカーの決勝トーナメント一回戦で、日本は大健闘したものの今大会初のPKで敗れてしまいました。
おそらく、誰もがテレビの前で手に汗握りつつ声援を送っていたことでしょう。

ところで、恒例により今年の前半を振り返ってみたいと思います。

前半の最大のできごとは、正月早々甥っ子を亡くしてしまったことです。しかも自ら命を絶ってしまうと言う衝撃でした。母親である姉の憔悴ぶりは目を覆うばかりでしたが、ようやく半年、少しは気持ちを落ち着いてくれたかと思っています。

上の娘がめでたく大学生になりました。残念ながら当初の第一希望校には入れませんでしたが、高校の担任のアドバイスもあって、何とか滑り込むことができました。電車で1時間と、若干遠いかなと心配していたのですが、幸い講義の履修方法によっては、9時過ぎに自宅を出れば余裕で間に合うことが判り、今は毎日楽しく通学しています。友人もたくさんできたようで、親としてはホッと一息です。

我が身に関しては、大きな変化はありませんでした。まぁ、変わらないことが何よりと言ってしまえばそれまでですが、数えてみれば私がこの組織で働くことができるのも残り約10年。10年後に向けて、どのようにライフプランを描いていくのか、真剣に考えなければいけないなと思う今日この頃です。

2010年6月22日火曜日

人事評価

昨日は夏至、一年でもっとも昼間の長い一日でした。
緯度の高いドイツでの夏至の思い出もあるのですが、それはまた次の機会にいたします。

さて、今日の午前中は昨年度の人事評価(自己評価)に対する、上司評価のフィードバックがあり、すべての職員に評価結果が通告されました。

現在はまだ試行テストの段階で、この結果が昇格や手当に反映されることはない(実は管理職についてはすでに反映されています。)ので、結果を聞いても、はぁそうですかと言ったところでした。

評価は、4段階(S、A、B、C)で下されるそうで、いわば優、良、可、不可で判定されます。

結果、本日私が頂いた評価は「B」=「可」でございました。

この結果については、試行段階とはいえ素直に受け止めるべきと思っているのですが、実はこの評価を与えてくれたのが、現在府庁の中での大きな事件を引き起こしたご本人にでありまして、それを考えると非常に複雑な思いをしております。

ある意味では、この評価は逆に誇っても良いのではないかと密かに思っています。

2010年6月20日日曜日

大揺れ

先週の京都府庁は、今春の知事選挙でにまつわるメール事件で、大揺れとなりました。

これは、時の府幹部が、選挙前の現職知事の街頭演説への積極的な対応を促すため、庁内のメールを使って、複数の管理職に依頼を発信したもので、それが一部のマスコミを通じて全国報道されたというものです。

専門家によると公職選挙法違反の疑いもあると言うことで、該当の幹部は降格され、実質的には自宅で謹慎中と報道されています。

実はこの幹部は、今春まで私の所属するグループの長であり、言うならば直属の上司となります。
なかなか頭の良い人で、ある種の馬力も備えた人でした。

そんな人が何故にこのようなことをしてしまったのか、私には理解に苦しむところです。
来週あけには、外部専門家による調査委員会が設置されると聞いています。
結果によっては、さらに大きな嵐になるのではないかと、危惧しています。

この事件自身が府民の信頼を裏切る行為であることはもちろんですが、一部のことで他の仲間全部が同様に見られてしまうと言うのも残念なことです。

2010年6月9日水曜日

ヒロシマ

今日、時事通信社のホームページを見ていて、次の様な記事を見つけた。
以下長いが、全文を引用させていただきます。
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◎被爆石、ポツダム到着=来月完成の記念碑に設置—ドイツ
 広島、長崎の原爆犠牲者を追悼する記念碑の設置計画が進むドイツ東部のポツダムに8日、記念碑に埋め込む被爆石が到着した。
 広島からは広島電鉄の路面電車の被爆した敷石、長崎からは爆心地近くの山王神社の庭園の石が提供された。記念碑には日英独の3カ国語で「核兵器のない世界を願って」との言葉を添える。
 原爆投下命令は1945年7月、米英とソ連がドイツの戦後処理を協議したポツダム会談の開催中に、当時のトルーマン米大統領に随行した陸軍幹部が米軍司令部に伝えた。
 記念碑は同大統領が滞在した邸宅前の「ヒロシマ広場」に設置。落成式は命令が出されてから65年となる7月25日に行われる。
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第二次世界大戦の戦後処理が話し合われたポツダム会議の会場としては、当時のベルリン近郊で奇跡的に破壊されずに残っていた「ツェツェリンホーフ宮殿」という屋敷が選ばれました。
現在は、宮殿内が公開されており、普通のホテルとしても利用されています。

米・英・ソ連の代表団は、当時の宮殿周辺に分かれて滞在していたようで、当時のトルーマン他アメリカ代表団が滞在していた屋敷は、リトル・ホワイトハウスとも呼ばれていました。
どうやら、その邸宅前の広場が「ヒロシマ広場」と呼ばれているようですね。たしか、ベルリン市内の現日本大使館の近くには「ヒロシマ通り」もあったはずです。

10年前、私がドイツに滞在していた頃、ドイツで最もよく知られている日本の都市は、�
東京、�広島、�長野(ちょうどオリンピックの頃でしたね)の順番で、京都の知名度は意外と低かったことを憶えています。

同じ敗戦国として、ドイツ人にとって「広島」というのは特別な意味を持った都市なのですね。

佐々木酒造

ハンチョー佐々木蔵之助さんの御実家ですね

2010年6月8日火曜日

若干うつかしら。

ここのところ根気が続かず、今ひとつ気合いが入らない日々が続いております。

昨年は狂ったように読んでいた本も今年は大きくペースダウンし、5ヶ月でようやく120冊というペ状況です。
傾向としては、フィクション特に小説が多くなり、あまり考えずに目で追っていけるような本が多くなりました。

私が目指そうとしていた読書スタイルは決してそのようなものではなく、物事を考えるための糧にしたいというのが本旨でしたから、大きく逸脱しております。
できれば早く気力を取り戻し、好きなことに邁進していきたいのですが、なかなかままならないものです。

何かうまい気分転換の方法はないものでしょうか。

2010年6月5日土曜日

政権交代完了?!

今日も暑いくらいの良い天気になりました。

昨日の国会で新しい首相に選出された菅直人氏は、週末にかけてじっくりと人事構想を練るとかで、新内閣の発足は8日くらいになるようです。

今日の朝日新聞の記事で気がつきましたが、1955年に自由民主党が誕生して以来、この政党と全く関係がない首相というのは実質初めてである。

過去に一度自民党が下野して政権交代されたことがあったが、そのときの首相は細川さん羽田さんという元自民とうの国会議員、鳩山さんもしかり、唯一の例外は社会党の村山富市氏だが、このときは自民党との連立政権であった。

今回の菅さんは、元市民運動家で、自民党に籍を置いたことのない久しぶりの首相と言うことになる。
さらに今回はもっとも自民党らしさを体現する小沢氏とも距離を置くことに決められたようである。
朝日新聞氏曰く、これで昨年の衆議院選挙で始まった政権交代が、実質完了したと言える。

過日も記したとおり、私自身は民主党の政治に大きな期待を寄せている。菅さんも市民運動家の頃から密かに注目していた政治家の一人である。旧来の弊害を打破して、新たな国作りに力を発揮してほしい。

2010年6月2日水曜日

参謀不在

今日、ついに鳩山首相が辞意を表明した。普天間問題の混乱の責任を取るためらしい。同時に次回の総選挙には出馬しないことも表明した。

巷間いろいろと言われているが、私自身も民主党政権に大きな期待をしていただけにとても残念な結果である。とはいえ、衆議院で多数を占める民主党の党首がそのまま首相に指名されるという構図は変わらないので、次の党首、首相には是非とも昨年熱狂した国民の期待を裏切らないでもらいたいものである。

そういえば、この9ヶ月間を振り返ってみても、鳩山さんが残した功績はそれほど思いつかないということに気がついた。

例えばこの間、政府の情報公開は別次元へ移ったかのように進んだ。我々が入手できる情報の量は、昨年に比べ、桁違いの量で増えている。
また、評価はいろいろある「事業仕分け」。税金の使われ方に国民の関心が向けられるようになった。
あるいは、沖縄の基地問題。沖縄県民以外のすべての国民が避けていた問題を白日の下に曝した。

と、これらはすべて民主党政権の成果なのである。鳩山首相がリーダーシップを発揮したものはほとんど無い。

しかしながら、かつての単純構造の世界とは違い、高度に複雑化した社会の中では、一人の強力なリーダーがリードしていくという構図は成立しにくい。
従って、どんな組織であっても強力なリーダーシップを発揮するためには、そのリーダーを支える参謀の存在が重要になってくる。

そういう意味では、今回の鳩山首相の迷走ぶりは首相を支えるべき参謀が居なかったと言うことができるのではないか。大きな期待をしていただけに、本当に残念である。