2011年8月31日水曜日

3人目の首相

今日で8月も終わります。

「政権交代」の狂乱から早や2年、あの熱もすっかり冷めてしまい、交代後早くも3人目となった首相選出の風景を前に、やり場のない「怒り」に身を焦がす毎日です。

期待が大きかっただけに、その後の迷走ぶりには大きく落胆させられました。

実現不可能となったマニフェストにこだわる闇将軍の暗躍。

国家の危機より自分の選挙を優先する小物政治家達。

現与党もましてや2年前に見限られた現野党も、いずれにも期待できないならば、私たちは一体どうすればよいのでしょうか。

これから取り得る選択肢には、一体どんなものがあるのでしょうか。

誰か教えてください。

2011年8月30日火曜日

韓国

今朝出がけに見たネットの天気予報には「猛暑」の二文字。
この文字を見ただけで、ドッと疲れが出てしまいます。

上の娘は昨日から韓国へ遊びに行っていますが、お天気はどうだろうかと心配しています。

施設に入っている父へのお土産に、たくさん写真を撮ってきてねと頼んでおいたのですが、どうでしょうか。

2泊3日の予定ですから、明日の夕方には帰ってきます。

まずは無事に帰ってきてくれることを祈っています。

2011年8月29日月曜日

夏休みの終わりに

今日から亀岡市内の小学校は新学期、娘の学校では1名の欠席者はあったものの、みんな元気で登校してきたそうです。

その夏休み最終日となった昨日の夜、そろそろ本でもう読んで眠ろうかと思っていたところへ、その娘が泣きながらやってきました。なだめながらよくよく聞いてみると、どうやら一つやり残した宿題があったようで、どうにも手に負えずすがりついてきたというところのようです。

「もうできなかったと先生に謝って許してもらい!」と言ったのですが、それはダメなようで、それならと2人して2時間以上かけて何とか形にしました。

最後は指にまめをこさえながら、やりきったようです。付き合わされたこちらもおかげで今日は一日眠くて、頭をぼうっとさせながら終日過ごしておりました。

一方大学生の長女は、まだまだ夏休みの真っ最中で、今日から友だちと2泊3日の韓国旅行へ旅立っていきました。

彼女にとっては、高校の修学旅行以来の海外旅行ですが、自力で行くのは初めてです。心配ではありますが、海外とはいえ今や安心していくことができる国なので、あまり心配はしていません。

せいぜいおいしいものでも食べて、楽しんできてくれれば良いなと思っています。

2011年8月28日日曜日

崩れ

作家幸田露伴の娘である幸田文氏が書かれた「崩れ」という本を読みました。

日本国内にある有数の土砂崩壊地を訪ね歩くという一風変わった随筆です。
先日読んだ畑村洋太郎氏の「未曾有と想定外」という新書に紹介されてのを縁に読んでみました。

日本には三大崩れという崩壊地があるようで、富士山の大沢崩れ、立山の鳶山崩れは私も知っていましたが、安倍川の大谷崩れは、今回初めて知りました。

地図や航空写真でみるとものすごい規模で、私の想像を絶する光景があります。
確かにこの風景を目の当たりにすると、身がすくみ恐ろしくなってしまうでしょう。

日本の川は短い距離で一気に高所から海へ注ぐため、非常に急流であり、何処もこの河川の水を如何に治めるかと言うことが、いつの時代にも治世者の課題でした。京都でも同様で、彼の後白河法皇が思い通りにならないものとして「鴨川の水」を挙げたことはよく知られています。

今からおよそ20年前私も砂防の仕事に短期間だけ携わったことがあります。

その当時の先輩に、全国にある「龍伝説」「大蛇伝説」の殆どは、土石流災害を後世に伝えたものであると教えられました。土石流が通った跡は、小石が転々と残されて、まるで龍や大蛇が通った跡のように見えたからだそうです。

土石流にしても津波や洪水にしても、襲われやすいところは決まっています。
その記憶を如何に世代を越えて後世に伝えていけるかということが生死の境を分けます。

今年の3月の震災でも、その知恵が幾人もの命を救いました。

2011年8月27日土曜日

夏のおもてなし

今日は暑い上に、終日気候が不安定で、何度も大粒の雨が降ったり、暑い日差しが照りつけたりという一日でした。

そんな中、今日は海外からとある要人が京都と訪問されており、そのおもてなしのため仕事に出ておりました。

まずまず喜んで帰っていただいたとは思うのですが、裏で走り回っていた我々は汗だくになって、スーツも絞れば水がしたたり落ちるのではないか、と思うぐらいぐっしょりとなってしまいました。

この天気、いつまで続くか判りませんが、早く涼しくなってくれないでしょうか。


さて、この写真は一体何処でしょうか!?
帰る途上で、次の要人のおもてなしの下見に行って参りました。



嵯峨野の野宮神社というお社で、黒い木をそのままに使った鳥居が特徴です。
縁結びの神様だそうで、たくさんの参拝客がひっきりなしでした。

また、中国語がたくさん聞こえてきたので、日本人だけでは無いのですね。

2011年8月26日金曜日

30年前の同級生達へ

先日からとても嬉しいことが続いています。

今年のお正月、高校を卒業して30年になることを記念して、同窓会が開かれました。
直前まで出席する予定だったのが、残念ながら出席することができず、とても後悔していたのですが、当時の仲間に近況を伝えるはがきを出したところ、相次いで返事のメールが届きました。

いやぁ懐かしかったです。

今では忘れてしまっているようなことを、書いてくれたメールもありましたし、なんと言っても一気に30年の時を遡って、語り合えることにとても感謝しています。

私と同じように大きな病気をした人もあり、紆余曲折を重ねた人もあるようです。

だれもが、平坦ではない道を歩んでいるようです。
そんなことを思い出させてくれるみんなに感謝です。

また会いたいものです。

2011年8月25日木曜日

天神さん

今朝通勤途上で、なにげに北野天満宮を通っていたら、今日は25日、「天神さん」の日でした。
8時頃には既に多くの露天が店をだしていまして、品物をのぞき込むお客さんもチラホラ散見しました。

境内へ続く参道脇は、お菓子やたこ焼きなどの定番品、境内から駐車場付近は古着、着物、そして神社の周りは怪しげな骨董品の数々。



さすがに写真を撮るのははばかられたのですが、中には何処で入手されたのか?と目を疑うような商品?もあちらこちらにあって、決して見飽きない風景です。


2011年8月24日水曜日

島田紳助氏引退?

昨夜遅く、タレントの島田紳助氏が芸能界を引退する旨の記者会見を開きました。
過去に暴力団と交際していたことを理由とするものですが、唐突な感は否めません。

何か、最近になって事件性のあるものが発覚しそうになったのか、という勘ぐりもあるようですが、どうも定かではありません。

一方、大阪では今年の秋の市長選挙に向け現大阪府知事の橋下さんが知事を辞めて市長選挙に出馬し、知事と市長のダブル選挙を目論んでいるとの専らの噂です。

ひょっとすると、橋下さんとは親しい島田氏のことなので、この選挙に向けて何らかの動きを見せようとしていたのではないか、などと妄想をたくましくしております。

いつか真相が明らかになるときがくるのか、それもとこのまま島田氏も本当に我々の目の前から消えてしまうのか、はたまたあっと驚くようなどんでん返しが見られるのか。

野次馬の興味は尽きません。

2011年8月22日月曜日

ちょっとイライラ

先週までの暑さも何処へやら、今日はひんやりとする朝を迎えました。
気がつけば来週には8月が終わり、9月になってしまいます。

私が今、主に携わっている仕事も、10月に佳境を迎えます。
そのためには、9月には今まで以上に準備に精を出さなければなりません。

正直、不安であったり、恐怖を感じることもあります。
上手くやりきることができるだろうか。
失敗したらどうしようか。

元来臆病なたちですから、なかなか吹っ切ることができません。

そうやってる間に時間だけが過ぎていく。

自分の中で火を付ける何かが必要だと判っているのですが。
それがいったい何なのか、見つけることができません。

ちょっと、イライラしています。

2011年8月21日日曜日

JR亀岡駅

今日は懐かしい写真をupさせてもらいます。

今から7年前の年末に撮った写真です。
先代の亀岡駅前の写真で、この写真を撮った半年後には建て替えのため撤去されました。
駅前には、立ち食いそば屋と小さな喫茶コーナーがあって、小汚いけど風情のある駅でした。

今の駅は綺麗だけれど、何か冷たさを感じますよね。



こんな風景も今は懐かしいです。


2011年8月20日土曜日

崇神天皇社・出雲大神宮

今日は久しぶりにカメラを持って、ぶらりと出かけました。
途中から雨が降ってきたので、急ぎ足でしたが、亀岡市の千歳町にある出雲大神宮へ出かけてきました。



丹波地方の一の宮としてまつられている出雲神社ですが、こちらもやはり大国主命をお祭りしており、縁結びの神様という重役を担っておられます。

一方で、この神社でわき出る清水が有名で、結構遠くから汲みにやってくる人がたくさんおられるようです。
最近では、容器に入れやすいように工夫もされてるようで、今日も雨の中大きなポリ容器を抱えた方が何組かおられました。



今日まで気がつかなかったのですが、摂社としていくつかの小宮さんが祀られているのですが、その中に「崇神天皇社」という珍しい祠を見つけました。
祭神がそのまま社の名前になっているのも珍しいのですが、この社名も不勉強にして聞いたことがありません。

崇神天皇と言えば、歴史上実在が確実視される最古の天皇です。

鬱蒼と茂った森の中にあって、何とはなく荘厳な雰囲気でした。





2011年8月19日金曜日

スマートフォン

先日携帯電話が古くなったので、ついにスマートフォンに変えました。
我が家はずっとauなので、今回もiPHONEではなくandroid端末です。

よく言われるように、これは携帯電話ではなく、小型のPCに電話機能がついたもの、と考えたほうがよいようです。
とはいえ、文字入力のためのインターフェイスがイマイチなので、サイトの閲覧のほうが得意と言えるでしょう。

残念ながら、画面が小さいのでだんだん視力が弱ってきた身としては、小さな文字を見るのはかなりつらい。

機能を全て使いこなすには、まだまだ修行が必要ですが、まぁ何とか無駄にはならないようにしたいと思います。

それにしても難しい。

2011年8月17日水曜日

中国人留学生の7割「帰国せず」

中国人留学生の7割「帰国せず」という中国発のニュースを見ました。

これは以前京都へ来ている留学生たちから聞いたこととも符合しており、中国国内よりも海外のほうが成功の確率が高いと考えているのでしょうか。

そういえば、ずっと昔から中国の人たちは海外へ出ることに抵抗が少なく、東南アジアの各国では中国系の人たちを数多く見ることができます。所謂華僑と呼ばれる方々でしょうか。

さらに遠く欧米においても、どんな田舎町へ行っても中国人が経営する中華料理店があって、食べるものに困ったら飛び込んだものでした。

今もやはり世界を股に掛けて活躍しようというバイタリティの現れかと思います。

翻って、日本人の海外進出はどうかと言えばお寒い限り。

一部には決して嘆くほどのことはないという擁護の声も聞こえますが、この実態を見ているととてもそんな暢気なことを言っている場合ではないでしょう。

少年少女よ遙かなる大志を抱け!

2011年8月16日火曜日

平安京遷都

「平安京遷都」という新書を読みました。

タイトルはお堅い本ですが、古代史を概観的にまとめた判りやすい本となっています。
既に5冊目なのですが、タイトルに惹かれてこの本だけを買ってきました。

平安京に都がおかれた8世紀末から10世紀頃までをテーマとしていますが、ちょうどこの時代は国家としての正史が編まれなかった時代と重なっており、正確な記録がないようです。

その中にあっても、仮名文字の成立など現代社会の基礎となる事柄が成立したのもこの頃です。

また、先の東日本大震災で改めて語られることの多い、貞観地震もちょうどこの頃です。
そして、気味の悪いことに富士山の大噴火、貞観地震、東南海地震と大きな自然災害が相次いで発生したのもこの頃だったようです。
おそらく、想像を絶する恐怖だったことでしょう。

今、毎日通勤途中でかつての平安宮大極殿跡を横切るように通りながら、その頃の人や社会の営みに思いをはせています。

2011年8月15日月曜日

中国鉄道省がトリプルAだって!?

中国鉄道省がトリプルAという笑えるニュースが入ってきました。

もはやこうなってくるとブラックジョークを通り越して、まさに“イタイ”ニュースとしか思えません。

きっと彼の国の愛国者たちが、一生懸命考えて格付けしたんでしょうが。
こんな格付け会社を信用する投資家がいるんでしょうか?
いくら何でもやり過ぎだと思いませんか。

2011年8月14日日曜日

50年前の昨日8月13日、今のドイツ連邦共和国の首都であるベルリン市に、東西を分断する壁が築かれました。

私の生まれる半年前です。

以前にも書いたことがありますが、私がベルリンに駐在していた頃は、既に壁が無くなって10年がたった頃で、街中には殆どその痕跡はなく、郊外に若干保存されているくらいでした。

確か築かれたときの全長は160kmくらいだったと記憶していますが、現在残っているのはその1%位だったと思います。

ベルリンを離れる直前に、壁があった跡を数キロほど丹念に歩いたことがあるのですが、全く人が住んでいないような原野にまで、壁が立てられていたようです。

今考えると本当に愚かな構造物ですが、当時はまさに東ドイツを始めとする東側諸国と西側諸国の存亡を書けた戦いの象徴だったのでしょう。

2011年8月13日土曜日

盆帰り

昨日帰ってきたら、自宅のネットワークが壊れてしまっていて、ブログの更新ができませんでした。
今日は無事復活して、こうやって書くことができます。

さて、今日は父と一緒に生家へ墓参りに行って参りました。
生家へ行くのは昨年のお盆以来ですから、ちょうど1年ぶりです。

去年も暑かったですが、今年もトンデモない暑さで、ミネラルウォーターを何本も空にしながらの道中でした。

我が家への道も一年ぶりに通った訳ですが、昔あった建物が無くなっていたり、少ないながら新しい建物も建っていたりして、改めて感慨を深くしておりました。

さらに、我が家周辺での変化を二つ。




これは、我が家への進入路にあったものです。
昔、この地域指定の業務をやっていたことがあります。
いやぁ、懐かしいなぁ。







さらに、この柵!
田んぼの周りに張り巡らされているのですが、
これはいったい何の対策か!
誰か教えてください。

2011年8月11日木曜日

「殿」と「様」

先日、外山 滋比古さんの「山茶花はなぜサザンカか」という本を読んでいたところ、私が全く知らなかった事実に当たり、驚いてここに投稿いたします。

皆さんは「殿」と「様」の使い分けについてご存じですか?

昔、京都府を含む行政から出る文書の宛名には「殿」を使うことが一般的でしたが、現在では「様」に変わってきました。
これは、「殿」が「堅苦しい表現」だからだと勝手に信じていたのですが、どうやら元々「殿」というのは、目上の者から目下の者に使う表現であったそうです。

親から子に「殿」を使うのはOKで「様」は使わない。
子から親には「殿」ではなく「様」を使うのだそうです。

何か、「殿」のほうが尊敬の念を含んでそうな感じがするのですが、ちょいと意外じゃありませんか?

2011年8月10日水曜日

ツイッターとコンプライアンス

今日、嵐の桜井君が宿泊していたホテルの従業員が、宿泊客のプライバシーに関することをTwitterに投稿し、あちらこちらに大問題を発生させるという事件がありました。

さらに別のホテルでは、レストランの従業員がそこに来ていた有名人カップルについて、実況中継を続けるという事件もあったようです。

いずれも、本来最大限注意を払わなければいけない顧客のプライバシーに関する事柄を、仕事中に第三者へ暴露するというとんでもない事件であります。

現在、そのホテルへは外部からの苦情が殺到し、くだんの従業員とは連絡が取れない状態とも言われています。

別に自分でわざわざ苦情を申し立てる気はありませんが、とてもそのような施設を信用して利用しようという気にならないことは言うまでもありません。

彼らは正社員であったのかそれともパートやアルバイトだったのかは判りませんが、そのことがどれだけその会社の社会的信用に傷を付ける行為であるかと言うことに思い至らなかったのでしょうか。
残念ながら、いかにもお粗末としか言いようのない出来事でした。

2011年8月9日火曜日

未曾有と想定外

未曾有と想定外」という本を読みました。

失敗学の大家である畑村洋太郎氏が東日本大震災後について、福島原発の事故調査委員会の委員長に就任されたことから、それまでに集めた資料を整理して書かれた物です。

地震以降、毎日のように聞かされた「未曾有」あるいは「想定外」という言葉について、冷静に振り返ってみて本当に「未曾有の大惨事」であったのか、「想定外の大事故」であったのかを丁寧に解析していきます。

「天災は忘れた頃にやってくる」というのは明治の文学者「寺田寅彦」の言葉だそうですが、過去の大災害の被害を忘れ、その後のハード対策への過信が今回の大災害の一因ではないかとも書かれています。
死者にむち打つようで、実際にはもっと丁寧な分析が必要かとも思いますが、ほぼ正鵠を得た指摘かと思います。

また「原子力発電所の想定外の大惨事」については、「想定内の出来事」でありながら「見なかったふり」をしてきたことが引き起こしたと一刀両断です。

今後、この事故についてはさらに詳しい調査が進むことと思いますが、私たちが安全にこの技術を使えるようにできるよう、さらなるイノベーションを臨みます。

2011年8月7日日曜日

被災マツ「送り火」に使われず

今日は亀岡の花火大会でした。
京都府内では宇治川と並ぶ規模の大きな花火大会です。

今年からは、下の娘の部屋から見られるとあって、家族みんなが部屋に押しかけ、花火見物をしておりました。

会場までは2km近くあるので、花火が見えてから数秒後にド~ンという音がするのですが、それでもかなりの迫力でした。

さて、今日の朝日新聞で「被災マツ、「送り火」に使われず 鎮魂の思い書かれた薪」という記事を見つけました。

反対の電話を掛けてきた人たちというのは、どういう人たちなのでしょうか。

せっかく、鎮魂の思いを込めて託された「薪」が、京都市民に拒否されたと聞いた被災者の方々の気持ちを思いやると、とても平静で入られません。

全く放射能の影響を受けていないことが明らかであるにもかかわらず、その持ち込みを拒否するという考えはいったいどこから来るものなのでしょうか。

私には全く理解できません。

「五山の送り火」は亡くなった死者の魂を鎮めるためのものであったはずが、今やその使命を忘れ、夏の観光行事になってしまったということなんでしょうか。

2011年8月6日土曜日

国際交流の日

昨日は京都市内のインドネシア料理のお店で大勢の仲間と夕食をいただきました。
先月から、毎月最終金曜日を「国際交流の日」と名付け、各国の料理を食べ歩くことになりました。

昨日はその第2回目ということで、インドネシアから来られた留学生の方を交えての楽しいひとときでした。
料理はおいしかったのですが、なぜか出てくるのがとてもゆっくりで、最初に何を頼んだのかさっぱり憶えていなくて、帰るタイミングをすっかり失してしまいました。

あんまり知らなかったのですが、京都市内にもインドネシア料理のお店は結構あるようですが、昨日行ったお店はその留学生のお薦めのお店で、確かにおいしゅうございました。

来月はタイ料理だそうです。

ついついアジアエスニック系へ行ってしまうようですが、そのうち何とか方向転換をしていきたいと思っております。

2011年8月5日金曜日

2011年8月4日木曜日

試験点灯



節電も確かに大事なのですが、心に潤いをもたらす営みも必要です。
「京の七夕」は今週末からです。

府庁前

音が聞こえないのか残念です。
ものすごいセミの声!

2011年8月3日水曜日

モンペリエ

今日の夕方、神戸市の松陰女学院大学の近くまで行って参りました。

フランスはモンペリエから同大学の夏期フランス語講座の講師として来られた先生に会いに行って参りました。
以前から京都におられる先生にお願いしていたもので、今朝フランスから到着されたばかりで、大変お疲れの所、小一時間ばかりモンペリエのお話を伺っておりました。

フランス南部にあるモンペリエは、大学都市として名高く、特に医学部はヨーロッパでも3本の指に数えられるほど有名だそうで、ガンの研究所は特に権威があるそうです。

今年の秋には、このモンペリエへ京都府からミッションを派遣する予定で、ひょっとすると私もその一員として参加できるかもしれません。

いろいろな方に話を聞けば聞くほど、すてきな街のようで、モチベーションも上がって参ります。

このミッションでは、単に訪問するだけでなく、大学間の交流や経済交流など、双方にとって意義のある交流の芽を探し育てることに主眼をおいていますので、かなり厳しい使命を帯びていくことになりそうです。

それだけにやりがいもありますが、何とか良い結果をもたらしたいものです。

2011年8月2日火曜日

夏が来れば思い出す

7年前の2004年8月2日は月曜日でした。

直前の週末に左奥の親知らずが急に痛み出して、パンパンに腫れ上がってしまい、慌てて歯科医の診察を受けました。しばらく診察した後、歯科ではなく口腔外科医を紹介され、すぐに受診。しかしながら、そこでも治療に至るまでもなく、京都大学医学部付属病院を紹介されることになり、受診いたしました。

京大病院では、取りあえず組織をとって検査してもらい、数日後に検査結果を聞きに参りました。

そこで聞かされた結果が、思いもよらぬ「口腔内腫瘍」という病気でした。
まぁ、生体検査に回された時点で何となく想像していたのですが、改めて少なからぬショックを受けたものでした。

まぁ、ここが所謂「ガン宣告」というとてもセンシティブな場面なのですが、私の場合は、言葉を探す医者に私の方から「ガンですか?」と尋ねたので、先生から聞かされたわけではありませんでした。

当時は、仕事もめちゃくちゃ忙しくて、毎日山のような業務に追いまくられ、とても疲労感を感じていたのを思い出します。思えばあれが、病気による体からのSOSだったのでしょう。

この後、翌年にも同じ目に遭うのですが、それ以来無事に夏を越すことが、私にとってはとても重大な仕事であって、今年も何とか無事に越せるのではないかと、期待をしているところです。

とにかくこの病気、最大の敵は「ストレスによる免疫力低下」なのです。
貯めないように、流すように。。

これが私のモットーです。

京の七夕?

その2

名前は後で調べます

通勤途上にて

2011年8月1日月曜日

八朔

今日は八朔、京都の花街では芸妓や舞妓がお茶屋や芸事の師匠の所へあいさつに回る習わしになっています。
市内の花街では、その姿をカメラに収めようと、たくさんのプロ、アマのカメラマンが現れたようです。

今月は、京都では暑さのため観光客が最も少なくなる季節です。
この季節により多くの観光客の方々にお越しいただくよう、昨年から「京の七夕」という新しいイベントも始まりました。

今週末からのスタートです。お天気に恵まれ、たくさんの方にお越しいただくこと祈っています。

京の七夕

ただ今準備中です。