2012年1月9日月曜日

成人の日に

今日は1月の第二月曜日、成人の日です。
昔は1月15日と決まっていたのですが、いつの間にかわざわざこの日に設定されています。 

我が家の長女も1991年生まれなので、今日が成人式でしたが、そんな式なんかツマランと、友達と遊びに行ってしまいました。 そういえば自分も約30年前にこの日を迎えたはずですが、当時は高松で学生生活を送っており、こんな式典に出席することなんか、これっぽっちも考えませんでした。

ところで、今日の朝日新聞の天声人語と社説ではそろって、このテーマを取り上げています。 それぞれから、少し引用させてもらいます。 
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『天声人語』から
▼わが高校時代の天声人語を読んでみても、随分な言われようだ。「歩く鍛錬が少ないから体中の筋肉がゆるみ、電車の中でだらんと足を投げ出す」「学校と自宅という線を結んだ受験勉強以外に手ごたえのある現実が乏しい」▼まだまだある。「大時代的な大志は少なくなったが、志まで薄れて『先は見えているんだ』などと分かった風なことをいう」――。40年近くも前なのに、今朝の記事から抜いてきたようだ。これは悲劇なのか、喜劇というべきか。
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『社説~成人の日に 尾崎豊を知っているか』から
20代の7割が現在の生活に満足している、との調査結果を紹介している。過去40年で最高だ。
将来の希望が見えないなか、未来を探すより、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。
なるほどね。いくら「若者よもっと怒れ」と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ……。
でも、言わせてもらう。
私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。
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「最近の若い者は」という言われ様は、古代ギリシャの時代から使われていたことだそうで、若者たちは常に社会のセインパイから、歯がゆく、危うく見られる運命にあります。
かつて親父たちがそうであったように。そうでなければ、親父たちのアイデンティティが保てないから。 

さらに、親父の意見と若者たちの意見が衝突するとき、ほとんどの場合、若者たちの意見が正しい。悔しいけれど、親父たちはそのことを十分すぎるくらいよく知っている。かつて、自分が通った道だから。

私の人生は、良くてあと30年。娘たちはさらに30年以上の長い人生を歩みます。 
その人生が、楽しく、悔いのないものであることを、祈ってやまない。

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