2011年8月7日日曜日

被災マツ「送り火」に使われず

今日は亀岡の花火大会でした。
京都府内では宇治川と並ぶ規模の大きな花火大会です。

今年からは、下の娘の部屋から見られるとあって、家族みんなが部屋に押しかけ、花火見物をしておりました。

会場までは2km近くあるので、花火が見えてから数秒後にド~ンという音がするのですが、それでもかなりの迫力でした。

さて、今日の朝日新聞で「被災マツ、「送り火」に使われず 鎮魂の思い書かれた薪」という記事を見つけました。

反対の電話を掛けてきた人たちというのは、どういう人たちなのでしょうか。

せっかく、鎮魂の思いを込めて託された「薪」が、京都市民に拒否されたと聞いた被災者の方々の気持ちを思いやると、とても平静で入られません。

全く放射能の影響を受けていないことが明らかであるにもかかわらず、その持ち込みを拒否するという考えはいったいどこから来るものなのでしょうか。

私には全く理解できません。

「五山の送り火」は亡くなった死者の魂を鎮めるためのものであったはずが、今やその使命を忘れ、夏の観光行事になってしまったということなんでしょうか。

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