2011年12月5日月曜日

天橋立・舞鶴の大津波は史実か


先日見つけた京都新聞Web版の記事です。

これまで、日本海側では津波の被害は記録されていないとされていたものが、その歴史を見直す必要が出てきたということのようです。

1000年に一度の可能性があるとすれば、その一度は明日かもしれない。ということはつい先日我々が身をもって体験したことです。

おそらく、全国各地で同様の記録の掘り起こしが進んでいることと思います。
どれほど悲惨な出来事でも、1000年を越えてその記憶を伝承することは難しい。

—天橋立・舞鶴の大津波は史実か 府、国に調査要請—
【 2011年12月03日 12時17分 】

京都府北部に残る津波の言い伝えは真実なのか−。府が津波被害を記した文献を調査したところ、天橋立(宮津市)近くにある標高約40メートルの「波せき地蔵」に津波が押し寄せたという伝承や、舞鶴市で家屋被害が出たとの史料が残っていることが分かり、国に若狭湾の津波調査を求めている。真偽を確かめ、防災計画の見直しにつなげる。

日本海側では活断層規模が太平洋側より小さく、大津波は起こりにくいとされてきた。しかし、5月に吉田神社(京都市左京区)の神主が残した「兼見卿記(かねみきょうき)」で、若狭湾に大津波が押し寄せたとの記述が残っていたことが明らかになり、関西電力が調査を開始した。これを受け、府も市町村や府立大などに文献や伝承がないか調査を依頼していた。

その結果、宮津市の真名井神社にある波せき地蔵に「大宝年間(約1300年前)の大津波を、ここで切り返した」との伝承が残り、江戸時代にまとめられた「丹後風土記残欠」でもほぼ同時期、大地震で舞鶴沖の島が海中に没したとの記述があった。「舞鶴市史」でも1741年、大浦半島の28軒が津波で壊れたと記されていた。

1983年の日本海中部地震の時、宮津市で96センチの津波を観測したのが近年では最も大きく、津波被害はほとんどない。府の被害想定では、宮津市で津波は最大80センチだが、波せき地蔵は沿岸から約500メートル、標高約40メートルの地にある。

伝承や文献が事実なら大幅に計画を見直さなければならず、国に対し若狭湾の海底活断層の有
無など調査を求めている。

府は「文献や伝承の真偽は不明だが、東日本大震災では想定外の大津波が来た。国に科学的に分析してほしい」とする、真名井神社を管理する籠神社の海部光彦宮司は「地蔵の伝承は地元漁師の間で古くから言い伝えられ、1メートル程度の津波では済まない。しっかり調べてほしい」と話している。

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