2008年12月3日水曜日

裁判員制度

先日来話題になっております「裁判員制度」について、思うところを記したいと思います。

新聞紙上などで読む限り、通知を受けた方の多くは冷静に受け止めておられるようであるが、中には数件の苦情、或いは個人的な理由による辞退の申し出なども相次いでいるようである。とある雑誌などは(店頭広告を見ただけですが、、)「裁判員を辞退するための”言い訳”方法」などと銘打って、あたかも引き受けるのが「お人好し」であるかのような取り扱いをしている。

こういった「人を裁くこと」については、それぞれ思想信条もあるかと思うが、何故にこのような制度が設けられたのかということもじっくりと考えて欲しい。
よく知られているように、海外には「陪審員制度(特にアメリカの制度が有名ですが)」というものがあり、いわゆる「一般市民」が裁判にかかわること普通に考えている国もあります。

元々裁判というのは、時の権力者が自らが作った法令を守らせるために行われたもので、いわゆる「司法・立法・行政」の三権が同一の権限者によって行使されると言うことが当然とされておりました。そして、その後の市民革命によってようやく我々は、司法と立法の権限を行政者から剥奪することができたのです。
それぞれの権限をしかるべく代理人に権限を委譲して、執行させているというのが、我々が暮らす現代社会なのである。

ところが、いつの間にかこの三権が渾然一体となり、どう考えても不当と考えられるような司法判断が下されるケースがありませんか?そこで、法の見張り番として我々市民が直接チェックしようというのが、この裁判員制度の狙いではないでしょうか。

街頭の声を聞くと、「国の責任の放棄」「人を裁くのは嫌だ」などという意見が多いようである。
しかしながら、本当の正義を実行するために我々『市民』が立ち上がることは、決して『面倒くさい』で済ませられることではない。

0 件のコメント: