2009年1月31日土曜日

宝ヶ池


昨日は一日「知的財産」のシンポジウムで、宝ヶ池の国際会館へ行っておりました。
国際会館へ行くのは一年半ぶりくらいで、都会の雑踏を離れた本当に静かなところです。

シンポジウムそのものは、かなり専門的なもので、素人の私にはかなり難解でしたが、何か今後の産業振興にに生かせればと思っております。
経済状況が冷え込んでいる今こそ、技術で生きている企業にとって、知的財産というのはまさに生命線です。その戦略的な活用は今後の生き残りに欠かせません。

それにしても難しかった。。。

2009年1月29日木曜日

朝日新聞阪神支局襲撃事件の真相は

今朝の新聞各紙の広告欄で、今日発売になった週刊新潮のど派手な広告が目を引いた。

今を去ること20数年前の朝日新聞阪神支局の襲撃犯人による実名入り手記掲載という内容である。実は早速出勤時の駅売店で買い求めて、行きの電車の中でそこの記事だけを読んでみた。

正直な感想を言うと、本当かなと思う気持ちが1割ぐらいと本当かもという気持ちが2割ぐらい。そしてあまりな勝手な言い分に怒りが7割という感じであった。

この手記に書かれていることが本当かどうかを確かめるすべはほとんどないし、この卑劣非道な犯罪を裁くすべも残されていない。

願わくは、来週に発売される続編で明かされる予定(と書かれている)の、犯行を命じた黒幕の暴露を待ち、その人物に何とか社会的な制裁を加えられることを望むばかりである。

2009年1月28日水曜日

40万人ショック

昨日の報道で、今年3月末までに40万人に及ぶ派遣請負労働者が、職を失う見込であるということが明らかにされた。
もちろん推測の域を出ないものであるが、それほど大はずれの数字ではないと思われる。国内で働く全労働者数がおよそ6300万人であるから、それだけで失業率を1%近く押し上げる要因になる。

この上に、国内で働く外国人労働者(合法・不法を含む)が100万人といわれており、その多くが、雇用の調整弁として解雇されるであろう事は眼に見えている。

図らずも、今日から京都府庁の正門前で150名の建設労働者のみなさんが、仕事を求めて座り込みを始められたそうである。かつては、公共事業による雇用創出事業なども行われたが、昨今の事業抑制政策路線も相俟って、非常に厳しい状況におかれていることであろう。

ただ単にお金をばらまくだけでなく、ただ単に当座の雇用を作り出すだけではなく、何か他に行政の力でできることはないのだろうか。

悶悶とした日々が続きます。

2009年1月27日火曜日

人生ってやつは、、、

怒濤のような週末が終わって2日が過ぎ、少しばかり落ち着いて参りました。

日曜日に父の引っ越し(結局一日で3往復しました)が終わり、今日も先ほど様子を見に行ってきました。当然のことながら、まだまだなれるところまではいかないようで、生活の形を作るのが精一杯という感じでしょうか。

しかしながら、寂しさは隠せないようで、顔を見に行くと本当にうれしそうな表情を見せてくれました。
先日までは、とりあえず家族みんなを囲んでの夕食であったものが、昨日からは知らない人の中に混じって、食べるわけで、それは心細いことであろう。聞いているこちらの胸も痛むばかりである。

父がいなくなって、これからの父と私のつきあい方をどうすればよいのか、父の孤独感をいかにかんっじさせないようにしていけばよいのか、親子関係のあり方を考えているとき、もう一つの親子関係について、痛切に感じる出来事がありました。

もう一つの親子関係、私と娘達の関係です。上の娘は高校生なので、親父なんて鬱陶しいだけでしょうが、下の娘はまだ小学生で、父がいなくなってからというもの、べったりとまとわりつくように甘えてきます。

どうも父がいた間は、私が父にかかりきりになってしまうのがおもしろくなかったらしく、今ではその分をそり戻そうとするように甘えてきます。
こちらは、全くそんなつもりはなかったのですが、彼女としては寂しく感じていたのでしょう。

当然のことながら、私にとってどちらがより大事ということはありませんが、考えさせられる出来事でした。

なんだこれは?

先日、下の娘に「お父さん!タンポポ畑にスゴいモンが落ちてる!!」
と言われ、近所の広場(我が家の通称「タンポポ畑」)へ行ってきました。

これがその「スゴいモン!!」です。



直径およそ1メートル。10日間以上雨ざらしです。

2009年1月24日土曜日

寒さひとしお

今日は、亀岡市内でも小雪がちらつくなど、大変寒い一日となりました。

そんな中、先日来の懸案となっていた父の施設入居の準備に走り回っておりました。
紆余曲折はあったものの、明日には入居できることになって、いろいろと買いそろえなければいけない物があったです。

入居する先は、ケアハウスと呼ばれる施設で、基本的には入居者が自立して生活できることが要件で、食事付きの高齢者マンションといった感じの施設です。

建物はまだまだ新しく、室内もきれいなものです。各室とも冷房完備で、トイレも中についています。食堂・大浴場が一階にしかないので、そこまでは移動しなければならず、郵便ポストも玄関に一カ所なので、いやでも毎日一階のホールまで、最低3回は歩いていかなければなりません。

一緒に住んでいると、どうしても歩くことが億劫になるようで、冬場は自室からトイレ・食堂までの往復10mくらいしか移動することがありません。

それを考えると、今回の入居は、父にとっても良かったのではないか、と自分に言い聞かせています。
明日には、父を連れて施設へ向かうわけですが、せめて頻繁に顔を見に行きたいと思っています。

2009年1月21日水曜日

太宰と清張

今年は、太宰治と松本清張の生誕100年だそうである。
この二人が同い年というのは驚きであるが、作風も全く違い、松本清張のデビューが太宰治の死亡後ということであるから、両者につながりが見いだせないというのも宜なるかなというところである。

太宰治の作品は昨年表紙がリニューアルされて書店に山積みになっていたが、昔に何冊か読んだ記憶があるだけで、実はあまりじっくりと読んだことがない。

一方、松本清張は高校生時代に狂ったように読んだ時期があって、「ゼロの焦点」「点と線」「砂の器」などが特にお気に入りで、この三冊は何度も読み返した記憶がある。
ストーリー的には、「偶然」とか「たまたま」という言葉が随所に見られ、「どやねん!」と突っ込みを入れたくなるようなご都合主義的な展開もあったが、社会派と言われるとおり、政治や社会の暗闇を描く筆致は小気味よいものがあった。
また、彼が書く歴史小説もなかなか面白く、ほとんどが短編であるがこれもまた何度も読み返した記憶がある。
先日、清張の全集から短編集を図書館で借りてきたので、また久しぶりに清張ワールドに浸ってみたいと考えている。

2009年1月20日火曜日

常用漢字

先日、新しい「新常用漢字表」の試案が公表され、今春から意見聴取をした後、来年には正式決定されるそうである。

今回話題になったのは、「熊」「阪」「茨」などのように府県名として広く一般に使われているものが、やっと常用漢字として採用されることになったというニュースでした。これまで常用漢字ではなかったということの方が不思議なほどで、他にもまだまだあるのではないかと思わせる。

などと、他人事のように考えながら一覧表を眺めていたら、今の私の住まいである「亀」岡と同じく私の生まれた舞「鶴」も今回採用されることになったようで、改めてこの制度の不合理さを認識してしまった。

ところで、ここまで読んで頂くとお気づきのとおり、これで「鶴」「亀」が揃ったわけですね。私も始めてこの偶然に気づきまして、不合理さを感じながらも新年早々(でもないですが)非常に良い気分になりました。

今年はきっと良いことがあるという、吉兆に思えたのは私だけでしょうか。

2009年1月19日月曜日

2009年1月17日土曜日

阪神・淡路大震災

今日は1月17日、1995年にあった阪神・淡路大震災からちょうど14年を迎える。
毎年のように大きな地震に見舞われる地震国日本であるが、「震災」と呼ばれるのは、関東大震災とこの阪神・淡路大震災のみである。
それほど我々には大きな恐怖の記憶として刷り込まれている。

今、この日のことを思い出してみると、当時は府南部の宇治市に住んでいた頃で、地震の発生した5時47分というと普段なら目覚める直前の時間帯である。その前後はずっと深夜までの勤務が続いていた頃で、前夜の帰宅時刻も遅かった。

しかしながら、その日に限って何故その時間に目が覚めていたのか、今となっては思い出せない。
ただ、地震が始まる前のゴゥという地鳴り、揺れ始めたときは布団の上で体を起こしていたことは覚えている。宇治市内も震度5以上の揺れがあったはずであるが、軽量鉄骨造りのアパートではほとんど被害がなく、物が落ちて割れたり怪我をしたりということもなかった。

そのときすぐに、実家へ電話して双方の安否を確認したので、その後の電話の不通騒ぎに巻き込まれることはなかった。この震災を教訓に、緊急参集など防災体制がひかれることになったが、当時はそういったこともなく、何故か何事もなかったかのように動いている近鉄電車に乗って、ほぼ定時に勤務先に着くことができた。

ところが、その頃所属していた部署で、その日公共交通機関を使って出勤できたのは私一人で、近くの人や自転車・バイク通勤の人達以外は職場へ到達することができなかった。また電話もすべて不通で、職員の安否確認すらできない状況であった。

結局その日、どのような仕事をして帰ったかは覚えていない。組織だった被災地への救援が始まったのはその翌日ではなかったかと思う。今も決してその復興は完全には終わっていないということを思うと、まだまだ忘れてはいけない記憶である。

この年、震災の恐怖冷めやらぬ頃、東京でオウム・サリン事件が発生し、「安心・安全」ということがこの年のキーワードとなった。
「安全」はある種のハード対策で、投資に対する効果は持続し、判定も比較的容易である。一方、「安心」はメンタルなものであってある種のソフト対策である。投資に対する効果は一様ではなく、測定もほぼ不可能に近い。にもかからず「安心・安全」を誰もが求めるようになった。

この震災は、我々にとって、役所が提供するあらゆるサービスの基準が、見えない形で大きく変わったきっかけになった出来事である。