2010年6月9日水曜日

ヒロシマ

今日、時事通信社のホームページを見ていて、次の様な記事を見つけた。
以下長いが、全文を引用させていただきます。
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◎被爆石、ポツダム到着=来月完成の記念碑に設置—ドイツ
 広島、長崎の原爆犠牲者を追悼する記念碑の設置計画が進むドイツ東部のポツダムに8日、記念碑に埋め込む被爆石が到着した。
 広島からは広島電鉄の路面電車の被爆した敷石、長崎からは爆心地近くの山王神社の庭園の石が提供された。記念碑には日英独の3カ国語で「核兵器のない世界を願って」との言葉を添える。
 原爆投下命令は1945年7月、米英とソ連がドイツの戦後処理を協議したポツダム会談の開催中に、当時のトルーマン米大統領に随行した陸軍幹部が米軍司令部に伝えた。
 記念碑は同大統領が滞在した邸宅前の「ヒロシマ広場」に設置。落成式は命令が出されてから65年となる7月25日に行われる。
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第二次世界大戦の戦後処理が話し合われたポツダム会議の会場としては、当時のベルリン近郊で奇跡的に破壊されずに残っていた「ツェツェリンホーフ宮殿」という屋敷が選ばれました。
現在は、宮殿内が公開されており、普通のホテルとしても利用されています。

米・英・ソ連の代表団は、当時の宮殿周辺に分かれて滞在していたようで、当時のトルーマン他アメリカ代表団が滞在していた屋敷は、リトル・ホワイトハウスとも呼ばれていました。
どうやら、その邸宅前の広場が「ヒロシマ広場」と呼ばれているようですね。たしか、ベルリン市内の現日本大使館の近くには「ヒロシマ通り」もあったはずです。

10年前、私がドイツに滞在していた頃、ドイツで最もよく知られている日本の都市は、�
東京、�広島、�長野(ちょうどオリンピックの頃でしたね)の順番で、京都の知名度は意外と低かったことを憶えています。

同じ敗戦国として、ドイツ人にとって「広島」というのは特別な意味を持った都市なのですね。

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