2008年6月22日日曜日

梅雨空に思う

梅雨入りしてからしばらくは好天が続いていたが、ここへ来て、ようやくその本領発揮。この3日ほどは、雨模様の日々となっている。
遠く九州では、大雨になったようで、犠牲者も出ているという。

以前、いわゆる土砂災害などに関わる仕事に就いていたこともあって、自然災害については、他人事とは思えず心痛むことがしばしばである。

さて、先日近畿地方の大水系である淀川の治水に関して、大きな問題が起こっている。いわゆる淀川水系流域委員会と地方建設局の対立である。

全国のダム建設計画を巡って、あちこちで大きな議論を巻き起こし、そのうちのいくつかでは無駄な公共事業の代表のように言われ、中止が決定された例もある。

そういった風潮の中で、流域委員会が淀川で進められていたダム計画飲み直しを求め、ダムに頼らない治水計画を求めたが、国土交通省が一方的にその意見を無視し、ダム計画の決行を表明したというのが、その騒ぎの全体像である。

どちらの言い分が正しいか、ことが人命に関わることだけに、その判断をすることは非常に難しい。もちろん、堤防も整備してダムも造って、とした方が国民の生活にとっては安全であることに違いはない。あるに越したことはないのである。

しかしながら、それが度を超したものであった場合、そう簡単に言い切れないのである。もちろん、そこに費用対効果の概念を持ち込むことは正しくないと思う。一人でも多くの人命が救えるのであれば、巨額の経費が掛かってもやむを得ないと言う考え方もある。であるが、やはり流域委員会の言うように、他の手法でダムと同等の効果を上げることができるのではないか。避難態勢や予防体制を充実させることで、犠牲を最小限に食い止めることができるのではないか。
さらに、ダムを建設することで失われる自然や生活は、決して再現することができない。

万が一、災害があったとき誰が責任を取るのか。と国土交通省の役人が語っていたが、彼らだって、責任が取れるはずがないのである。であるならば、200年に1度の災害に備えるような完璧な構造物を作ることに邁進するのではなく、今の生活を変えることなく、安全性をより高めるような方策を、お役人に任せるのではなく、関係するみんなで考えるべきなのではないか。

もちろん、自分たちだけでなく自分たちの次の世代のことも十分に考えつつ。。。

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