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2016年2月18日木曜日

同級生

少し前の話になります。
今週初めの2月15日、およそ30年ぶりに高校時代の同級生に会いました。

彼は、大学を出てから民間企業に就職し、あちらこちらに転勤を繰り返していたのですが、昨年秋からは、大阪の支店で働いているという連絡をもらっていました。

当日は、たまたま夕方まで大阪市内での会議に出席する予定があったので、先週末にもし時間があれば、と誘いを掛けておりました。彼も、ほとんど西日本全域を飛び回って過ごしているようなんですが、この日はたまたま大阪にいるとのことで、久しぶりに会うことができました。

新大阪の彼の会社の近くの店で、大いに吞んで、食べて、喋って、気がつけばあっという間に4時間ほどが過ぎていました。

彼とは、高校時代同じクラブに入っていたのですが、それ以前に中学校時代にも同じクラブ(当時は野球)をやっていて、何度か対戦したこともあり、その頃の話題でも大盛り上がりでした。

挙げ句の果ては、それぞれが電話で当時の同級生達に電話をし始め、あちらこちらに多大なご迷惑をお掛けしたようです。


彼も忙しいようで、そう何度も会う機会は無いかもしれませんが、昔の友人って言うのは良いモンですね。

2015年2月8日日曜日

53歳

昨日は、私の53回目の誕生日でした。

一昨日は遅くなったので、昨日目が覚めたのは10時前。その後もうつらうつらしながら、夕方には仕事で出掛けてしまったので、あまり印象に残る日とはなりませんでした。

長女は、昨春無事就職し、社会人としての一歩を踏み出しました。
次女は、来週から高校受験の本番を迎えます。
妻は、昨年大きな病気をしましたが、今は何とか元気にやっています。
そして私は、今年の3月で京都府に勤めて30年になります。

若い頃は、何とかこの世の中に、小さくても良いから何か“自分がやったこと”の足跡を残したいと、常に思っていました。今はやりの言葉で言うと、最後は誰かに“認めて欲しい”“認められたい”ということでしょうか。

今もそれは大きくは変わらないのですが、最近は特に“人を育てたい”“人に影響を与えたい”と思うようになりました。

とはいえ、これは自分の思い通りになる手下や子分を創りたいと言うことではなく、“他人の私事によって動くのではなく、自分で考え、自分の意思によって動く人”を育てたいと強く思っているのです。

“今の若い奴は”“最近の連中は”という言葉を、我々は好んで使ってしまいます。まぁ、我々も数年前までは同様に言われていたわけで、それほど上等なわけではないにも関わらず、傲慢なものです。

でも今の日本人って、“覚えること”は上手になったけど、“考えること”は、どんどん下手になっているように思えるのですが、どうでしょうか。もちろん自分も同様で、考えることより、過去の事例に倣うことに流れて行ってしまうことも、時折あります。

でも、これって決して楽しくはないですよね。

我が娘達を含めて、これからを生きる人たちには、常に自分で考え、その意思を持って生きていって欲しいと思っています。そのために私ができることは何か。何をしなければいけないか。

そんなことを改めて考える53回目の誕生日でした。

2014年11月9日日曜日

ベルリンの壁崩壊から25年

今日は11月9日。あのベルリンの壁が崩壊して、ちょうど25年という節目の年になる。

今から14年前、2000年までの3年間をベルリンで過ごすことができ、ブランデンブルク門や壁の跡などを巡ったことを思い出す。

当時、壁がなくなってちょうど10年を迎えた頃で、まだまだ東西の格差が縮まらないことが大きな社会問題となっていたが、ここ数日の報道を見ていると、その状況にはほとんど変化がないようで、むしろその差は拡大しているのではないかという気すらしてくる。

当時も、豊かな西のから集めた税を、東の復興に充てることに反対の声が多かったが、今はどうなっているのだろうか。

停滞が叫ばれるユーロ圏の中で、ドイツ経済だけが好調だと言われている。一方で、旧東にはその恩恵が及んでいないとしたら。

国のありようとしてはどうなのだろうか。もう25年。あるいはまだ25年。どう考えるかによって、施策の有り様は違ってくる。

実はベルリンに壁が築かれていたのは、1961年から89年までの28年間だけなのである。もうすぐその長さに並んでしまう。

2014年6月5日木曜日

梅雨入り

関西地方では昨日6月4日に梅雨入りしたようで、夕方から雨になり、今日も朝から
雨がぱらついておりました。昨年は5月中に梅雨入りしたことを考えると、例年より
少し早いとはいえ、まずまず平年とおりと言えるでしょう。

ただこれから1か月以上は、じめじめした日が続くと思うと、気持ちは晴れやかとは
言えないのが正直なところです。

特にこの時期いちばん鬱陶しいのが、朝の通勤時間帯で、電車もさることながら、バ
スになると人が一杯で、雨に濡れた傘がべっとりとまとわりついたり、付けられた
り、車内は雲ができるのではないかと思えるくらいの湿度で、十数分の移動だけで、
ぐったりと疲れてしまいます。

そういえば、子供の頃の梅雨の時期というと、我が家の周りでも蛍の飛び舞う風景が
見られました。もともと清流に棲むと言われているのですが、家の前に小さな小川が
流れていたり、裏山からチョロチョロと湧き水があって、水蕗や山葵が自生していた
りと、蛍が棲む環境としては最適だったのではないかと思います。

最近では、都会でも蛍を戻すために、川を美しくする運動が盛んに行われています。
今の我が家の近くの川でも、この時期になると蛍の乱舞が見られます。とは言いなが
ら、その川も三面をコンクリートで固められ、昔のような情緒は感じられません。

無い物ねだりとは解っていますが、少し残念な気がしています。

2014年5月15日木曜日

修学旅行

今日は5月15日、京都市内は葵祭の一日でした。

気がつけば、何と1ヶ月にわたって更新をサボっており、何名かの方々から、心配するメールを頂戴いたしており、どうも申し訳ありませんでした。
全くもって健康そのもので、単に忙しさに紛れてサボっていただけですので、また暇を見つけて書かせて頂こうかと思っています。

さて、ここ数日、京都市内には全国からたくさんの修学旅行生が訪れておられ、いろいろな制服を着た生徒さんが、市内の各地にあふれております。

最近は、班ごとに市バスの一日乗車券を持って行動されるパターンがほとんどで、昔のように団体バスであちらこちらに乗り付けるという姿はなかなか見かけなくなってきました。
我々の基準からいうと巨大な都市ですが、周りを山に囲まれた京都という街は、こうやって移動するにはほどよい大きさのようですね。

ところで、実は我が家の中三の娘も、昨日から東京方面へ修学旅行に行っております。
お楽しみの第一はねずみの王国で、あとは“そらまち”と“ジブリ美術館”もコースに入っているようです。


2泊3日の予定なので、帰宅は明日の予定ですが、きっと疲れ果てて帰ってくることでしょう。

思えば、我々の中学校の修学旅行は、広島と山口でしたが、今となってはほとんど記憶に残っていません。姫路城までバスで行って、そこから新幹線に乗り換え、広島、宮島で一泊し、錦帯橋、秋芳洞で下関で一泊、その後は一日周辺で過ごして、夕方の新幹線で帰ってきたはずなのですが、記憶は全くありません。

でも、それぞれの場所には、大人になってからまた行く機会がありましたが、そのたびに何となく懐かしく思いながら、時間を過ごしたものでした。

今、京都へ来てくれる生徒さん達も、また大人になったときに思い出しながら来てくれると、きっと楽しいことでしょう。

2014年1月13日月曜日

成人の日

今日は一月の第2月曜日、成人の日でした。
私が成人式を迎えたのは、三十数年前、未だ大学生の時です。

当時はまだ1月15日が成人の日で、特に連休ではありませんでしたが、後期試験の直前で、試験対策のためノート集めに走り回っていて頃でした。

そんなわけで、残念ながら実家であった成人式には出席していません。

聞けば今年の成人式でも暴れる連中が出現し、大阪市の橋下市長が壇上から怒鳴りつけたという報道を見ました。

世の中では成人年齢を20歳から18歳に引き下げようかという動きもあるようですが、こんな騒ぎを見ていると、大丈夫かいなと不安に思ってしまいます。

まぁ、大方の新成人達はしっかりしていることでしょう。これからの世界は、彼らの肩に掛かっていることですから、しっかりと自分の考えを持って、未来を切り開いていってくれるものと期待しています。

2013年12月31日火曜日

2013年を振り返って

今日で2013年もお終い。年を重ねるごとに一年が短く感じられ、今年は暑い夏が終わったと思ったら、あっと言う間に冬が来た様な気がする。

大晦日に相応しく、今年一年を振り返ってみたい。

私の中で最大のできごとは、4月から小さいながら一つの課を任されたと言うことになります。
それまでも、それに近いような仕事はしていたのですが、実際やってみると、通常の業務だけでなく、庶務的な対応にかなり時間を取られます。
これをないがしろにすると、職場のみんなが働きづらくなるので、これはやはり最優先で掛からなければならない事柄です。
慣れない身には結構難しい仕事です。

次に大きなできごとというと、長女の就職でしょうか。
まだ実際に社会に出るのは来春のことなのですが、何とか就職内定がもらえて、親としては一安心という所です。
彼女にとって、この就職が最善の選択であったかどうかと言うことは、誰にも判りませんが、すでに就職に向けて、役立ちそうな資格を取得するなど、動き始めている姿を見ると、親としてはとても嬉しいことです。

さらに、社会に対して目を向けてみると、今年は京都府内でも大きな災害に襲われた年でした。
9月に府全域で大洪水を巻き起こした台風18号でしたが、亀岡でもJRの駅構内が水没するなど大きな被害がありました。
特に、この日は直前に亀岡駅前の南郷公園で、女性が殺される事件があり、ダブルで強く印象に残っています。

これら以外にも、いろいろと印象に残るできごとがあった一年でしたが、来年はきっと良い年になると期待して、今年一年のまとめといたします。

皆様良いお年をお迎えくだ

2013年12月24日火曜日

Merry Christmas!

今日はクリスマスイブですね。
我が家の娘達も22歳と13歳なので、当然ながらサンタクロースは信じていませんが、今思えばどちらも10歳くらいまでは、信じていたような気がします。

長女が小さい頃は、母親が欲しいモノを聞き出して、私が買いに行くという役割で、おもちゃが多かったですが、一番困ったのは、海外に赴任していた頃。

当然、子供がほしがるような日本の物は、手に入らないので、いろいろと工夫をしていました。
また、クリスマスの時期はどこかへ出掛けていることが多かったので、その時は旅先のホテルの枕元にプレゼントが配達され、えらく興奮していたのを覚えています。

次女の小さい頃は、なぜサンタは自分の欲しいモノを知っているのか、とても不思議に思っていたらしく、ある年のイブの夜には、枕元にサンタへの質問を書いた手紙が置いてありました。
とりあえず、その手紙を回収しておいたところ、翌朝手紙がなくなっていたので、ちゃんとサンタクロースが来て手紙を持って帰ってくれた!と大喜びでした。

その娘達が、真実を知ったのは何とも情けなくて、長女の場合は、母親が何かの折に腹立ち紛れに暴露し、下の娘の場合は、長女がいつまでも幼いままなのはかわいそうと、事実を打ち明けたのでした。

最近は、プレゼントもお年玉と併合されていまい、さらには、これまで以上に高額の物が必要になってきました。

しかしながら、長女も来年には社会人になるので、お年玉も次回が最後。
嬉しくもあり、寂しくもあり。

2013年9月27日金曜日

明日も舞鶴へ

台風18号による大きな被害から10日が経ち、被害の全容が徐々に明らかになってきました。
まだまだ生活を立て直すのもやっとこさという状態の方もおられるようで、復興なんてまだまだこれからという多いと思います。

そんな中で、明後日29日には、京都舞鶴港へ今年最後のクルーズ客船が入港します。
朝8時の入港と言うことなので、7時には現場集合が掛かっており、明日から舞鶴入りの予定です。

そこで、できれば明日の少し早めに行って、舞鶴の街、それから実家のある由良川筋を少し廻ってこようかなと思っています。

おそらく田畑も大きな被害を受けているに違いない中で、何もお手伝いができないのですが、おそらく心配しているに違いない父のために、写真をたくさん撮ってこようかなと思っています。

とりあえずは、一日も早い復興を祈るのみです。

2013年9月22日日曜日

舞鶴・丹後学講座

最近は更新の頻度がどんどん悪くなってしまい、少し反省しています。
先週の台風襲来とは違い、今度の三連休はとても好いお天気になりました。
お天気が良すぎて、すこし暑いくらいでしたが、先の台風で被災された地域では、ボランティアも多数駆けつけて、後片付けが始まっているようです。

私の職場からも昨日今日と一名ずつが行ってくれて、皆さんのために頑張ってくれたことと思います。

そんな中で私はと言えば、昨日は久しぶりに大阪まで足を運び、舞鶴観光協会が主催する「舞鶴・丹後学講座」に行って参りました。

これは、舞鶴のことをもっと知ってもらうために、舞鶴の歴史からしっかり学んでもらおうという取り組みで、大阪梅田に会場を設け、実施されました。

以前から舞鶴市役所に務める同級生から誘いを受けていたのですが、先週は父の通院日と重なってしまったため出られず、来週はまた舞鶴への客船の入港日と重なっているため、昨日が唯一の機会となったため、何を置いても駆けつけた次第です。

昨日のテーマは「引き揚げ」。
舞鶴は第二次世界大戦後のアジア大陸からの引き揚げ船が入港した港として知られています。
「岸壁の母」という有名な曲もあります。

その引き揚げの歴史を切り口に舞鶴のことを知ってもらおうとされたわけですが、当初このテーマを聞いたときには、「観光」という観点ではどうなんだろうかと、少し心配しておりましたが、全くの杞憂で、こういった歴史も含めて丸ごとが舞鶴の魅力なんだと改めて感じ入りました。

今回の企画を考えられた関係者の皆さんに、心から敬意を表します。


2013年8月29日木曜日

道ばたでばったり

今日も舞鶴へ行っておりましたら、またもや高校時代の同級生とばったり!
向こうは仕事中、私はタクシーで会議予定場所まで移動中と、声を掛け合うだけで終わってしまいましたが、二度続けて出くわすとは、、、不思議な因縁です。

就職してからは、ほとんど会うこともなかったのに、ここへ来て急に何度も顔を合わせることになるとは思いもしませんでした。

それもこれも、今、舞鶴の仕事を中心にさせていただいているおかげだと思っています。

これも何かのご縁ですから、精一杯務めたいと思います。

2013年8月20日火曜日

お盆には

今朝の読売テレビで舞鶴市城屋の揚げ松明が紹介されていました。
出勤の支度をしながら横目で眺めていただけなのですが、改めてすばらしいお盆の行事だなと感じ入りました。

舞鶴で生まれた私ですが、この行事の映像を見たのは今朝が初めてです。
この行事だけでなく、お盆の時期には御先祖様の精霊をお迎えするために様々な行事が行われていますが、それは、その土地の人達のものであって、よそ者が物見遊山に行くものではないという両親の考えだったのでしょうか?
まぁ単に当時のワタシには全く興味がなかっただけなのですが。

でも先ほど申し上げたように、京都の五山送り火を観光気分で見に行こうと言う気にならないのは事実です。
御先祖様は、各々のお家で静かにお迎えしたいところです。

2013年8月16日金曜日

舞鶴岩ガキ丼 【凡愚】

今日は、午前中に舞鶴で打ち合わせがあったため、朝イチの特急で舞鶴へ向かいました。

打ち合わせは予定どおり、お昼に終わり、夕方までに京都へ戻らなければならなかったため、西舞鶴駅へ向かうバスに乗ろうと、バス停でぼ~っとバスを待っていたら、高校時代の同級生とばったり出会いました。

彼もまだ仕事中だったのですが、折良く昼休みに入るところだったので、西舞鶴駅の近くで昼食を一緒に摂りました。

昼食を食べながらの話は、親の病気・介護など同じような悩みに行き着きます。

でもまぁ、まさかお盆の最中に仕事で舞鶴へ戻ることになるとは思いもしませんでした。




これは、お昼の岩ガキ丼。吸い物付きで1000円也。()

2013年8月11日日曜日

お墓参り

今日もとにかく暑い一日でした。
昨日と続いて40度を超えたところもあったようで、さすがにこれはきついですね。

この暑さの中、父をつれて舞鶴まで墓参りに行って参りました。
出かけたのは9時頃だったのですが、すでに道路はかなり混雑していて、京都縦貫道路はあきらめ、国道9号線を通っていったのですが、今度は丹波町からの27号線がも、大渋滞で、なかなか先へ進む気配もありませんでした。

結果的に、国道もあきらめ、山道を抜けて何とか渋滞に遭わずに舞鶴まで行くことができました。

舞鶴では、お寺へ行って、そのあとお墓に花を立て、線香をお供えして、その後は姉のところへ顔を出して帰ってきましたので、実滞在は3時間くらいでしょうか。

今日も、暑さもあってか、父はかなり疲れたようで、このあと何回こうやって一緒に帰ることがあるだろうかと、考えてしまいました。

何とか、まだまだ頑張ってもらいたいものです。

2013年5月30日木曜日

故郷は、、、、

既に日付が変わってしまいましたが、今日は舞鶴泊まりです。
明日の早朝から舞鶴港で行事があるため、前泊で来ています。

京都を夕方出発する電車できたのですが、思い返してみると、この時間の電車で舞鶴へ向かったことは数限りなくありますが、“帰る”ためではなく“行く”ためにあの時刻の電車に乗ったのは初めてでした。

ふるさとがますます遠くなってしまったことを実感した瞬間でした。

2013年5月1日水曜日

1112本目

今日の記事を書こうととして、管理サイトを見ると、昨日の投稿が記念すべき1111本目の投稿になっていました。

2008年の3月に始めましたので、丸5年です。
どういうきっかけで始めたのか、今となっては思い出せませんが、よくぞ続いたものと感心しています。

途中何度か途切れかけましたが、ここ1、2年は逆に、ほぼ毎日何かを書くようにしていて、出張であるとか、帰宅が遅くなるなどの事情がない限り、とにかく思うことを書くようにしています。

ところで、今日は朝から宮津市へ行き、一件の打ち合わせ、その後舞鶴へ移動し、会議と打ち合わせを2件。

なかなかハードな一日でした。

来週も1~2度は舞鶴へ行くことになりそうですし、その次の週はいよいよ大型客船が入港するに合わせ、前日から泊まりで舞鶴へ行くことになりそうです。

まぁ、それが終わると一段落ついて、しばらくはおとなしく京都に腰を落ち着けられるのではないかと期待しております。

それにしても、今日の舞鶴では雨に降られ、風も強くとても寒かったです。

2013年4月30日火曜日

不思議な縁で

連休に挟まれた今日は、朝から雨模様の空になりました。
幸い、お昼には雨も止んでくれて、このまま後半の連休中も大きな天候の崩れはないようです。

ところで、昨日は大きな客船の写真をご紹介しました。

以前、ご紹介したとおり、私は舞鶴市の出身で、今も当時の同級生達が何名か地元で、故郷のためにいろいろな仕事をしてくれています。

今回、京都舞鶴港についての仕事を担当するようになって、図らずも当時の同級生達と一緒に仕事をする機会をいただくことができました。

実は、昨日の昼間にそんな旧友の一人から電話をもらい、どうやら来月、客船が入港する際には、同じ現場で仕事をすることになりそうだ、と聞かされました。

また今朝は、昔一緒の職場で働いていた方から昨日の記事を見てメールをもらい、これまた別の港で、同様にクルーズ客船のおもてなしの仕事をすることになったと、教えてくれました。

どうやら、大阪でのお仕事だそうなので、我々の手本とするところであり、どのように運営されていたのか、是非とも教えてもらいたいと思っています。

なんだか不思議な縁を感じています。

2013年4月11日木曜日

田辺城公園

しばらく更新ができませんでした。

一昨日と昨日、二日続きの舞鶴出張でした。

そして、昨日は京都市内へ戻って、友人と久しぶりに夕食を摂っていたので、帰宅が遅くなってしまい、ゆっくり書いている時間がありませんでした。

その代わり、西舞鶴駅での電車待ちの時間を利用して、近くの田辺城公園へ行って参りました。

この公園へ行ったのは本当に久しぶりで、ひょっとしたら高校生の頃以来ではないかと思います。

公園の中はどんな風だったか、ほとんど記憶に無く、全く知らないところを歩いているかのようでした。

ほんの30~40分のことでしたが、昔を思い出しつつ歩いておりました。



2013年4月3日水曜日

舞鶴の桜


今日は、異動のご挨拶もかねて、舞鶴へ行っておりました。
市役所では、高校の同級生達の何名かに会うことができ、しばし懐かしき再会を果たして参りました。

前にも書いたことがありますが、今度の仕事は“京都舞鶴港”の振興が大きな仕事の一つで、ようやく自分の故郷に恩返しをする機会を与えられたような気がします。

どれほど長く、この仕事に就いていられるか判りませんが、ベストを尽くしたいと思います。

ところで、上の写真ですが、これは西舞鶴駅を起点に走る北近畿タンゴ鉄道の“四所駅”駅前に咲く桜です。
かなりの巨木なのですが、これがなんと、数十年前に当時国鉄の駅であったこの駅で働いていた父が植えた桜だそうで、今ではこれほどの巨木となって、乗降客に親しまれています。

出張の途中で、本当に久しぶりに、駅の寄ってもらい桜を見てきました。

この写真は父へのお土産にいたします。

2013年2月11日月曜日

誰か故郷を

今日、丸谷才一さんの本を読んでいて、とてもすばらしい文章に出会いました。

慶応大学の創始者である福沢諭吉が、故郷である大分県中津から母親を東京へ呼び寄せるため、迎えに行いいた際に、ふるさとである中津へ向けて送った『中津留別の書』という文章で、岩波文庫の中にも収められているそうです。

残念ながら、これまで全く知らない書物だったのですが、今は全文がネット上に公開されいるので、早速読んでみました。

文章としては、それほど長いものではなく、数分で読み切ることができます。

文章の中で、その大半を“人倫”について説き、続いて“学問”の勧めへとつながり、“国際化”の必要性を訴え、その大義のため故郷を去ることとなり、その“故郷”への惜別の辞として、次の文章を贈ります。

人誰か故郷を思わざらん、誰か旧人の幸福を祈らざる者あらん。

この一節は、どこかしらで耳にしたことのある文だと思うのですが、ここに初出があるとは知りませんでした。諭吉35歳のときです。

人が生まれ育った故郷を離れて、他の土地で暮らすというのは、相当に思い切った決断です。

かく言う私も、故郷を離れ30有余年、一人残っていた父が、こちらに移ってきてから、故郷との交渉もほぼ途絶えてしまい、とても寂しい思いをいたしておりました。

ところが縁あって、最近はふるさと舞鶴港関係の仕事をさせていただく機会を得ました。
おかげで、同郷の人たちとの仕事も多くなり、とても嬉しく思っています。

今の私にこう言う資格があるのかどうかは判りませんが、まさに“旧人の幸福を祈る”のみです。