2014年11月9日日曜日
ベルリンの壁崩壊から25年
2012年12月20日木曜日
梅小路に鉄道博物館
完成は2016年と言いますから、4年後ですか。楽しみです。
昔ドイツに住んでいたとき、ベルリン市内に鉄道博物館があって、何度か遊びに行きました。
展示物の中には、第二次大戦時、ナチスがユダヤ人を収容所へ運ぶ際に使用した貨車の実物も展示されていて、そこだけはとても重苦しい思いをしながら、見ていたことを思い出します。
しかしながら、全体的は歴代のドイツの機関車達が展示されており、構内の線路も、普通の鉄道線路とつながっていて、何か駅の延長線上にあるみたいで、とても不思議な空間でした。
今度の梅小路の博物館も、京都駅と線路で直結され、現役の機関車や客車も展示することが可能になるそうで、とても楽しみです。
この博物館ができると、最近開業した水族館と隣接し、とても多くの来場者が来られると思うので、ここはひとつ、是非とも鉄道の駅をこのあたりに作って欲しいモノですがどうでしょうか。
その昔、梅小路公園を会場に“都市緑化フェア”が開催されたとき、この付近に会期中だけの限定で臨時駅が営業されていたことがありました。
ここは一つ、京都市さんに頑張ってもらって、実現させて欲しいところです。
2012年1月21日土曜日
北朝鮮大使がドイツで密漁?
どうやらベルリン市内を流れる川で釣りをしていて警察官に注意されたそうである。
そういえばベルリン滞在中、ついぞ川で釣り糸を垂れている人を見かけたことがなかったが、それはこのような理由があったのかと合点がいきました。
ところで、このニュースのおもしろさは、実はドイツには北朝鮮の大使がいる、というところにあります。
ご存じの通り、日本やアメリカは北朝鮮を国家として承認しておらず、国交もありません。日本国政府が発行するパスポートに、北朝鮮では無効と書かれているのは周知の通りです。当然大使館もありませんから、外交官が駐在していると言うこともありません。
しかしながら、これが世界の常識かというとそういうわけでもなく、たとえばEU諸国で外交がないのはフランスとエストニアだけだそうで、それ以外の国には大使館が置かれています。
当然、旧東ドイツも同じ共産圏でしたから、旧東ベルリンに北朝鮮の大使館は置かれていて、私が駐在していたころは、統合後で大使館としては使われていませんでしたが、同国の代表部の建物が残されていました。
今、この国は若い指導者を推戴し、周りの諸国は大変危なっかしい思いで、その行く末を注視しています。
これまでの奴らのやり方を見ていると、まさに博打のようなはったりだけを武器に外交を行ってきたように思われていました。
昨年末の前指導者の死から1ヶ月がたちました。この間の静けさが非常に不気味に感じられて怖い。
国として良い方向に向かうとはとても思えないのですが、この後どこへ進もうとしているのでしょうか。
2011年11月27日日曜日
スペイン16~24歳の失業率45%
とてもショッキングなニュースを見つけました。
欧州の財政危機で、ギリシャ、イタリア、スペインが大揺れに揺れていますが、この報道によると16歳から24歳の若者の失業率が45%にも上るそうである。国全体の失業率も21.5%と高水準で、さらなる悪化が心配されている。
この年代の若年層は大部分が学生であることが多く、この統計の母数となる集団の絶対数もそれほどではないのかもしれないが、逆に言えば大学や専門学校などに行くことができない低所得者層の失業者が増加しているのではないかと危惧される。
昨今言われる所得格差がさらに拡大し、貧困がさらに次代へと継承されていくシステムがさらに強固なものになっていくのではないか。恐ろしいことである。
そしてさらに、この不況、出口が全く見えないという恐怖。
救世主は現れるのだろうか。
取りあえず今は欧州の崩壊を回避するために、様々な手段が取られようとしている。
しかしながら、スペイン、ギリシャ、イタリアなどはもともと政治的に不安定な上に、官僚に対する信頼が非常に低く、効果的な政策を打ち出しにくい状況にある。
勢い、ドイツやフランスなどが手をさしのべて欧州全体を支えていくという構図になってしまう。
ここへ来てドイツ経済の失速も伝えられ、他のユーロ諸国も連鎖的に国債の価値が下がるなど、大きな影響を受けている。
しかしながら、「雨降って地固まる」と言うように、危機は結束力を強くする。この危機を乗り越えれば、ユーロはさらに強力な通貨となる。叡智を集め、乗り越えていって欲しい。
2011年11月13日日曜日
ユーロの危機
今日の朝日新聞に、元ドイツ連邦共和国の副首相であったフィッシャー氏の寄稿文が載せられていたので懐かしさのあまり、久しぶりに経済ネタをUPしようと思います。
私がドイツにいた当時、ちょうど通貨統合が行われようとしていた頃で、既に銀行の口座や店頭での価格表示には、ドイツマルクとユーロの両方が使われていました。
以前、同様の指摘をしたことがあるのですが、欧州の通貨統合は、それまで何度も欧州の火種になってきたドイツが、将来にわたりその災いの元となることを忌避するため、あえて当時ヨーロッパでは最強の通貨と言われたドイツマルクを捨てて、欧州統合の象徴と言うべき通貨統合へと全力を降り注ぐことによって実現しました。
国内には反対の声も多かったのですが、そこをあえて欧州統合の礎になることを選択したのです。
とはいえ、スタートからその存続を危惧する声も大きく、その最大の理由は、当初からその統合にイタリアが入っていたことでした。私自身も、イタリアを入れることには大変懐疑的で、その一点をもって、通貨統合に大きな爆弾を抱えながらスタートしたと思ったものでした。
そしてついに、時代が進みギリシャまでもがその枠組みに入ってしまいました。
さすがにこれはやり過ぎだったと思われます。現在ユーロを導入している国は17カ国だそうですが、国によっては離脱をさせていかなければ、到底基軸通貨としては用をなさないと思われます。
欧州連合自体は政治的結合体ですから、ユーロという経済的結合体と同地である必要は無いと思います。両者を完全に一体化させようとするならば、今一度欧州連合という組織体のあり方を、再検討するべきでしょう。
2011年8月14日日曜日
壁
私の生まれる半年前です。
以前にも書いたことがありますが、私がベルリンに駐在していた頃は、既に壁が無くなって10年がたった頃で、街中には殆どその痕跡はなく、郊外に若干保存されているくらいでした。
確か築かれたときの全長は160kmくらいだったと記憶していますが、現在残っているのはその1%位だったと思います。
ベルリンを離れる直前に、壁があった跡を数キロほど丹念に歩いたことがあるのですが、全く人が住んでいないような原野にまで、壁が立てられていたようです。
今考えると本当に愚かな構造物ですが、当時はまさに東ドイツを始めとする東側諸国と西側諸国の存亡を書けた戦いの象徴だったのでしょう。
2011年7月18日月曜日
なでしこジャパン!
ドイツで開催された女子ワールドカップサッカーで見事に初優勝。
しかも、昨年王者のドイツ、ランキング1位のアメリカを破っての優勝、本当にお見事でした。
残念ながら、リアルタイムでは見ることができず、朝に結果を見ただけですが、震災以降よどんでいた空気を一気にはね飛ばすようなインパクトがありました。
選手の中には、東京電力出身の選手もあったそうです。本当に良くやってくれました。
心から感謝したい。ありがとう。
2011年4月3日日曜日
2011年3月29日火曜日
原子力発電
特に「バーデン・ビュルテンベルク州」では「緑の党」の代表者が初めて州首相に就くことが確実視されている。
この選挙結果には、直前に起こった日本の東北地方大地震と福島原子力発電所の事故が、大きく影響しているようで、思わぬところに波紋を広げているようである。
今から10数年前、私がまだドイツに滞在していた頃の連邦議会選挙で、キリスト教民主同盟と社会民主党の歴史的な政権交代劇があり、社会民主党と緑の党が連立内閣を組んだことがあり、そのとき初めて緑の党が国政レベルで、政権に関与することになった。
実は、そのとき緑の党と社会民主党は、原子力発電撤廃を構想として掲げたことがあったが、結果的にその構想を実現することなく、選挙に敗れることとなった。
今回、世界の原子力発電事業者にとっては、大変厳しい状況を迎えたことは間違いない。実は現に私のふるさとは、原子力発電所からほぼ30kmの圏内にすっぽりと収まってしまっている。
ことが起こった場合、非常に広範囲に大きな被害を与える恐れのあるモノであり、その安全性には通常以上の配慮が必要である。何があっても安全でないと、作ってはいけないモノなのではないか。
2011年2月6日日曜日
忘れてはいけない過去
当時はまだネガフィルム全盛時で、デジタルカメラもありませんでしたので、そのネガを少しずつスキャナーでデジタル化するという気の遠くなるような作業をしておりました。
なかなか写真を見てもどこだか覚えていないところが多くて、写真を前に何分間も考え込んでしまうこともしばしばです。
その中でこの写真は、ベルリン市内にある交通博物館にあった展示品です。
これは何だと思いますか?
実は、第二次大戦前ナチスのホロコーストで、ドイツ国内の各地からユダヤ人を収容所へ送る際に使用した「貨車」の内部なのです。
当時は、この貨車の中に座ることもままならないくらい押し込まれ、何日も掛けて送られていったそうです。
ドイツでは、当時のことを忘れないために、こういった展示が随所で見られます。
今もきっと変わっていないと思うのですが。。。
2011年1月5日水曜日
楽観主義
その中で、気になったメールを一つ御紹介します。
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京都を含めて、日本を横行している精神論は、もううんざりです。
成熟(と衰退)に相応しくて、大人の姿勢と経験で、
何を標榜し、何が出来るかを考えた上で、(変る)状況を判断すれば、
必要とされ、活躍できる機会がないはずがないのです。
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これは、現在日本に住むドイツ人の大学教授から送られたメールです。
実は、これをどう読めばよいのか、ずっと悩んでいます。
私の言う「楽観主義」は、決して精神論ではなく、全てをポジティブに捉えようとする位置取りの手法です。
一つの事象を、プラスと見るかマイナスと見るかは、立ち位置によって全く正反対に見えるはずです。
であるならば、ポジティブに見ることによって、その視線の先にはこれまで見えていなかった風景が広がっているはず。
そこには、必ずおおきなチャンスがある。
私は、このように読んだのですが、如何でしょうか。
もちろん、怖くて本人には直接聞けません。
2010年6月9日水曜日
ヒロシマ
以下長いが、全文を引用させていただきます。
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◎被爆石、ポツダム到着=来月完成の記念碑に設置—ドイツ
広島、長崎の原爆犠牲者を追悼する記念碑の設置計画が進むドイツ東部のポツダムに8日、記念碑に埋め込む被爆石が到着した。
広島からは広島電鉄の路面電車の被爆した敷石、長崎からは爆心地近くの山王神社の庭園の石が提供された。記念碑には日英独の3カ国語で「核兵器のない世界を願って」との言葉を添える。
原爆投下命令は1945年7月、米英とソ連がドイツの戦後処理を協議したポツダム会談の開催中に、当時のトルーマン米大統領に随行した陸軍幹部が米軍司令部に伝えた。
記念碑は同大統領が滞在した邸宅前の「ヒロシマ広場」に設置。落成式は命令が出されてから65年となる7月25日に行われる。
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第二次世界大戦の戦後処理が話し合われたポツダム会議の会場としては、当時のベルリン近郊で奇跡的に破壊されずに残っていた「ツェツェリンホーフ宮殿」という屋敷が選ばれました。
現在は、宮殿内が公開されており、普通のホテルとしても利用されています。
米・英・ソ連の代表団は、当時の宮殿周辺に分かれて滞在していたようで、当時のトルーマン他アメリカ代表団が滞在していた屋敷は、リトル・ホワイトハウスとも呼ばれていました。
どうやら、その邸宅前の広場が「ヒロシマ広場」と呼ばれているようですね。たしか、ベルリン市内の現日本大使館の近くには「ヒロシマ通り」もあったはずです。
10年前、私がドイツに滞在していた頃、ドイツで最もよく知られている日本の都市は、�
東京、�広島、�長野(ちょうどオリンピックの頃でしたね)の順番で、京都の知名度は意外と低かったことを憶えています。
同じ敗戦国として、ドイツ人にとって「広島」というのは特別な意味を持った都市なのですね。
2010年5月8日土曜日
政権交代?2
英国では、保守党を中心とした連立政権へ向けた協議が始まるようです。
完全小選挙区制である英国では、今回のように過半数を制する政党がいないのは大変珍しいようで、「hanging=宙ぶらりん」という名前がつけられているそうです。
それだけ大政党に有利な選挙制度であったということなんでしょうか。今回、事前の世論調査でかなりの支持を集めていた自由民主党が結果的に少数の議席しか得られなかったことで、この選挙制度を見直すべきではないかと言う議論が出てきているそうです。
同じヨーロッパでもドイツの連邦議会では、小選挙区と比例代表が併用されており、現在の日本の衆議院はこの制度に習ったものとされています。比例代表制では、少数意見を守るためには優れているが、小さな政党が乱立することになり、政権の運営が不安定になると言われています。
そのため、ドイツでは投票の獲得率が5%に満たない場合は、議席を得ることができないとされており、あまり小さな政党は議席を得られないように決められております。
別にどちらが優れた制度である訳ではないのだが、英国では2大政党制、ドイツでは連立政権が常態化することの根拠となっています。
ところえ、この日本。私たちにはどういった制度が望ましいのでしょうか。
私たちの意志が政治に反映される制度とは。
いずれにせよ、政治へ関心を持たないことが当然のように考えられている状態を何とかしなければいけない。
我々や我々の子孫のことは、我々自身が意志を持って決めなければいけない。
2010年5月7日金曜日
政権交代?
ブレア、ブラウンと13年間続いた労働党政権もどうやら年貢の納め時のようである。
選挙前の世論調査では若干不利と言われていた労働党が、最後の最後に党首の大失策で大敗したという感じである。
いずれにせよ、過半数を取った政党がないので、最多議席を獲得した保守党を中心に政権運営を始めざるを得ないのであるが、如何相成りますか、興味は尽きないところである。
前の政権交代は、私がドイツに住んで直後のできごとなので、結構印象に残っています。保守党の支持率が急落し、労働党政権が圧倒的な支持を受けて誕生いたしました。
今回は、この間の戦争や世界的な経済危機への対応につき、厳しい評価が下されたという所でしょうか。
翻って、我が日本国はどうでしょうか。
昨年、圧倒的な支持を受けて誕生した民主党政権。
半年をようやく過ぎたところですが、なかなか厳しいようですね。
できれば長い目で見てあげたいところですが、ちょっと限界かもしれませんね。
2010年5月6日木曜日
ギリシャ騒動
私がヨーロッパにいた10数年前からギリシャという国は、数あるEU諸国の中でもなかなかに難物であったように思います。
ご存じの通り、ヨーロッパの中でも南北問題というものがあって、北欧諸国のものの考え方と南欧諸国のそれとは大きく違います。
残念ながら、ドイツやイギリスなどのゲルマン系の諸国からすると南部のラテン系の諸国というのは何とも信用ならない国々と見えているようです。
たまに旅行で訪れたり、友人としてつきあう分には、そのおおらかさやいい加減さと言うのが魅力となったりするのですが、共にビジネスをしようとすると、それが大きな弱点になるようです。
私自身は、それで実害を被ったことはありませんが、何世代にもわたっておつきあいをしていれば、いろいろとあるんでしょうね。
欧州に統一通貨ユーロが誕生したとき、大欧州が一つの通貨の下に一致団結することで、巨大な力を持つことになるだろうと期待されました。
しかし、そこにギリシャのような国が加わることになろうとは、、、当時の私には予想もつきませんでした。
まさかギリシャが、、、、とは。
2010年2月13日土曜日
ガンバレ ニッポン!
珍しく朝からテレビの前でその開会式を見てしまいました。
私は、この開会式というやつが結構好きで、この場所へたどり着くまでのそれぞれの苦労や困難などに思いを馳せると、つい目頭が熱くなってしまいます。
今回のオリンピックでは、男女のフィギュアに期待が集まっているようです。
12年前の長野オリンピックは、ドイツで見ていおり、近所のドイツ人が、日本人特にスキージャンプの船木の活躍に祝福をしてくれたことを思い出します。
応援する方はすぐに結果を求めてしまいますが、出場する選手には、結果を気にせず精一杯全力を出し切ってもらいたいものです。
2010年1月12日火曜日
雪
新聞報道によると、ベルリンで17cmの積雪だそうで、私がいた頃にもそれほどの積雪があったという記憶はありません。
ご承知のとおり、ドイツの地形というのは南へ行くほど山岳地帯となり、積雪もあってスキー場なども南部に集中しているのですが、中北部の低地帯にはほとんど雪らしい雪は降りません。
そんな中での雪の思い出というと、毎年2月にドイツ南部ニュルンベルグで開かれる世界最大の国際玩具見本市へ行ったときのことが忘れられません。
おおよそ500kmの道のりなので、普通なら列車で行くところですが、そのときは何を思ったかか、自動車を駆って出かけることに致しました。
通常であれば、5時間くらいの道のりなので、お昼前くらいにベルリンを出てアウトバーンで向かったのですが、ベルリンを出た頃には全く降っていなかった雪が途中から激しく降り出し、アウトバーンは大渋滞となりました。
しかしながら、この見本市は見逃せないと見本市だったので、とにかくその日の内に着ければいいやと思って、車を走らせていたのですが、車はほとんど進まず、結局ニュルンベルグのホテルについてのは、真夜中少し前となりました。
世界中からバイヤーhが集まる見本市で、周辺のホテルはすべて満室状態だったので、必ず行くからと何度もホテルに電話を入れていたのですが、案ずることなくその日の宿泊は多くがキャンセルされていたようです。
翌日は嘘のような好天で、見本市も無事視察できたのですが、情報も全く分からない真夜中のアウトバーンで大変心細い思いをしながら運転し続けた懐かしい思い出です。
2010年1月6日水曜日
ドイツのパン
ドイツのホテルの朝食には必ず出てくるパンで、いつもナイフで上下に切り分け、間にハムとチーズを挟んでサンドイッチにして食べるのが常でした。このチーズやハムも結構種類があって、それなりにバリエーションが楽しめ、ときには、昼食用にいくつかくすねて帰ったものです。
どんなパンもそうですが、焼きたてはとりわけいおいしく、この無骨なパンになれてしまうと、フランスのクロワッサンや最近の柔らかい食パンなどは頼りなく感じたものです。
ドイツでは、商店の営業時間に厳しい法律がありまして、日中の開店時間が厳しく規制されており、特に休日はほとんどの店が閉まっています。
その中にいくつかの例外規定があり、パン屋さんがそのうちの一つだったと記憶しています。朝早くから、焼きたてのパンが店頭に並べられ、ご近所さんとおぼしき皆さん方が、買い物かごを片手にお気に入りのパンを買っていたのを思い出します。
久しく、あのドイツパンを食べていませんが、どこかで手に入らないものでしょうか。
2009年12月23日水曜日
ミシュラン
曰く
1 鮎もシンコも「それなんですか?」無知な調査員が味を評価
2 食事中に写真撮影!素人写真を勝手に掲載
3 星の見直しには味は関係なし
4 予約した店を平気でドタキャン。上から目線で店を翻弄
5 評価する立場のミシュランが店に京都版制作を依頼
6 ミシュランの陰には名門調理師専門学校もあり
7 断っても断っても勝手に掲載。なのに裁判には勝てない!?
8 客足には影響なし!ミシュランの威力は星の彼方へ
実は、ドイツに滞在していた頃、ミシュランのホテル・レストランガイドには本当にお世話になった。特にホテルを探すときには、とても小さな町であっても、簡単な市街地図にホテルがプロットされており、初めてのところでも迷うことなく逝くことができる代物であった。
特に事前にホテルを決めることなく車でふらりと出かけ、行った先から電話したり、あるいはフロントへ直接乗り込んで空室を尋ねたりするときに、なくてはならないものであった。
このリストに掲載されているホテル、レストランであれば、ほぼ満足できる水準で、まず裏切られることはないという感じであった。
レストランについては、味や雰囲気などを手がかりに4等級に分けられているのは誰もが知るとおりであるが、星が付いていないからといって、決して侮れるものではない。
さて今回、ミシュランの日本版が発行されて、いちばん驚いたのが、ひとつひとつのお店についてとても詳しく書かれていることである。
ヨーロッパなどで手にしていたガイドブックには、お店の紹介は連絡先、所在地、利用できるカード、価格帯などほんの2~3行。写真や絵なんか全くなく、せいぜいお勧めの料理があるところは、それが付け加わっているくらいでした。
だから、昨年初めて東京版を見たときには、こりゃ何じゃ??と思ったものでした。もし、あれから10年で本家のものもあんな風に変わっていたとしたらショックなのですが、、、
そんなこんなを考えると、ミシュランが日本版を出したのは、まさにミシュランが日本をお得意様(カモ)と思っているからに違いなく、あまりバカ騒ぎするのもいかがなものかなと思います。
前に上げた特集も、明らかにミシュランを絶対視、特別視した現れで、名前に便乗して雑誌を売り上げようというあざとい手法には、開いた口がふさがりません。
味覚なんて言うのは、人によって好みが違うのは当たり前、万人においしい食べ物なんて言うのがあるはずがない。
当時のベルリンには確か一つ星レストランが2軒ありましたが、その事実をしていたのは日本人ばかり、現地のドイツ人はほとんどそのことを知りませんでした。
星があろうと無かろうと、おいしいかどうかは自分で決める。好みなんてそんなものではないでしょうか。
2009年12月22日火曜日
冬至
今日は冬至ですから、一年で昼の時間が最も短い一日でした(ちなみに京都の日の出は7:01、日の入りは16:50だったそうです)。亀岡では、うっすらと白いものが積もるとても寒い朝でした。
日本よりも緯度の高いドイツでは、これよりも当然お日様の出ている時間は短くなります。正確な時刻は分からないのですが、感覚的にはそれぞれ1時間くらいは短いかなという感じです。
当然のことながら寒さも厳しく、まだ太陽も出ていない、凍てつくような寒さの中の出勤はかなり厳しいものがありました。とはいえ基本的には自家用車での通勤でしたので、寒いのは家を出てから自動車にたどり着き、エンジンをかけて車内が暖まるまでの数分間でしたが、それでも氷点下は当たり前だったので、その数分間の移動であっても、しっかり寒さ対策をしていないと、いっぺんに喉と鼻をやられてしまうので、万全の備えが必要です。
この時期、毎朝出かけるときは、真っ暗な中を東に向かって車を走らせていましたので、徐々に正面の空が明るくなって様子は、なかなかに美しいものでいした。
また夜が明けたあと真っ青な空の下、空気が凛と張った雰囲気はとても荘厳で、私の大好きなベルリンの風景の一つで、空気中の水蒸気が凍って、朝日の中でキラキラ光りながら舞う姿は、とても美しいものでした。
また、実際、冬に向かって夜の時間がどんどん長くなっていく様は、精神的にも非常に負担がかかるものですが、冬至を過ぎると、それからは夏に向けてどんどん日が長くなっていく訳ですから、気持ちが少しずつ軽やかになっていくのもこの頃です。
残念ながら、ドイツでは手に入りませんでしたが、柚子湯で暖まるのも日本ならではの冬の楽しみ方ではないでしょうか。